いざガルダリキへ
「……意外と短気ですね、グローリエンさん」
真っ暗なワープゲートの向こう、ルカは立ち上がって空を見上げる。如何にイゴールの案内によりモンスターとの戦闘が無かったといえども一気に第六層まで下ったのだ。ダンジョンの中で時間の感覚がマヒしてはいたが、時はどうやら夜。いや、山の向こうの空が朱の色をほんのりと残した群青。宵の入りといったところか。
つまりは、ダンジョンに入る前は明け方だったのだからどうやら半日経ってしまったようだ。
ルカは陽の残滓と星の光の交じり合う空を見てはっとして、道具袋の中から方位磁針を取り出した。
「南だ」
「なんか見つけたの? ルカくん」
問いかけにルカは興奮気味に答える。
「太陽が南にあるんです、グローリエンさん」
北の大断絶の間を太陽が昇降するヴァルモウエにおいて、太陽が南に位置することは決してない。つまりは確かにルカ達は北の大地、大断絶の向こう、ガルダリキに来たのである。
「何か来るぞ。気をつけろ」
しかし彼の興奮に水を差したのはスケロクであった。軽く膝を曲げてどんな状況にでも対応できるように立ち、腰の帯に(衣服を着用はしていないが帯だけは巻いている)差した小太刀に手を伸ばしている。
彼の言葉にルカも慌てて周囲の状況を確認する。
とりあえず仲間は全員無事なようだ。周囲の風景は見慣れない荒れた岩地ではあるものの、少し殺風景なこと以外はヴァルモウエともそれほど違わないように見える。
「おや、あなた方が伯爵の言っていた『お客人』ですかね」
岩の陰から現れたのはトップハットにローブを羽織った不思議な人物であった。波間に漂うクラゲの如くふやふやと宙に浮いている。足音すら出さないこれの気配にスケロクはよく気付いたものである。
「ああ、そう警戒しないで。ヴァルメイヨール伯爵から話は聞いてるんで。案内人のディフィニットといいます」
やる気のない、おそらく魔人のたれ目の若い男はそう言った。
「あの……魔王に会うためにここに来たんですが、話は通ってるってことですか?」
ルカが尋ねるとディフィニットは背中を見せ、やはりふやふやと宙を浮いてゆっくりと進んでいきながら、背中越しに手を振って見せた。おそらくこれは「ついてこい」ということだろう。
随分とやる気がない。スケロクとヴェルニーもすでに警戒を解いている。
「そもそも、勢いでここまで来てしまったけど、本当に良かったのか?」
ディフィニットの後ろをついて歩きながら、ヴェルニーが小声で尋ねる。
「魔王のいる場所につく前に、今までの情報をまとめた方が良さそうね」
グローリエンの提案によって、歩きながら現在分かっている情報をまとめることにした。結局伯爵は確定的なことは何も言ってはくれなかったのだ。
現在の問題点は二つ。
アストリット公爵がヴァルモウエに対して敵対的であり、侵略を試みていることと、死神の騎士イシュカルスから聞いた通り、世界が元の状態に戻り、北と南の大地が繋がり、そこへ太陽が衝突するかもしれない事である。
「イシュカルスは『あるべきものをあるべき姿に返す』って言ってたわね」
「ええ。そして、ワルブルージュの魂を奪い返す、とも」
ルカは言いながら自身の弦を張り直した竪琴を見る。ワルプルガの竪琴という名が、彼の行っていた『ワルブルージュの魂』と何か関連があるのか。そう考えるとダンジョンの第八階層からレヴィアターナの所へと飛ばされたのも何か意味がある気がする。あのダンジョンはバルトロメウスが作ったのだから。
「僕が思うに、ワルプルガとは、人の名前ではないかと……さらにいうなら、伯爵のように魔王と深い仲にあったんじゃないかと、そう思います」
確か伯爵が竜のダンジョンの人間界に一番近い場所の門番をしていたのは魔王直々に申し付けられたことであったはずである。自分と状況の近かったものを選んでその役目を負わせた、ということは十分に考えられる。
おそらくはその辺りは一万年前の話であり、伯爵も詳しくは知らないのだ。だからこそ明言を避けた。ヘタな先入観を持たせないためかもしれない。
「とりあえずの目的は、魔王からの勅命としてアストリット公爵にヴァルモウエへの攻撃をやめさせること」
それが第一の喫緊の課題である。現在進行形で多くの被害者が出ている問題。これに対してガルダリキ側からの上意としてやめさせる。
本来なら重要度としては逆になるかもしれないが、次が世界の問題だ。魔竜王バルトロメウスからこの世界の成り立ちを聞き出し、そしてそれが元の形に戻ろうとしているのならばなんとかしてソフトランディングさせなければならない。
これが難題だ。
なぜなら何がどうなって世界がこんな形になったのか、結局誰からも確定的なことは聞けていないのである。ルカ達からしてみればこの世界の形が慣れ親しんだ「当然の姿」なのである。
つまり「世界が大変なことになるかもしれないらしいんスけど、なんか知らないスか?」と聞きに行くようなものである。具体的な話が何もない。「はぁ?」と返されたらそこで話が終わる。非常に聞きづらい。
しかしまあ伯爵も言っていた通りここは当たって砕けるしかあるまい。
「ディフィニットさんでしたっけ? こっちでは、人間ってどういう扱いなんですか?」
ルカは尋ねてみるが、答えはなくやはり背中を見せて前に進むのみ。あまり人間に興味が無いのだろうか。
考えてみればそうかもしれない。そもそも北と南でほとんど交流などない状態なのだから。伯爵の夫のようにガルダリキ側に人が迷い込むことなど超レアケースであろうし、魔人側も一部の好事家がヴァルモウエ側に顔を見せることがあるだけだ。
そんな状態で相手側に何か感情を持っているということ自体あまりないのかもしれない。
「魔王バルトロメウスってのはどんな人なの? っていうか本当に魔王に会えるって話通ってるのよね?」
はっきりと言えば状況がまるで分らない。伯爵からは「とにかく行け」と言われたものの、事前の説明が何もないのだ。こんな状態で行って、何を話せばいいのか。グローリエンはそこを聞きたいのであるが、このディフィニットという男からはまるでやる気が感じられない。
今の問いかけにも答えず、背中を向けたまま手をひらひらと振っているだけだ。
もしかしたら人間にまるで興味というものが無いのかもしれない。そこまで無関心なのか。それとも彼の個人的な性格なのか。
いや、いずれの場合であろうとこの態度は酷いだろう。こちらが問いかけているというのにまるで無視なのだ。
伯爵との掛け合いからこっち腹立ちの収まっていなかったグローリエンは少し怒気を孕ませながらディフィニットの肩を掴んでぐいと引っ張った。
「ちょっと! 聞いてるんだからせめてこっち向いて答えなさいよ」
宙に浮いているディフィニットは簡単に体を反転された。その顔はなぜか真っ赤に火照っていたのだ。
「あんたたち、なんでそんなえっちな格好してるんだよ!!」




