オメガアジール
その世界は一見してヴァルモウエの風景と変わらないように感じられた。
「自然豊かな……普通の世界ですね」
木の葉の揺らめきに遮られた日の光を見上げながらルカが言う。パッと見たところでは異常はない。まあそれは最初の竜の世界パータラでも同じではあったが、少なくともティルナノーグのような異様な雰囲気は感じない。
「とりあえずは、ペンダントの指し示す方向に進むとするか」
山の中を警戒しながら進む。やはり異常はない。時折感じられる気配も鳥や、せいぜいが小動物といったところ。危険なモンスターも居なければ知的生命体の痕跡も見つけることが出来ない。
「このまま進んでいけりゃ……まあ、ちょっとは何かねえとつまんねえけどな」
辺りを警戒しながら進んでいくと山間の小さな盆地に集落が見えた。後から考えてみれば先ほどのティルナノーグは非常に進んだ文明を持っていると思われたが、この世界はそうでもなさそうである。
ヴァルモウエや、パータラと同じくらいか、いや、土壁と茅葺の屋根を見るに若干遅れているようにも見える。
「どうする? ペンダントのさしてる方向とは若干ズレてそうだけど、ちっと寄ってみるか?」
「んん……」
渋い表情を見せるルカ。正直上の二階層は両方とも現地住人とコンタクトを取ったらろくなことにならなかったのだ。結果論ではあるが。
安全策をとるのならここはスルーして次の階層へと進むことだろう。しかし冒険者としての本能が、それを許すだろうか。
「当然! 訪問するに決まってるじゃない!」
やはりグローリエンはそんな選択肢など取らなかった。そしてもちろんスケロクとヴェルニーもこの世界に興味を持っているようであった。
「ま、まあ……じゃあとりあえず接触するだけ接触してみますよ?」
先輩達が「行く」と言っているのだから新入りのルカが文句を言うことなどできはしまい。それに、ルカも少しは興味がある。
ここまでの通過した異世界も正直胸糞悪くはなるものの、なかなかおつなチョイスであった。そこはかとなくバルトロメウスの人となりが分かってきたような気がしないでもない。相当性格が悪い。
「おっ、第一村人発見!」
グローリエンの言葉に彼女の視線の先へとみなが目を向けてみると、畑を耕しているらしい男が見えた。
「よう、あんたここの住人かい?」
スケロクが意味のない言葉をかける。畑を耕しているのだから住人に決まっている。
「! ……あんたたちは、ここへ迷い込んだ旅人か?」
理解が早くて助かる。スケロクが声をかけた人間は色黒の大柄な男であった。ヴァルモウエで言うとジャンカタールの人間が肌の色が濃いが、それよりも濃い色をしており、暑い唇と丸い鼻が特徴的だ。何より体が大きい。だがそれ以外は普通の人間である。
男は手を止めて畑の外にいるルカ達のそばにまで寄ってくると、畑の脇に置いてあった革の水筒に入っている水を一口飲み、額の汗をぬぐう。
「たまたま迷い込んだ旅人か、それともどこかから避難してここへ?」
「避難?」
ルカが聞き返すと男は「そうか」と小さく呟いて荷物をまとめ始めた。
「何も知らないんだな。ってことは迷い込んだ方か。ちょうど昼飯に帰るところだったんだ。硬いパンでよけりゃ何か食わせてやるよ」
そう言って明るく微笑む。
ファーストコンタクトで確認することは二つ。
一つは外からくる人間に対して敵対的でない事。もう一つは差し迫ったような危機が無い事であるが、とりあえずはどちらもよさそうだ。
道すがら話を聞くと男の名前はズマといい、近くの小さな家に一人で暮らしているらしい。
「汚いところですまんな。所帯を持ったらもうちょっといい家にしたいんだが」
苦笑いしながら男は食事の準備をする。家の床は外と地続きになっており、扉はなく、簾をかけてあるだけである。ほとんど囲いと屋根を作っただけの外と変わらない。しかしベネルトンの町でも貧民街に行けばこんな家は山ほどある。
しかし男の朗らかな笑顔からは貧民街のような悲壮な雰囲気は感じられない。
「しかしあんたらすげえな。なんで裸なんだ」
笑いながらそう言ってズマはそれぞれにパンを振る舞い、木箱や空き樽を動かして座る場所を作ってくれた。若い男なのだからグローリエンに自然と視線が向くのは仕方あるまい。
「まあ、これは大した意味はねえよ。ここに来る途中で無くしちまったと思ってくれ。それよりここの世界の事を教えてくれよ。なんだ、『避難』って? ここはどんな世界なんだ?」
物おじせずにスケロクは尋ねる。フランクで人当たりのいい性格はやはり斥候としての必要な能力が鍛えられたからなのだろうか。
「ここか」
男はテーブルを指差して、静かに微笑む。
「ここは理想郷さ」
途端に全員が嫌な顔をする。
さもありなん。直前にあんな世界を理想郷などと言われていたのだ当然身構える。持ち上げて落とすのは基本である。どうせこの後にもろくな話が続くまいと心の準備をした。
「ここにいる人間は、みんな元居た世界で差別されていたんだ」
事情が変わった。
何か辛い思いをして、苦しい経験を積んだ人間の言うことなら信用できる気がする。ティルナノーグの連中はダメだ。なんか薄っぺらい。温室育ちのぼっちゃんめ。
「この肌を見りゃあ分かるだろ?」
そう言ってズマは自分の腕をぱん、と叩く、が、ルカ達にはいまいちピンとこない。それもそのはず、ルカ達のいたヴァルモウエも肌の黒い人間はいたものの、巨人やら獣人やらそれ以上の大きな違いを持った亜人が大勢いるのだから肌の色くらい大した違いではないのだ。
しかしピンとはこないものの、言わんとすることは分かる。
実際巨人王国マルセドでは「小人」と呼ばれ蔑みの視線を感じたし、隣にいる非常識エルフからも時折それは感じる。
「この町にいるのは全員俺と同じ種族だ。こんな感じで、みんな元の世界にいた世界で厳しい差別を受けてきて逃げ、彷徨い、そしていつの間にかこの世界へと辿り着いたんだ。だからこそ、この世界の人間にとって、どんなに生活が厳しくても、ここは理想郷なのさ」
ズマは、パンを小さくちぎってから口に入れ、それから少し寂しそうに言った。
「どんなことがあっても、このオメガ・アジールは理想郷なんだ」




