サン・アルバン王子
「中級魔人を捕まえましたわ! ヴェルニー様はどこでしょう? ヴェルニー様に褒めていただかなくては」
黒いゴシックロリータドレスに身を包んだ金髪の少女……に見えるが、実際には先ほどのヤク中患者の様な男、アーセル・フーシェの弟、ルネである。
「ヴェルニーなら町で休んでるぜ。昨日帰ってきたばっかだぞ。今日の作戦に参加してるわけねえだろうが」
「そうですの、つまらないですわ……」
ルネは露骨に落ち込んだ表情を浮かべながらひょいと指を動かす。暗闇の中でよく分からないが、その指先から何やらきらりと光る糸が伸びているように見えた。
と、同時に藪の中からごろごろと転がってくるものがある。大きさとしては人の身体くらいであろうが、文脈からして確認する間でもなく魔人であろう。白い糸の束に簀巻きにされて身動きが取れないでいる。
外見としてはまさに成人男性と変わらない。紫色の肌をしているものの、レッサーデーモンと違って服も着ているし、何よりその恐怖を浮かべた表情は確かに知的な生命活動を感じさせる。
ベネルトンの町東にある『竜のダンジョン』の付近。彼らは今、ダンジョンの外に縄張りを広げようとするデーモン達を殲滅する作戦の最中である。
作戦の主たる構成員は冒険者ギルド所属の戦士達、指揮官はトラカント王国第二王子聖アルバン。
「しゃべれんのか、こいつ?」
「グラットニィさん、あまり乱暴は良くない。敬意を払うべきですよ」
グラットニィがうつぶせに倒れていたデーモンを蹴っ飛ばして上を向かせるとサンアルバン王子が嗜めた。
人間側の南部ヴァルモウエ地域は北部ガルダリキ地域に国家を認めていない。というよりは北の大断絶の向こうについては魔人が住んでいるということ以外はなにも分かっていないというのが実情である。当然ながら捕虜の扱いに対する規定も何もない。
「規定されていないのなら何をやってもいい」というのがグラットニィの考え方であるし、そもそも冒険者は軍人ではないのだ。グラットニィは王子の言葉に舌打ちでもって応えた。
「ひっ、た、助けてくれぇ」
レッサーデーモンですら尋常の人間よりは遥かに強いはずであるが、ミドルデーモン以上と思われるこの魔人は情けない声を上げた。
「なんだ、人間と変わらねえな。つまらねぇ」
グラットニィはバスタードソードをひょいと投げ、リカッソ(鍔のすぐ先にある刃になっていない部分)を逆手に持つ。とどめに入る仕草であることは素人目にも分かる。
「待ってくださいグラットニィさん」
しかし彼の仕草を諫めたのはまたもサンアルバン王子であった。「敵の情報でも聞きだすつもりか」と考えたグラットニィは素直に従い、剣の刃先を地面に突き立てたが、出てきたのは思いもよらない言葉であった。
「命まで奪うことはないでしょう。言葉が通じるのなら、分かり合うこともできるはず。暴力は何も生みだしません」
その言葉には、戸惑うよりもまず意味を図ることが出来なかった。単語自体は分かる。全て知っている。しかし文全体の意図を読もうとするとまるでゲシュタルト崩壊を起こしてしまったかのように頭の中でバラバラになってしまう。
『ゲンネスト』には中心人物以外に二軍メンバーというものがあり、その中に僧侶もいるのだが、彼は単に「教会に属している回復職」程度の認識であり、そのバックボーンにある宗教や教義についてなど存在を気にしたことはなかった。
というかそんなものが「ある」ということすら知らなかった。
「なんだって? 旦那」
しばらく黙って、足裏でデーモンを弄びながら考え事をしていたグラットニィであったが、改めてサンアルバン王子に尋ねる。
「暴力は、よくありません」
「よくねえってのは……つまり、暴力は悪いってことか」
その通りである。
「新しい発想だな」
彼からすれば今まで考えたこともない考え方であった。しかしではいったい、暴力がだめならどうやって物事を解決すればいいというのか。それが分からない。
「私達には『言葉』があるんですから」
「なるほどそういうことか!」
言われてみればそうだ。
よくよく考えてみれば彼も実力行使に出なくとも恫喝で物事の解決を図ることがあった。そうそう毎回暴力に頼っていては体がもたない。そう思い至ったところで王子が言葉を続ける。
「可哀そうだから逃がしてあげましょう」
「あん?」
再び考え込む。何か重要なところを聞き逃したのだろうか。せっかく捕まえたデーモンを、逃がす? それにどんな意味があるのかが分からない。
「あのなあ、旦那。こいつぁ人間じゃねえんだぜ? 殺さずに拷問しろってんならまだ分かる。殺すのはいつでもできるが、その逆は無理だからな。だが『逃がせ』ってどういうこった?」
もう自分で考えても答えが出てきそうにないので思い切って本人に聞いてみることにした。人間に敵対するデーモン。それも実際に人間を襲って殺したり、時には食したりもする化け物である。それを逃がす意味が分からない。
「太陽神リウロイは赦しと慈悲の神。『赦し』とは神にのみに体現できる大いなる愛であり、我ら人間に出来るのはそれを真似ることだけですが、それが出来ればいつか人も神に近づくことが出来るかもしれません」
「……? こいつが恩返しにでも来るってのか?」
王子の言っていることについては九割方理解できなかったが、自分の中でかみ砕いて尋ねる。
「いいえ。見返りを求めて赦すのではありません。それがリウロイの教えだからです」
分からない。分からないが、この戦闘の指揮官は王子なのだ。グラットニィは地面に刺した大剣を引き抜くとぶん、と地に向かって振る。
するとを拘束していた『糸』ははらりと解け、デーモンは這う這うの体で逃げていった。
「アニキ」
アーセルが耳元で囁く。
「俺ら、宮仕えになったらこんな奴の下で働くんですかい?」
冒険者としてのあがり、その究極の形の一つは王家に召し抱えられることであり、ゲンネストはもうそれが目前であろうと言われていた。
しかし実際に王家の人間と接してみて、そのあがりに一抹の不安を覚えたのもまた事実。この王子が王家の人間の中でも特にイレギュラーな人物であったとしても、だ。
被害が出るからと言って敵の本拠地への突撃も許さない。捕らえた敵は拷問もせずに逃がせという。
ならば、この小競り合いを延々と続けろとでもいうのか。そんなことをすれば結果としては被害が出続け、本来守るべき市井の人間を脅威に晒すこととなる。
一言で言って為政者として不適格。
「もうしばらくすれば、教会経由で私が援助を申し込んでいた『ゲー・ガム・グー』が来ます。彼らならきっと、この騒動も丸く収めてくれることでしょう」




