礼拝室
「女性の……像……」
その部屋の中にあったのは女性をかたどった石像であった。
古代ローマ時代のような精緻なつくりでもなければ、デフォルメされた女性の曲線美を強調したような煽情的な物でもない。着用しているローブは体の線を隠してしまっているし、その穏やかで丸みを帯びた表情と、長い髪のおかげでかろうじて女性とわかる立像。
「これは……完全に当てずっぽうなんだけどさ」
ルカから少し遅れて部屋に入ってきたグローリエンが恐る恐る口を開く。
「これがワルプルガなんじゃない?」
彼女の言葉を受けてルカが像を見る。それほど大きな部屋でもないが、物置のような小さなスペースでもない。十メートル四方ほどの小さな部屋の奥にあるそれは、おそらくは実物大のスケールであろう。ルカの身長よりも少し小さいくらいだ。
「伝言がある、と」
ヴェルニーの言う通り、コルヴス・コラックスはルカ達に伝言があると言っていた。何か仕掛けがあるということなのか。しかしぐるりと回って石像をくまなく調べて見てもどこかに文字が彫ってあるなどということはない。
「石像を分解したら中からメッセージが出てくるとかか?」
そう言いながら石像に触れようとしたスケロクの手をルカが止めた。
「一万年前の石像ですよ! 触っちゃまずいですよ」
スケロクは触るどころか分解してみようとしていたのだが、当然そんなことはルカがさせない。
「伝言……伝言ね」
握りこぶしを作って、それを口に当てて歩き回りながらヴェルニーが考え込む。しかし全く見当がつかない。
木の葉を隠すなら森の中、という言葉がある通り、この部屋の中で「伝言」に相当するものを探そうと思えばそれこそ星の数ほどもある。何しろ四方八方全てが本なのだから。
一冊の本の中から一節の文章を探し出すのだって一日がかりの作業になるが、この部屋の、視界に入る中だけでもそれが数千冊存在するのだ。片っ端から総当たりでそれを探し出すことなどできない。
さらに言うならそれがどんな種類の、何に関する伝言なのかもよく分からないのだ。探しようがあるまい。
「この石像、手に何も持ってねえよな。ルカ、ちょっと竪琴貸してみてくれ」
そう言われたルカがスケロクに竪琴を貸すと、彼は石像に竪琴を持たせてみた。当然何も起こらない。
「ワルプルガの竪琴とか言ってたからなんかあるかと思ってたんだけどよ……」
しょんぼりとした表情でルカに竪琴を返す。いくら何でも当てずっぽうが過ぎる。確かにジャンカタールで手に入れたルカの竪琴はそんな名前が付けられてはいたが、直接の関係はない。石像と違って木製の竪琴が一万年も持つはずがないのだ。それはおそらくレプリカか、せいぜい名前に由来があるだけであろう。
「全然分からないわね……ルカくん、なんか曲弾いてみてよ。こう……なんか音楽の力で、なんか起きるかも」
やはり当てずっぽう。「なんか」ばかりである。
ルカの方もそんな無茶振りをされたってなんの曲を弾いたらいいのか全く分からない。仕方なくいくつか簡単なフレーズを爪弾いてみたものの、当然何も起こらない。
「どうする? 片っ端から本を調べてみっか? ヴァルモウエの文字だけチョイスすりゃそこまで多くはねえと思うけど……」
そう言ってスケロクは床の本を一冊取る。すると当然ながらその下にも本が出てくる。これだけの建物を支えるほどの本の山なのだ。生半可な量ではない。ここからランダムで探すというのか。あまり現実的な案ではないだろう。
とはいえ、これをパスして進むなどということはもっとあり得ない。ルカは石像の正面に立つ。石像本体はルカの身長よりも少し小さいくらいではあるが、一段高く作ってある台座の上に安置してあるため少し見上げる形になる。
「この部屋は……何の部屋なんでしょうね」
ルカの問いかけは誰に対して話しかけたものなのかはよく分からなかったが、各自考え込む。この部屋の表象的な謎を探しはしたが、この部屋自体が何か、などとは考えていなかった。
「礼拝室?」
口を開いたのはグローリエンである。スケロクは「おお」と言ってぽん、と手を叩いた。
何もない部屋の奥にぽつんと石像がある。ワルプルガの像も特に修道服などではなかったために気づかなかったが、確かに礼拝室に似ている。スケロクもヴェルニーも宗教施設には縁がないため気づかなかったが、彼女は魔導士として一通りそういった物にも目を通しているため気づいた点だ。
「この部屋と石像をもしバルトロメウスが作ったとしたなら……」
ルカはうろうろとその辺を歩き回り、やがてあることに気づいた。
「この二か所だけ少しへこんでいるな……」
乱雑に本が並んでいるように見える部屋ではあるが、像の正面、二か所が少しへこんでいることに気づいた。肩幅よりも少し狭い間隔。
「いや……違うな」
ルカはまずそのくぼみに両足を置いてみたが、否定の言葉を浮かべて一歩下がる。
「僕が、ヴァルモウエ人なら、どうする……?」
「は?」
グローリエンが疑問の声を浮かべる。
元々彼らにとって世界は『ヴァルモウエ』しかないのだから『ヴァルモウエ人』などという言葉はないのだが、しかしそんなことをわざわざ言わなくともルカは『ヴァルモウエ人』のはずである。その自分に対して「もしもヴァルモウエ人だったら」とはどういうことなのか。
「グローリエン、静かに」
しかしヴェルニーが彼女の手を引き、ルカの思索を邪魔しないように言った。彼は今、何か掴みかけているのだ。
「バルトロメウスはどう考える? ヴァルモウエ人がこの部屋を訪れ、聖人ワルプルガの石像を見つけたなら」
ルカはさらに深く入り込む。
「僕は……ヴァルモウエ人だ。敬虔なヴァルモウエ人。彼らがどんな宗教観を持っているかは分からないが、聖人ワルプルガはこの世界の成立に深くかかわった人物。魔竜王バルトロメウスが深く愛するほどの慈悲と美しさを持った、ただ一人の人間。同じ種族の『ニンゲン』である僕が、この不思議なダンジョンの中で、聖人の像を見つけた……」
「ルカ」としての立場で喋っているのか「ヴァルモウエ人」として喋っているのか、それとも「ヴァルモウエ人を想定するバルトロメウス」としての立場で喋っているのか。ルカはまるでトランス状態になったように虚ろな目でぶつぶつと喋っている。
実際には聖ワルプルガの名は、すでにヴァルモウエでは忘れ去られ、数少ない残滓としてその竪琴に名を残すのみ。誰も彼女の事を覚えてなどいなかった。しかしそんなことは今は関係ない。
もしバルトロメウスならば、「ニンゲン」はワルプルガに対してどういった念を抱くと想像するのか。
「聖ワルプルガよ……」
ルカの瞳から涙があふれ、石像に相対する。両手を合わせ、神に祈るように像を見上げ、そして膝をついた。
先ほどの二つのくぼみ、それは跪いた時に膝を置く場所であった。多くの人が日に何度も膝をつく協会の礼拝堂などではこのように床がへこんでいることがよくある。
そしてルカはそのまま上半身を伏せ、石像に対して土下座するように礼拝をした。
「これか」




