逃走
まるで嵐の夜の如き風圧。
周囲の木々が薙ぎ倒され戦いの後にはモンテ・クアトロを中心に小さなクレーターまでもが発生していた。
「むぅ……」
もはやだれも存在しなくなった森の中でモンテ・クアトロ議員が唸る。
「逃げられたか」
そう。その場にはスケロクの影も形もなかった。確かに衝撃波の直撃を受けたはずではあった。しかしスケロクはダメージを受けながらも大きく後方に跳躍し、怪我を負いながらも戦場から離脱したのだ。
尋常であれば虚を突かれて恐慌状態に陥り逃げることなど適わなかったであろう。しかしスケロクは似たような攻撃を受けたことがあった。
竜のダンジョンの第八階層で出会った凪の谷底のヴィルヘルミナ。彼女のギターによる攻撃に似ていたのだ。あれを受けた経験が無ければそのままモンテ・クアトロの追撃を受けていたことだろう。
「ふっ、ふっ……くそッ」
少し離れた場所、スケロクは脚を引きずりながらも必死で逃げていた。全裸の状態で衝撃波を受けてしまったため体中傷だらけである。
呼吸が浅い。どうやら内臓にダメージを受けているようだ。足を引きずっているのもそうだ。おそらくはろっ骨にひびが入るか、折れるかしていてそれを庇うように足を大きく動かせないでいる。
「あんな……厄介な野郎が控えていやがったとは」
ふう、と息を吐き出して木の幹に寄りかかり、膝をつく。クアトロが追ってくる気配はない。念のため木の幹に耳を当て、音を読む。
あの巨体。近づいてくるようであればスケロクの聴力ならば確実に読める。どうやらクアトロは反対方向に、騎士達の方に合流するために歩いて行ったようだった。
それを確信して安心したスケロクは木の幹に背中を預けて体を休める。肋骨は折れてはいるが、内臓を傷つけてはいない。しばらくそうして体を休めていると別の足音が聞こえてきた。覚えのある歩き方だ。
「あっ、いました! いましたよ~!!」
何とも緊張感のない声でドスドスと大きな足音を響かせて近づいてくる女性。巨人族の貴族の娘、ベルナデッタ・サンティである。
「ひゃあ、全裸な上に傷だらけですぅ!」
全裸なのは放っておいてほしいが、大怪我で動けない状態なのは確かである。
「ひゃ、ひゃあ~……ルカさん、ルカさん~」
手で顔を覆うようにして恥ずかしがっているかのようにも見えるが、指の隙間からしっかりとスケロクを見ている。それはともかく、回復術の使えるルカを呼んだのは偶然か、全てを分かったうえでのことなのか、意外に手際が良い。
「大丈夫ですか、スケロクさん!」
「ルカか……わりぃ、ドジ踏んじまった」
まずルカが到着し、すぐ後にヴェルニーにグローリエン、そしてベルナデッタの執事をはじめとするサンティ家の使用人たちも到着した。
「ルカくん、メレニーを預かるよ。スケロクの手当てを頼む」
もはやメレニーもパーティーのメンバーなら人見知りすることなく大人しく預けられる。ルカはスケロクの前にしゃがみこみ、ジャンカタールで手に入れた竪琴「サンタ・ヴァルブルガ」を掻き鳴らす。
透明感のある美しい音色が日の落ちたばかりの森の中に染み入っていく。弦の震えに魔力を乗せ、癒しの祈りを込め、ルカの歌声が響く。リラを手にしたのはルカはこの楽器が初めてであったが、まるでずっと使い続けていた物かのように手に馴染む。
美しくも悲し気な音色はこのリラの特性なのか、それとも何か魔力が込められているのか、そこまでは分からなかったが、前よりも治癒の効果も上がっているように感じられる。それほど遠くない位置にまだ脅威がとぐろを巻いて構えているというのに、辺りには穏やかな空気が流れた。
「ありがとう、ルカ。大分楽になった……その辺に多分俺の服と丸太が落ちてるはずだから、服だけ探してきてくれねえか」
この一瞬でまさか折れた肋骨までが治るとは思えないが、大分怪我の具合も良くなったようであった。すぐにベルナデッタの使用人たちがスケロクの服を探しに行く。
「いったい何があったんだ、スケロク。お前が脱衣してもかなわないほど強いのか? モンテ・ビアンコは」
「いや……」
体力の大分回復したスケロクは事の成り行きを具にヴェルニー達に語った。モンテ・ビアンコは確かにキャストオフしなければならないほどの強さを備えていたこと。
しかし奴はスケロクが斃したのではなく味方によって、モンテ・クアトロ議員によって誅されたということ。そして敵方、議会派のボス、モンテ・クアトロ議員の恐るべき強さを。
「衝撃波を……厄介だな」
「ああ。しかもヴィルヘルミナのような魔力の溜めを必要としねえ物理攻撃だ。予備動作は必要だが、呪文を唱えるのよりははるかに速いと思うぜ?」
スケロクがそう話しかけた相手はグローリエン。動きの鈍重な巨人であれば前衛に時間稼ぎをしてもらってそのうちに大火力の魔法で、と考えていたものの、衝撃波で前衛も後衛も関係なく一度に攻撃されてはたまらない。ましてやその衝撃波を魔法で相殺しようにも予備動作が速いとなればやり様がないのだ。
「シモネッタの大盾を使って衝撃波をやり過ごして、魔法でカウンター……ってところになるかな?」
ベルナデッタの使用人達に運ばせているシモネッタの大盾とメイスを見る。そううまくいけばいいものだが、実戦とは往々にして予測の範疇を越えた事態が起こるものだ。
「とりあえずは、首都に行きましょう! 王子達を追わないと話が転がらないですよ」
話は転がらない、とは元も子もない言い方ではあるが確かにベルナデッタの言うとおりである。どんな方法で助けるにしろ、近くにいなければ何ともならない。別の場所に協力者でもいるのなら話は別であるが。
「裁判に間に合えさえすれば、どうとでもなりますからね」
何とも頼もしい発言である。
「っていうか何とかなりますよ、多分!」
行き当たりばったり。
「っていうか何とかしてくださいね」
そして丸投げ。




