親子の姿
「キイイィィッ!!」
「お母様!?」
怒りを爆発させたシモネッタの母アルベルタはあろうことかヴェルニーに飛びかかった。少し冷静さを欠いてアルベルタを挑発するようなことばかり発言してしまっていたヴェルニーであったが、さすがに一般人相手に暴力を振るうわけにもいかず、のしかかられるままに床に倒れてしまう。
「お母様、お母様? やめてください!!」
シモネッタが彼女を引きはがすと、交尾を邪魔されたカブトムシのようにしばらくもがいていたものの、やがて冷静さを取り戻して大人しくなっていった。
「こっ、ここまで激情家だとは。グローリエンさんを除けばマルセドで見た人の中で一番ブッ飛んでるかも……」
「ルカくん、なんで私を除外するのかな?」
ヴェルニーからすれば、本当に分からないのだ。孤児である彼は、孤児だからこそ親というものに理想を持ちすぎていたのかもしれない。ただ、普段ならそう思ってもセンシティブな話題に触れないであろう彼が、なぜか今日だけはそこに触れてしまった、というところはあるが。
「放しなさい、シモネッタ。あなた、こんな冒険者たちと付き合ったらだめになるわ。パーティーを抜けなさい!」
ある一面では正しい言葉だ。冒険者など所詮は根無し草の無頼漢でしかない。それはヴェルニー達も理解しているからこそ、この言葉には反論しなかった。少なくとも王族が身をやつすような職業ではない。
「それは……できません」
シモネッタの返答に、アルベルタはヴェルニーを指さしながら叫ぶ。
「非道徳的なのよ、こいつらは!」
それを言われると返す言葉もあるまい。
「私知ってるのよ! このヴェルニーって男と、そこの黒髪の、スケロクって男同士のくせに恋愛関係にあるんでしょう?」
おや、何かおかしな話になっているようである。どうやら全裸の件ではないようだ。しかしよく考えてみれば、先ほどアルベルタはヴェルニーを「ホモ」と罵ったが、いったいそれをどこで聞いたのか。
いずれにしろ、その場にいたほぼ全員が「何を言ってるんだこの女」という表情を浮かべた。
「この本で読んだから間違いないわ!!」
ハッテンマイヤー、著。
「あ……姉さん、それは……」
「ふふふ、びっくりした? ハッテンマイヤー。妹が本を出してるなんて知らなかったから、観賞用と保存用と布教用に二十冊も買っちゃったわ」
布教しすぎである。
「この本にちゃんと書いてあるわ。あんたたち二人が恋仲だってね。シモネッタ、こんな非生産的な連中とつるむなんて、教育に悪いわ。すぐにパーティーを抜けなさい」
教育に悪いのは主にお前の妹である。
「アルベルタさん、その小説は、その、フィクションで……」
「フィクション? そんな馬鹿な。だってこのヴェルニーとスケロクって実在の人物じゃない。じゃあなにルカ君? あなた私の妹が実在の人物で勝手に架空の恋愛を描いて、しかも同性愛者に仕立て上げたとでもいうの? それじゃ私の妹が頭おかしい人間みたいじゃない」
頭がおかしいのである。
「で、でもお母様……」
「シモネッタ、あなたまで! このヴェルニーって奴がホモじゃないって言うの?」
「……ホモですけども」
「やっぱりそうじゃないの」
ちょっとだけ真実が含まれているのが実にタチが悪い。
「いずれにしろ私はナチュラルズを抜けるつもりはありません。たとえお母様の言いつけでも」
話が逸れたが、シモネッタはきっぱりと言ってのけた。ここが、彼女の居場所なのだ。そしてそれは、アルベルタも分かっている。分かってはいるのだ。
「だって……仕方ないじゃない」
ここまでの苛烈な女史としての顔を捨てた、まるで路地裏の迷い子の様な表情。
「歪な親子の姿だ、なんて言われたって、私だって子供を育てるのなんて初めてなんだもの。頭の中にぼんやりと『こんな親子でありたい』って思ったって、思い通りに進めることなんて、できやしないし……私はせめて、この子に王族として恥ずかしくない人に育ってほしいと」
ジェリド王子はかなり恥ずかしい人間だったが。
それは置いておいて、彼女がどんな環境で子を産み、そして育ててきたのかは想像に難くない。宮廷楽師という特殊な身分にありながらも、彼女は平民なのだ。
そしてこの脳筋国家の王宮において、周りからの助けも満足に得られない中、妹の助けはあったものの、孤独に戦ってきたのだ。
おそらくは今の彼女のこの姿が、アルベルタ本来の姿なのだろう。王女の母というペルソナを剥ぎ取れば迷い、苦悩する一人の女の姿があったのだ。
「自分の子供だもの……かわいいに決まってるじゃない。条件付きで愛するだなんて、そんな器用なことが出来るわけないじゃない」
本当は「それでこそ私の子だ」などと、思っているはずがないのだ。
そうであっても、そうでなくとも。たとえどれほど傷ついていようと、無様であろうと、生きていてくれさえすればそれで充分。それが本音なのだ。
ただそう生きるほかなかった。他の育て方など、思いつかなかったのである。
「ごめんね、シモネッタ……情けない母親で」
「そんなことありませんわ」
アルベルタが顔を上げると、シモネッタは赤ん坊をその腕に抱いていた。傷だらけの全身鎧姿に、もうそろそろ首も据わろうかというかわいい盛りの赤ん坊の姿はいかにも不釣り合いであったが。
「あはっ、あ、う~……」
喃語を発する赤ん坊の笑顔に、全てが救われた。
「この子が、まさか……?」
「メレニーといいます。お母様、抱いていただけますか?」
シモネッタから赤ん坊を受け取り、その腕に抱く。記憶の中の、赤ん坊のころのシモネッタに比べると、まるで羽毛の如く軽い、小さな命。
シモネッタもかつては、親の助けなくばたったの一日だって生きていくことのできない赤ん坊だったのだ。
アルベルタはメレニーの笑顔を見、そして視線を上げてシモネッタの顔を見て、そして涙を流した。
もう生きているうちには二度と会うことはできないかもしれない。そう思っていた娘が、こうして会いに来てくれたのだ。そして、命は未来に繋がっていくと、改めて自分に教えてくれたのである。
「分かるわ、シモネッタ。この子があなたの子なのね……」
違う。
赤の他人である。




