嫉妬
「あああああああああああああああああああああ!!」
突如として大声を上げたガルノッソが手を振り上げ、ルカに襲い掛かった。
鋭い爪が振り下ろされるが、今一歩のところで弾かれる。少し距離があったが、ヴェルニーの剣の切っ先がルカを守ったのだ。
完全に油断していたところであった。
誰もが今更彼が攻撃に転じるとは思っていなかったのだ。ほんの少し反応が遅れれば、ルカは深刻なダメージを負っていたかもしれない。たとえば服を着ていたりだとか。
「ガルノッソ! 急にどうしたんだ!?」
「急じゃねえよ!!」
ガルノッソの身体を覆っていたぼろきれが襲撃の際に宙へと舞い、奇しくもその場にいる全員が全裸となった。
「俺は……てめえが憎いんだ」
「だから、それについては僕はもう気にしてないって」
「逆だ逆! 俺がてめえを憎んでるってんだよ!! 人の話聞いてんのか」
まだルカはピンときていないようである。
なぜこうまで鈍いのか。本当に、人の悪意というものに対して免疫が無さすぎる。平民に生まれていながら、しかも冒険者でありながら、なぜこれほどまでに真っ直ぐに育ったのか。その真っ直ぐさすら、彼には憎しみの対象であった。
「俺とお前で、いったい何が違うってんだ。なんでこんな差ができたんだよ! お前の方が、俺よりも下だったはずだってのに! 不公平だ。こんなの納得いかねえ、納得いかねえぞ!」
分かってはいるのだ。
そんなだから自分はダメなのだと。
実際ルカがナチュラルズに加入したのは八割方偶然ではあった。しかし目の前に偶然が転がり込んできたときにそれに手を伸ばすことが出来るかどうか、手に入れる準備ができているかどうかは全てそれまでの行いで決まる。
今の自分とルカを見比べれば、なぜ自分にチャンスが訪れなかったのか、答えは火を見るより明らかだ。
頭ではそんなことは分かってはいる。しかし感情がそれを受け付けない。
結局のところ、あのダンジョンの中での自分の謀略が裏目となって、ルカにいいように作用してナチュラルズの一員となることとなったのだ。
その上マルセド王国の王族と婚約して、一緒に娘を育てているという。それだけならまだしもこんな役得としか言いようのない卑猥なパーティーで活動しているというのだ。
死ぬほど羨ましい。
しかしそれを口には出せない。
「あのデーモンは、俺の心を見透かしやがった。そしてその上で、俺を受け入れてくれた」
「あのデーモン? さっき言っていたイェレミアスとかいう奴のことかい?」
ヴェルニーの問いかけになどもはや答える義理はない。ガルノッソは顔を上に向けると、胃の中からせり上がってきた何かが彼の喉を膨らませ、そしてそれは口内に達したのが見て取れる。明らかな攻撃の前兆。
「グオオッ」
唸り声と共に炎を吐き出すガルノッソ。しかし予備動作が大きすぎた。全員が横っ飛びにその炎を避け、さらにはスケロクの小太刀が脇腹に、ヴェルニーの両手剣が喉元に。
スケロクは刃を止めたが、ヴェルニーは止めなかった。そのまま首を刎ね飛ばす勢いで思い切り剣を振り抜く。
「む……妙な手ごたえ」
だがガルノッソの首は胴体と泣き別れにはならなかった。まるで棍棒で殴られたようにノックバックして、すぐに体勢を立て直したのだ。
サイのように分厚い脂肪と真皮の層が斬撃から彼を守ったのである。
「クソったれめ、何で俺ばっかりがこんな目」
その先を口走る間もなく地表を火花が奔ったかと思うと巨大な炎柱が彼を包み込む。
前衛が敵の足を止めてグローリエンが魔法をぶち込むという教科書通りの冒険者の戦法であったが、ガルノッソは全くそれに対応できていなかった。
「まずいな……ただのトカゲじゃなかったみたいだ」
ヴェルニーが不安そうに呟く。
果たして彼の言った通り、ガルノッソはただのリザードマンなどではなかった。炎の柱が収まった後には灰の一片すらそこには残っていなかったのである。燃え尽きたのではない。完全に消滅してしまっている。
燻っていた地面から一閃の炎がはしり、ルカ達から十メートルほど離れた位置に留まる。その炎はトカゲの形をとり、そして実体化した。
「サラマンダー?」
「ただのトカゲだと思ったのか?」
グローリエンの問いかけに答えつつ。
体は再び炎へと、そして顔だけはガルノッソへと変化する。炎のため息を吐き出す。
「グレーターデーモンに貰った体が、ただのリザードマンの訳がねえだろう」
人の様な、トカゲのようなシルエットが炎に包まれる。
「あいつはいい奴だぜ。こんな俺を憐れんでくれた。願いをかなえてやろうと言ってくれた。『お前はもっと自由なんだ』と、教えてくれた。夢をかなえるための、力をくれた」
「夢? ガルノッソの夢って……」
「復讐だッ!! 俺から全てを奪いやがった! ルカ、俺はおめえをぜってぇ許さねえ!!」
そう叫んだきりまた炎のひものように伸びて、ガルノッソはどこぞへと消えてしまった。
「恐ろしく認知が歪んでいる。元からそういう奴だったのか、それともデーモンが何か仕掛けたのかは分からないが……」
「なんとかして、助けることは出来ないんでしょうか……?」
ルカの問いかけに、ヴェルニーは目を伏せる。それが答えなのだろう。そして、こうなってしまった原因もはっきりとは分からない以上、今できることはない。
「注意した方が良さそうね。人をデーモンに作り替える能力? 本当にそんなものがあるのかどうかは分からないけど、もしかするとリナラゴスも同じ奴にやられたのかもしれないわ」
ガルノッソの立っていた場所の土を撫でるように触って確認しながら、グローリエンがそう言った。魔力の残滓か、そんなものを確認しているのかもしれない。
「さらに言うなら、どうやって心の隙に付け入ったのかは分からないけれど、これからも向こうに取り込まれる奴は増えるかもしれないわ」
「戻って、このことを誰かに伝えるべきでしょうか?」
ルカの問いかけにしばし考えこむ。
確かに、緊急事態ではある。
だが、人間側に裏切りがあり、リナラゴスが異形の姿となっていることは既にギルド側も知っている情報なのだ。当然同じようにこれからも裏切りが発生すること自体は警戒しているはずである。
つまり、ガルノッソがグレーターデーモンの手によって化け物になったといえばそれはショッキングな事態ではあるものの、同時に十分に予測可能な事態ではあるのだ。
今はそれよりも重要な局面を迎えていると言っていい。
「いいかルカ。ガルノッソが心変わりしちまったのは残念だが、ここまでの案内が役に立ったのは事実だ」
ここで引き返してしまえば、作戦は終了し、また最初から。今度はガルノッソの案内無しにダンジョンの入り口まで行かなければならない。
今更引くわけにはいかないのだ。




