鈴蘭の如き笑み
「ああ……よく寝た、うっ」
今までにこれほどまでに深く睡眠の泥沼の中に沈んでいたのは初めてではないのかというほどに心地よい眠りであった。
ルカは、できればもう少しの間だけこの甘やかなまどろみの中で宙を漂っていたいと思ったのだが、隣で寝ていたヴェルニーに気付いて飛び起きた。
それと同時に窓にかかっていた遮光カーテンがゆっくりと開き、レースカーテンに遮られた柔らかな朝日が部屋の中に差し込む。
如何なる仕組みにてそうなったのかは分からない。それはそれとしてルカが驚愕したのは同じベッドでヴェルニーが寝ていたからである。当然全裸で。
「もう朝かぁ~」
隣のダブルベッドに寝ていたスケロクとグローリエンも眠い眼を擦りながら目を覚ます。
別にスケロクとグローリエンができているわけでもなければルカとヴェルニーが掘った掘られたの関係にあるわけでもない。
グリフィスに借りた客室がベッド二つの部屋だったので全員の「疲れをとりたい」という要望から二人ずつベッドに分かれて眠っただけである。
こんな雑魚寝はダンジョンに潜っていれば日常茶飯事なのだが、ベッドの中で、というのは初めてだったので驚いてしまっただけだ。
「心臓に悪いというか……」
全てはヴェルニーが妙にセクシーなのが悪い。
もう一つ悪いものがあるとしたならば、この寝心地の良すぎるベッドだ。
ヴァルモウエでは麦わらをシーツの中に入れているストローマットレスが一般的だ。昨日聞いたところによると、なんとこのマットレスには水が入っているらしい。
昨夜、森から案内されたこの住宅までの道もルカ達は大変驚かされた。
ルカ達が森だと思っていたものは住宅街の中のほんの小さな緑地スペースに過ぎず、そこから出ると綺麗に区画整理された居住地区が広がっていた。トラカント王国ではそんな計画的な都市は王都の一部の居住区のみであり、それも貴族の屋敷が立ち並ぶ高級住宅街。彼らは目にしたことがない。
地面は石畳でも土でもなく人造アスファルトやコンクリートで綺麗に舗装されており、繋ぎ目も夜の闇の中では見つけられなかった。
魔法を使ったような気配もないのに、何もせずとも照明がつき、声で指示するだけで消える。何もかもがルカ達の想像を超えた未来都市であった。
目の覚めたルカ達はグリフィスに挨拶をし、水で顔を洗う。これも全くルカ達は予測もしていなかったことであったが、水場は家の中にあり、レバーを軽く引くだけでいくらでも水が出てくる。
手早く朝食の準備をして全員で食卓を囲む。ティルナノーグ側はグリフィスと彼女の妻であるシェイマシーナ。どちらも中性的で、驚くような美人であり、そして性格は温厚だ。
「私達から言えば、あなた方の使う『魔法』の方がよほど不思議ですがね」
「え? 一緒じゃないの?」
グローリエンの問いかけにグリフィスは応えず、カップに口を付けてにこりと笑うだけだった。
「チッ、イラつくわねえ。『何でも知ってまっせ』って態度が気に食わないわ」
「グローリエンさんそういうのは相手に聞こえないように……」
この世界に来てからというものグローリエンは妙にピリピリとしている。
エルフは基本的に穏やかで落ち着いた性格の種族として知られているが、それはあくまで自分達の方が長命種で、物知りであるという自負があってのこと。そのどちらかが崩れるとこの有様である。
しかも彼らが衣服を着用しているのにグローリエン達は全裸。なんだか文明人と未開人の差を示唆しているようにも見える。といってもグローリエン達が服を着ていないのは彼女らの勝手なのであるが。
「グリフィスさんはティルナノーグを『この世の楽園』とおっしゃってましたが……?」
ヴェルニーの問いかけを耳に入れながらルカは目の前にある朝食に手を付ける。白い皿の上に乗ったハムとサラダ、それにパンの様な穀物を粉状にして練って焼いたもの。両手に二股のフォークを一本ずつ持ってそれを器用に切り分けて口に運ぶ。シェイマシーナは食器の使い方をルカ達が分からないのを見越して先に使い方を見せてくれていた。
食事の内容も気になるが話の内容も気になる。自分の住んでいるところをよそから来た人間に対して堂々と『この世の楽園』と宣うなどよほどの自信と胆力が無いとできないことだ。
「私達は、不老不死です」
「はぁッ!?」
おそらくは、グローリエンのキレポイントに触れる発言。彼女は自分よりも寿命の長い生物に対して敵愾心を持つ。
「ティトノシスという技術を受けてこのコロニーの市民はみな不老となっています。大けがや病気もナノマシンによる治療でたちどころに治りますし……といっても、ほんの二〇〇年前の話なので、まだ何千年と生きてる人がいるわけではないですがね」
「な、な~んだ。じゃあまだエルフに比べたら全然じゃない。四〇〇年以上生きてから『不老不死』とか言い出してよね」
「グローリエンさんって何歳なんですか?」
「四二歳よ!」
「あっはい」
微妙。
少なくとも二〇〇年以上生きてる可能性のある人間にマウントの取れる年齢ではない。ルカも、そんな若作りといえば人間でも通用するような年齢を誇らしげに言われてもリアクションが取りづらいだろう。
「不死、ってのは?」
「そうですね、試してみますか? 例えばこのフォークで喉を……」
スケロクの問いかけにグリフィスが手に持っていたフォークの切っ先を自分の喉元に当てる。しかしその瞬間にスケロクの腕が稲妻の如く動いた。
「ふぐっ……」
「!?」
刹那。
スケロクがどこかに隠し持っていた棒手裏剣を投擲し、グリフィスの喉を貫いたのだ。鮮血が食卓を華やかに飾る。
しかし脳幹を貫かれたはずのグリフィスは悠々と棒手裏剣を掴み、ゆっくりと引き抜く。
不思議なことに、貫かれた瞬間と違って血はほとんど出ず、鉄芯を完全に引き抜くと即座に傷口は塞がった。
「どうです?」
口の端から血を滴らせながら、グリフィスは笑みを見せる。
「これで分かっていただけたでしょうか」
鈴蘭の如き優しき笑み。




