まっくら森の空
ルカは空を見上げた。
真っ暗な空を。
星一つ見えない漆黒の闇はどこまでも続いているようでもあり、手を伸ばせば何か天井にでも触れそうでもある。そして次第に自分が空を見上げているのか、それとも地面を見下ろしているのかも分からなくなる。
感覚が狂って酔ったようになり、彼はその場にへたり込んでしまった。
「空に太陽があって、熱も感じるっていうのに、何も見えないなんて」
「シッ!!」
直後にスケロクの声、それと同時に風を切る音と、次いで何かが地面に倒れこむ音、そして地面の上を滑る音が聞こえた。
「なっ、何が!?」
「野郎、とうとう姿を現しやがったな、ここで会ったが百年目だぜ!!」
バサバサと鳥の様な生き物がもがく音と、スケロクの声だけが聞こえる。スケロク以外は何が起きたのかを全く把握できないでいる。
「カマソッソだ! こいつ、性懲りもなく俺達に襲い掛かろうとしてやがった!!」
「ち、違う! 違うって! あんたらを見つけたから声かけようと思って近づいただけだって! ほら、マツヤニもちゃんと持ってきたぜ」
ほら、と言われても何も見えない。
「マツヤニ! よかった、マツヤニ持ってきてくれたんですか! もうホントに不便で不便で」
しかしこれはルカにとっては確かに朗報であった。この半年間の不便な生活と、首が取れるたびに痛い思いをして再縫合されていた生活からやっとおさらばできるのだ。
「……でも、いいのか? もう無頭人のネタとかできなくなるぜ?」
「僕の首を宴会芸かなんかだと思ってます?」
迷惑な話ではあるものの、振り返ってみればルカの宴会芸で何度か危機を乗り切ったことがあるのも事実である。
とはいえ「治さない」などという選択肢はあるまい。いまいち信用はできないものの、ルカはカマソッソにマツヤニを使った治療を依頼した。
「いいか? 変な真似しやがったら速攻で首を刎ねるからな。暗闇の中だからって舐めんじゃねえぞ」
「しねえよ、そんなことぉ……」
やはりカマソッソは暗闇の中の行動が全く苦ではないようで、器用にルカの縫合を外し、首と首の間にマツヤニを塗っていく。
「しっかし……こんな状態でよく半年も生き延びられたな……」
自分で首を刎ねておいて言うことではないが、確かにその通りではある。
「さて、塗り終わったぜ。これで数日すれば元通りくっつくはずだ。俺は手先が器用じゃないんで、縫って固定するのはあんたらがやんな」
「スケロク、暗闇の中で私やる自信ないからあんたやってくれる? その間私はこのコウモリと話してるから」
「おう、まかせろ」
スケロクは暗闇の中でも手際よく針に糸を通し、器用に縫合に取り掛かる。さて、一方グローリエンの方は音を頼りにカマソッソの方に向き合う。
「ねえ、この世界っていったいなんなの? 何でこんなに暗いのよ」
「はあ? これで貸し借り無しだろ? 何で教えてやんねえといけねえんだよ」
「あのねえ、こっちゃ半年も不便を強いられたのよ! 利子ってもんがつくでしょうが。あんたがこの世界の出身じゃないのは分かってんのよ。こんなとこぶらぶらしてんならなんか知ってんでしょ」
カマソッソは大きくため息をつく。どうやら観念したようだ。もとより知っていることを教えるだけで何の不利益があるわけでもない。
「いや、ここにいんのはただ水が合うからってだけだけどよ……まあでも『下の奴』に少しは聞いてるがな」
「下の奴?」
「なんだ、まだ会ってねえのか。ってことはガルダリキ側から来てんのか? なんでまた?」
「質問してるのは私よ!」
別にこちらも知られて困る内容ではないのだが、単に面倒だから話したくないだけである。とりあえず「下の奴」の話はいい。このまま進んでいけばいずれは辿り着くところなのだ。
それよりはこの世界は一体何なのか。まあそれもどうせ通過するだけの世界なのだから関係ないと言えばないのだが、すでに冒険者の好奇心を刺激してしまったのである。
「別にそう難しい話じゃねえ。この星は上空に特殊なガス帯が展開しててな。それが可視光を全部分散させちまって、地表まで届かねえってことらしい」
「かしこう?」
「あっ、可視光、分かんない? ごめんね。ちょっと難しかった?」
「わ、分かるっちゅーねん! ただちょっと、あれだ。ふぅん、そうなんだ。シウカナルでは『かしこう』って言うんだ。私達とはちょっと言い方が違うんだなあ、って思っただけよ」
こいつ絶対分かってないな、とは思いつつもカマソッソはあえて乗ることにする。
「ふうん、じゃヴァルモウエじゃなんつうの?」
「それはあの、あれよ。ドコサヘキサエン酸よ」
「どこ、なに?」
「それはもういいのよ! それより、光が届かないならなんで暖かいのよ!」
「だから、ドコサヘキサエン酸が届かないだけで赤外線や紫外線は届いてんだよ」
「ドコサヘキサエン酸は青魚でしょうが!!」
意味の分からないキレ方をするな。
「んで、当然この星にいる連中はそれに適した進化をしている」
「進化?」
「もしかして『進化』って分かんない?」
「はぁ!? わからない? この私が!?」
― 中略 ―
要するに、この惑星の特殊なガス帯によって可視光が地表まで届かず、赤外線や紫外線などだけが地表に届くらしい。
そしてこの世界にも住人がおり、彼らは赤外線や紫外線、それに他の電磁波を「見る」ことで世界を「視る」ことが出来るというのだ。
「ふう~ん、世の中いろんな世界があるものねえ……」
「まっ、詳しいことが知りたきゃ『下の奴』に聞くことだな。難しすぎてほとんどの話はちんぷんかんぷんだがな」
「はっ、まあコウモリ如きにはちょっと難しい話でしょうね!」
この流れでそんなマウントの取り方するか、とカマソッソは強く感じたものの、この女にこれ以上絡んだところでたいして得るものはないだろうと敢えてスルーを決め込むこととした。
「ちなみにさあ、シウカナルのある階層はあとどんくらい先なの?」
「次の次の階層さ。もうすぐだぜ」
どうやら長かったガルダリキ側のダンジョン攻略もあと少しのようである。
「よしッと、こんなもんか」
どうやらルカの首の縫合もどうやら終わったようである。これでやっと先に勧める、と思ったのだが、何やらスケロクの様子がおかしい。その姿は見えないものの、苦しそうな呻き声が聞こえる。
「くッ……ぅ」
「どうしたの? スケロク!」
「し、心臓が……」




