ほとんど死んでいる
こいついっつも死んでんな
「し、死んでる……」
ルカの体を仰向けにして、スケロクが喉に指をあてる。
止まっている。
心の臓が動いていないのだ。
スケロクやグローリエンとの違いがどこにあるのかは分からないが、二人は胸の痛みを訴えただけなのに対し、ルカは意識を失って倒れこみ、そして心臓も呼吸も止まってしまっているのである。基本的にはこの世界で「死」と定義される現象。
「じょ、冗談だろルカ!? てめえ何回死ねば気が済むんだよ!!」
「ルカ君! ルカ君、目を覚まして!!」
ヴェルニーがルカの体を揺さぶり、体をばしばしと叩く。急激な心停止などに対して行われるヴァルモウエでの蘇生法の限界。体を刺激したり温めることで循環器系を復活させようという試みであるが、その成功率は非常に低い。
そして以前にも、ユルゲンツラウト子爵との戦いの前に述べた事であるが、この世界に蘇生魔法などというものは存在しない。
「どいてください!!」
その時、この知の館の主人である少女がヴェルニーを押しのけた。鳩尾の少し上に手のひらを重ね合わせて置き、腕を真っ直ぐにして体重をかける。
「何を!?」
「胸部圧迫で心臓を再起動します! あなた達はルカさんに触れずに呼び掛けて!」
少女はすぐさま一定のリズムで体重をかけて胸部を圧迫する。
「ルカ君! ルカ君、目を覚ましてくれ!!」
少女は黙々と胸部を圧迫し続ける。
「こ、こんな蘇生方法、見たことない……本当に大丈夫なの?」
グローリエンの問いかけに応える者などいない。
大丈夫かどうかなど誰にも分からないのだ。ただ少しでも可能性があればやるしかない。
「んむっ、ゴホッ……」
その時、心臓マッサージの効果が表れ、瞬間的にルカが目を覚まし、せき込むように息を吐き出した。
「ルカ君、大丈夫か!!」
「ごほっ、こほッ……」
まだ喋れる状態ではないものの、ルカは何とか自発呼吸を再開し、体を支えようと腹と首に力を籠める。
「ぅ……胸が、痛い……」
「ふう、良かった。何とか蘇生できました。胸が痛いのは多分胸骨が折れてるからです」
「ええ? いったい何が?」
ルカは無理に体を起こそうとしたところをヴェルニーに諫められ、とりあえずは床(本)の上に寝て安静にする。
「例の『胸の痛み』よ。あなた心臓が止まってたのよ?」
自分の身に起こった異常事態に恐怖してか、それとも先ほどまで心臓が止まっていたせいか、ルカは青い顔をしている。
「君、本当にありがとう。僕は冒険者のヴェルニーという。こっちはスケロクと、グローリエンだ。感謝してもしきれないよ」
「あ、どうも。私はコルヴス・コラックスといいます。この屋敷の主人です」
やはり、彼女こそが知の番人であったようだ。
「ごつい男みてえな名前だな。それにしても、さっきのはいったい何したんだ?」
「ちょっとスケロク! 助けてもらったのにそんな言い方ないでしょ」
雑な口の利き方はいつもの事ではあるものの、グローリエンが諫める。しかしコルヴスの方は特に気にしていないようではある。
「ああ、別にいいですよ。もともと私個人の名前じゃなくって部族の名前でしたし……で、何したか、でしたっけ。あのですね、心臓っていうのは血液を全身に送る臓器なんですが、結構デリケートなんで止まることはよくあるんですよ。それを外部からマッサージして、動かす手伝いをしてあげたっていうだけです」
ヴァルモウエの応急処置の常識にはない知識である。まさかそれをもってして「知の番人」であるなどと称するのはいかにも短絡的な考えではあるものの、しかし自分達にない知識であることには違いない。
「本当にありがとう。仲間の命を助けてもらって、何か恩返しできるものがあればいいんだが……」
あらためて感謝の意を示すヴェルニー。ルカが倒れたときは大層取り乱していたが、今はもう大分落ち着いたようだ。コルヴスの方は困ったような表情で手を振って「おおげさだ」と言って笑った。
こうしてみると十代前半くらいの普通の少女にしか見えない。「知の番人」などというような大層な呼び名に似つかわしくない、年相応の笑顔である。
「助けてもらった上に質問を重ねて悪いんだけど、この世界はいったいなんなの?」
「さあ?」
あいまいな答えを返したのは他ならぬコルヴスである。
「私も細かいことは分からないんですよ。ただ、おそらくはアカシックレコードと呼ばれているものではないかと」
「アカシックレコード?」
聞きなれない単語を復唱してヴェルニーがグローリエンに視線を送る。物知りな彼女ならば何か知っているのではないかという期待。
「聞いたことはあるけども……」
グローリエンは何とも難しい表情をしている。
「過去と現在と未来、世界の全ての記憶と感情が記録されている場がある、とか……」
そう言ってグローリエンはあたりを見回す。
視界には本、本、本。
確かに情報と言えば本かもしれないが、思っていたアカシックレコードのイメージとは随分と違う。そもそもそんな膨大な情報を本という形で記録した場合、すでに大量の本を視界に収めている彼女らではあるが、そんな有限な媒体で記録しきれるのかどうか。
「ここは、物質的なフィールドではありませんから」
「と、いうと?」
「あくまでも『本』はあなた達の『情報』に関するイメージ。実際に誰かが書いたわけでも、誰かが並べたわけでもないです」
「物質ではない、というのは?」
こんな奇妙な空間に置かれて、一番質問をしたいのは好奇心の強いルカであったが、彼は胸骨の治療のために呼吸を整えて魔力を溜めている。代わりに質問したのはヴェルニーだ。
「現実にこんな世界が存在するわけではなく……ううん、少し説明が難しいですね。例えばこの世界には他に動物もいないし、食べ物、植物もなければ水もない。こんな世界で私が一人で生きてるのはおかしいと思いませんか?」
確かにそうである。
先ほども思ったのだ。「この世界は、今までの世界とは決定的に違う」と。バイオスフィアが形成されていないのだ。そんな世界で生きていけるはずがない。
「でもね、お腹も減らないし、喉も乾かないんですよ。排泄の必要もない。これは多分ですが、おそらくもう私自身が『観念的な存在』になってるんでしょうね」
「観念的な存在、とは?」
しかしどうにもヴェルニーからすると的を射ない、というよりは何を言っているのか全く理解の範疇を越えている話である。
「まあ、多分私はもう死んでるんだと思います」




