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謁見

「紹介しよう。我が妻、ワルプルガだ」


「た……太陽?」


 言葉を失う。


 宵の口であったガルダリキの空は歩き続けた結果いつの間にか白んできており、南には明るい光が差し込み始めていた。


 北に見えるのと南に見えるので方角の違いはあるものの、それはまさしくルカ達が毎日見ている太陽であった。


 その太陽を指して、年老いた魔王は『我が妻』と紹介したのである。誰もがその真意を測りかねる。ディフィニットだけが涼しい顔をしている。グローリエンが彼の方にちらりと視線を流して言った。


「どうやら、魔王陛下の御心(みこころ)はすでに神の国に召されているようね」


 要はボケている、との(げん)


 なるほどとルカは合点がいった。ここに来てから受けた少しの違和感。妙に「魔王が軽んじられているのではないか」という印象は正しかったのだろう。一万年もの時を生きてきたのならばそうであっても不思議はない。


 しかし太陽を指して「我が妻」と紹介するなどというのはあまりにもあんまりだ。こんな話は聞いたことがない。


「ここ数十年はもうずっとこんな感じだ。一歩も動かず、日がな一日太陽を見つめて、夜になれば眠る。もう正直長くないんだと思うよ」


 ディフィニットは事も無げに話す。もはや事ここに至っては隠す必要も、本人に憚る理由もないのだろう。


「魔王様、アストリット公爵がヴァルモウエに侵略行為を……」


「アストリット……?」


 それでもルカは当初の目的を果たそうとしたものの、もはやアストリットが誰か、ということすら判然としないようである。仮に覚えていたとしても、もはやそれを止める手段も持ち合わせていないように見える。


 全ては徒労に終わるのか。がっくりと肩を落とすルカ。その拍子に彼の指が竪琴の弦に触れた。ほんの少し。それは鳥の囁きのようなほんの少しの音でしかなかった。


「あなたは、吟遊詩人ですか」


 言われてルカははっとした。


 そうだ。


 まだ終わりではないのだ。もっと重要な問題が残っていたのだ。この世界に何が起こっているのか。世界と太陽の衝突を避けるにはどうしたらよいのか。魔王が太陽のことを「ワルプルガ」と呼んでいたのならば、やはりその辺りも何か知っているのかもしれない。


「吟遊詩人……ってなんだ?」


「え? 知らないんですか。こうやって、楽器を弾いて、歌を歌う……」


 ルカが竪琴に軽く指を滑らせるとディフィニットは珍しそうにのぞき込んでくる。


「それ、武器じゃなかったのか。てっきりゆで卵みたいに敵を輪切りにする奴かと」


 こんなもので輪切りになるか。


「ええと……ガルダリキってもしかしてあんまり音楽を聴いたりしないんですか?」


「そうだな」


 ルカの疑問に答えたのはバルトロメウスであった。最初はそのあまりの大きさに恐怖を感じていたが、落ち着いた、優しさすら感じる穏やかな声だ。


「このガルダリキでは『音楽』という文化はめっきり廃れてしまってな。もしよければ何か弾いては下さらんか」


 どうやら凪の谷底で会ったヴィルヘルミナはかなり特殊な例だったようである。もしくはあの音楽は冥界で学んだものなのか。


 いずれにせよルカは軽く弦を弾いて調律を始める。聞きたいことは山ほどあるのだが、今の状態の彼にどこまで聞けるかは分からないし、何しろ彼の妻の名は何故(なにゆえ)かこの楽器に名づけられたものと同じ。これを単なる偶然で片付けられない自分が心の奥底にいたのだ。


 調律も音楽の一部分であるように前奏と混じりながら曲を奏でていく。弾いているのは凪の谷底で奏でたあの曲。春の訪れを告げる歌。


 やがて弦の音にルカの歌声が乗っていく。漆黒の宵空をだんだんと黄金の朝焼けが染め上げていくように、竪琴と歌声がガルダリキの空気に混じって溶け込み、天へと昇っていく。


「うむ……うむ」


 歌を聴きながら、バルトロメウスは何度も頷いていた。


「うむ、素晴らしい。本当に素晴らしい」


 いつの間にか彼の双眸には光るものが滲んでいた。


「懐かしい。どこかで、遠い遠い昔、どこかで聞いたことのある歌だ。見よ、ワルプルガも喜んでおる。そうだ。彼女は歌が好きであった」


 黄金に輝く太陽にいつもと違うような様子は見られなかったが。


「この曲を、知っているんですか?」


「いや知らん」


 機を外される。


「知らないが……どこかで聞いたことがある。そうだ。確かにどこかで聞いたことが……だが何かが違う」


 世間一般ではそれを「知っている」というのだが、そんな細かいことを言っても詮無き事。


「なああんた。死神の騎士イシュカルスから聞いたんだが、あんたがこの世界を作ったんだって?」


 しびれを切らしたのか、スケロクが単刀直入に尋ねる。


「この世界が元に戻ろうとしてるんだ。あんたにはその手助けをしてほしい。太陽と世界の衝突みたいな惨事を避ける方法、あんたなら思いつくんじゃないのか?」


「元に……? この世界を、私が?」


 あまり色よい返事ではない。一万年もの長きにわたったこの世界、さすがにその始まりを覚えているなどということは無いのだろうか。


 バルトロメウスはぐるぐると視線をあちらこちらへとせわしなく動かし、戸惑っているように見える。やがてゆっくりと目をつぶる。寝てしまったのだろうか。


 その後も何度もスケロクやグローリエンが語り掛けてみたのだが、唸り声をあげるばかりで明確な言葉すら出てこない。まるで底なし沼の泥を掬うような作業であった。


「すまぬ、すまぬ」


「なぜ謝るんです」


 やがて情緒不安定になってきたのか、バルトロメウスは謝罪の言葉を繰り返しながら涙を流した。そこに魔王の貫禄など、無かった。


「思い出せんのだ。妻との大事な思い出が。大切な、約束をしたはずだったのに」


 一同は顔を見合わせる。


「徒労だったかな」


 そしてディフィニットの言葉に俯くしかなかった。結局この世界の成り立ちにも、そしてその世界を元の形に戻すにあたっての方法も、ソフトランディングをさせるという手がかりも、何一つつかめなかったのである。


「とりあえずは、一旦伯爵の元に戻るしかないだろうね。それとイシュカルス。少なくとも頭のはっきりしている奴らに、知っていることを全て吐き出させるしかない」


 苦悶の表情を浮かべながらもヴェルニーが指針を示す。


 死神の騎士イシュカルスは確か『ワルブルージュ』という名を呟いていた。それがもし魔王の言う『ワルプルガ』と同じものを刺しているのならば、何か知っているかもしれない。


「それなんだけどさあ」


 声を上げたのはグローリエン。死神と冥界に、何か気づいたことでもあるのだろうか。


「どうやって帰るの? ワープゲート、こっちについた時から見当たらないんだけど」


「え?」

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