魔竜王バルトロメウス
「心外だな。僕達がえっちな服を着ているだなんて」
「服を着てないって言ってんだよ!!」
振り向いたデーモン、ディフィニットは真っ赤な顔をしており、すぐさまヴェルニーから目を逸らした。
これはいけない。迂闊であった。あまりに自然なことなので忘れていたが、ヴェルニー達一行は今全裸だったのだ。
初めて会った時は爆笑していたヴァルメイヨール伯爵であったが今回は特に何のリアクションも無かったのですっぽりと抜け落ちていた。
「でもまあ……ユルゲンツラウト子爵も全裸だったし……少しはね」
少しではない。
「それに全裸と言っても剣を提げるためのベルトとかはつけてることだし、半裸?」
「半分ってほどでもないでしょう」
「そうか……じゃあ八分の七……いや、十分の九裸くらいでどうだろう?」
割合の問題ではないのだ。
ぶらぶらしてるのが悪いのである。
「はぁ、人間に服を着る習慣がないだなんて思わなかった。とにかく、頼まれてたから魔王の所へは案内しますけど、あんまりぶらぶらしないでください」
ぶらぶらしないのは無理である。着ていない以上、ぶらぶらはする。それは仕方ない。仕方はないのだが、ルカはあることに気づいた。
「これ、有史以来初めての人間側から魔族側へのコンタクトになるんですよね? そのファーストコンタクトが全裸って……本当にいいんでしょうか?」
もう今更そんなことを危惧しても仕方あるまい。そもそも気にしたところで服は脱いできてしまったのだ。文字通り無い袖は振れぬ。
「もちろん構わないさ。むしろ包み隠さぬ僕達の生まれたままの姿をしっかりと見てもらうべきだと僕は思うな!」
「流石はリーダー、良い事言うぜ!」
「濡れてきたわ」
もう収拾がつかない状態である。ディフィニットは赤い顔を隠すようにトップハットを深くかぶり直して再び背を向ける。
「ところで、その『魔王様』はどこに居られるんですか?」
「もう見えてますよ。ホラ」
背を向けたまま前を指差す。その先には月明りに照らされた巨大な山が見える。この山のどこかに魔王の居城があるのか。まさか山自体が全て城などと言うことなどはあるまい。人間の世界、ヴァルモウエでの「常識」に照らし合わせてルカはそう考えた。
「まだ城までは大分距離がありそうですね」
「城? そんなものはないですよ」
世界の北半分を占めるガルダリキの王なのだからそれはそれは立派な城に住んでいるに違いない。そう思っていたルカは考えを改める。
よくよく考えてみればそうだ。南のヴァルモウエも複数の国が乱立しており全てを支配下に置く絶対の王などいない。「魔王」などと言う肩書に先入観が出来ていたのかもしれない。
実際にはある地域の有力な領主程度の可能性もあるのだ。実際魔王はアストリット公爵を制御できていないのだから。
「じゃあ、屋敷か何かですか? とにかく、どのくらい距離があるんでしょうか」
「だから、建物なんかないよ。魔王はもう目の前に見えているって言っているんだ」
彼は「もう見えている」と言っていた。ルカ達は当然それを「魔王の住んでいる場所が見えている」のだと理解していたが、しかし違った。
「本気かよ」
スケロクが苦悶の声を上げる。
そう。魔王は最初から見えていたのだ。
山でもなければ城でもなかった。目の前に展開している巨大な物体。それこそがまさに魔王そのものであったのだ。
認識が少し甘かったのだろう。死神の騎士イシュカルスから聞いて知っていたはずだ。魔竜王バルトロメウスはこの世界を形作った神にも等しきものであると。で、あればこれほどの圧倒的な存在であったとしても不思議はない。
世界の果ての海で見た“繋ぐもの”レヴィアターナにも引けを取らない巨体である。
「さあ、もう少し近くへ。最近の魔王は随分と耳も遠くなって、声も通らないからね」
誰も声を発することが出来なかった。
おとぎ話に出てくるような、巨大なトカゲに翼の生えたような姿。いや、そんな姿なのだろうと推測する。何しろあまりにも大きすぎるためにその肢体を一目に収めること自体が困難なのだ。ましてや今はもう日付も変わった頃かという夜闇の中。果たしてどこまでが体で、どこからがこのガルダリキの大地なのか、それすら判然としない。まるで悪夢を見ているようである。
物語の英雄のように竜を打ちのめして言うことを聞かせるということなどできそうにはない。いやむしろ、これの言うことを聞かずにヴァルモウエで暴れまわっている悪魔公爵アストリットとはどれほどの胆力の持ち主なのか。
ほんの少し身じろぎすれば潰されてしまうではないか、こんなもの。
「魔王様、魔王様。お客人をお連れしましたよ」
まだ心の準備もできていないというのにディフィニットは魔王に声をかける。目の前にある小山は、おそらく魔王の頭部なのであろう。
そう考えているとゆっくりと竜の瞼が開いた。
人の身長よりも巨大な瞳。網膜の裏の反射板が月の光を捉えて緑色に輝く。ルカ達はその怪しげな光に目をしばたたかせた。何しろ大きいのだ。目の前だけがまるで昼間のように明るい。
「魔王様、人間ですよ、人間。ヴァルメイヨール伯爵が言っていたでしょう」
正確には一人がエルフで残り三人が人間。まあ魔族から見れば似たようなものである。
「おお」
ゆっくりと、鈍重な動きで首を持ちあげる。
「人間が、会いに来てくれたと……?」
まるで世界の果てまでも響くような大きく、そして低く響き渡る声。威厳と、そして迫力に満ち溢れている。
レヴィアターナをすでに見ているルカ達でも、本当にこの巨大な山が自律して動くなど想像できなかった。まさに神話の世界の魔王の姿だ。
だが同時に違和感もあった。神話やおとぎ話のように洞穴の中に住んでいるわけでもなければ城にもいない。野晒しで眠っており、そして護衛や従者の一人も居ないのだ。この巨体に護衛など必要ないのかもしれないが。魔王という存在がいくらこのガルダリキにおいて圧倒的な権威であったとしても、世界を御しているわけではないのだろうということが読み取れた。
「魔竜王バルトロメウス様、私は吟遊詩人のルカと申します。私達は、あなたに聞きたいことが……」
「待っておくれ」
そう言って魔王は目を閉じ、そしてできる限り首を高く掲げ遠くを、南の空の向こうを見た。
「その前に、我が妻を紹介しよう」
「妻……?」
いつの間にか空が白んできていた。
南の空には太陽の光が漏れ始めている。あの南の空から、魔王の妻が飛んでくるとでもいうのか。
「世界を照らすただ一つの光。あれこそが我が妻、ワルプルガだ」




