バックヤードにて
「裏切り者……ッスか?」
ベネルトンの冒険者ギルド。
おさげの髪の受付嬢アンナとナチュラルズのメンバーが話をしているのはいつもの喫茶スペースではなく裏のスタッフルームである。軽々に周りの人間に聞かれてよいような話ではなかったのだ。
「それも、ワンダーランドマジックショウのリナラゴスさんが、っスか」
ギルドの備品も置かれている控室にナチュラルズのメンバーが集うと当然ながらかなり狭いのであるが、そんな事を言っていられる状況でもない。
「見てよホラ、腕折られちゃったのよ私」
グローリエンの左手は三角巾と添木で固定されている。回復魔法で応急処置はしたものの、完治までには少し時間がかかる。
「リナラゴスさんて、前々からグローリエンさんにねっとりした視線を投げかけてましたスけど、可愛さ余って、てところスかね」
「あいつは確かに『デーモンにこの体を貰った』って言ってたわ」
何か直接デーモン側の動きがあったわけではないしグローリエンもデーモンの姿を見たわけでもない。しかし本人が確かにそう言ったのだ。
「古典的なとこスけど、『悪魔に魂を売った』って、そういうことなんスかね……?」
「とにかくですよ、アンナさん」
いくらここで考えたところで答えなど出ないのだ。
「早くこの情報を展開すべきです。ギルドマスターにも報告お願いします」
ルカが提案した。
正直言ってすぐにギルド全体に報告すべき情報かどうかは判断がつかない。リナラゴスが敵であることは周知すべきであるとは思うが、ギルド内に裏切り者が発生した、というのは混乱をも呼び込む可能性があるセンシティブな情報だ。
「アンナ君、予断を許さない状況ではあると思うんだが、ギルドは今後どう動く方針なんだい?」
ヴェルニーの質問の通り、当然ながら気になるのはそこである。
デーモンが直接的にリナラゴスに対して何をしたのかは分からない。しかし攻勢に転じてきているのは確かなのだ。ギルド側もあまり悠長には構えていられない事態である。
「それは……」
しかしアンナの答えは歯切れの悪いものであった。一介の受付嬢に聞くこと自体が間違っているのかもしれない。
しかし今このベネルトンの冒険者ギルドの指揮権はギルドマスターにすらないのだ。
非常時である。超法規的な舵取りをする人間が必要なのである。
しかし、しかしながらだ。よりにもよって今この冒険者ギルドの、特に対ダンジョンの戦略において最高権力を握っているのがあの“超穏健派”の聖アルバン王子なのである。
完全に人選ミスと言わざるを得ない。
「アルバン王子の元につくのは強制ではないんだろう?」
「えっ、まさかギルド連合から離れて行動するつもりッスか? 確かに強制じゃないスけど……」
もちろんこれは徴兵とは違う、強制ではない。そしておそらくアルバン王子も従わなかったからと言って目くじらを立てる人間でもないだろう。
「今回の件、ただ溢れてきたデーモンとモンスターを叩けばいいという短絡的なものではないし、実際にはそれすらできていない状況なんだろう? ここは少し、僕達に預けてくれないかい?」
ううん、と唸りながらアンナ嬢は考え込んでしまう。正直言えば受付嬢にとっては荷の勝つ問題であろう。しかも相手はこのギルド支部でもトップの実力者たちなのだ。(ルカ以外)
「大丈夫、ある程度勝算あっての作戦だ。あのダンジョンの深部への扉を開いたのが、誰なのか分かっていないわけじゃないだろう?」
「わ、分かったっス。ギルマスには私から話しておきますけど……グラットニィさんにはヴェルニーさんから話してくださいッスよ? あの人最近殺気立ってるから話しかけたくないんスよ」
その殺気立っている原因がまさしくヴェルニーなのだろうからこの要求は当然である。
ヴェルニー達はスタッフルームから出て、そのままギルドの建物から外へと出た。時刻はそろそろ夕刻、逢魔が時である。
「今日はシモネッタさん達は?」
「家で待ってもらってます」
リナラゴスに襲われたという報告、その詳細を伝えるために来たのはナチュラルズのオリジナルメンバーに加えてルカだけである。あまり大人数で来ることもあるまいと、シモネッタとハッテンマイヤー、それに一応付け加えるならメレニーは留守番。
「本当に、所帯持ちみたいになっちゃってるんだねえ」
苦笑するヴェルニー。ルカ達四人は、現在一つの家を借りて一緒に住んでいるのである。
「まあ、子育てのためもありますし、シモネッタさんも祖国からの仕送りがなくなっちゃいましたからね」
元々は巨人王国マルセドの留学生という名目でトラカント王国に来ていたシモネッタであるが、祖国で政変が起きた上に現在マルセドには名目上シモネッタ姫が別にいることになっている。
彼女とジェリド王子、それにモンテ・クアトロがどんな国家運営をするのかは知ったところではないが、とにかく国からの援助を受けられる状況ではなくなったのは確かである。
「なんで、首都の屋敷も引き払って、子育ての件もあるし、節約も兼ねて一緒に暮らそうか、という話に」
「なし崩し的に外堀固められてるわねぇ」
骨折した左手の添え木の位置を直しながらグローリエンがニヤニヤと笑う。
回復魔法によって傷の回復は大分早められるものの、さすがに昨日の今日では完全回復とはいかないのだ。
「それよりヴェルニーさん。ダンジョンの件、どうするつもりなんですか?」
今回のデーモンの襲撃の件、やはり一番確信に近い場所にいるのは彼らであろう。ダンジョンで何が起こっているのかを把握している人間はそう多くはない。
夕暮れの帰り道を歩きながら話を続ける彼らの後をつける者がいた。
リナラゴスではない。
裏切り者は、彼一人ではないのだ。
彼らが思っている以上に、事態は深刻になっているのであるが、他の冒険者は当然、ヴェルニー達ですらそこまでは思い至っていなかったのである。
遠目に見ればぼろきれが風に吹かれて舞っているようにしか見えなかったが、その布の奥には底知れぬ悪意と、羨望と、憎悪の気持ちが渦巻いていた。
憎しみの涙と、怨嗟の唸り声が染み出していた。
「許せねぇ……なんで、なんであいつばっかりが……」




