ビブリオバトル
「まだ異見があるという者がいるのなら、わしが法律というものを叩き込んでやろう」
憤怒の形相を再び柔和な笑顔に変え、鈍器の如き法律書を掲げながらモンテ・ビアンコ司法官はそう言った。
異論を挟もうという者など居ようはずも無し。
「公正な法の裁き」どころか司法官の気分一つで正義と悪が如何様にでも決められ、鉄槌を下されよう。諫言などすれば文字通り『法』を叩き込まれることとなる。頭部のひしゃげて地に伏している騎士のように。
近代以前では多くの国では法とはそういうものであったし、下手をすれば場所によっては近現代でもそれは同じである。法に守られた生活を送っているものには認識しがたい事実ではあるが。
「さて、革命裁判を行うとする。お主等は罪人が逃げぬように鎖を引いておれ」
ぐい、と手枷と腰に繋げられた鎖が引かれる。巨人の騎士の力で引かれると、それだけでジェリドとシモネッタは身動きが取れなくなる。
「革命憲法によれば国家の主権とは全てこれ人民に帰属するものとある。貴殿ら元王族はそれらを不当に簒奪した大罪人よ」
「黙れ、簒奪者は貴様らだ!!」
感情のままにモンテ・ビアンコを罵るジェリド。巨人の血がそうさせるのか、直情径行な性格は抑えられないようだ。
「お待ちください。主権を奪った、と言われても私達はこの通りまだ政治に携わっておりませんわ。あまりにも一方的ではありませんか」
「黙れ」
相手に反論を許さない。これのどこが公平な裁判だというのか。公平どころか裁判ですらない。
「貴様ら元王族が飯を食って糞をして、そこまで大きくなれたのは誰から搾り取った金だ? 貴様らは生まれながらにして簒奪者なのだ。これにて公判を終了する。異論のある者は?」
異論を聞くような姿勢を見せるものの、実際にはそんなものなど聞きはしない。シモネッタ達の反論は黙殺するし、味方の騎士が意見などしようものなら先ほどの哀れな男のように叩き潰されることだろう。
「異論なら、ある」
その静かな声がどこから聞こえたのかは判然としなかった。すぐそばで聞こえたような気もしたし、はるか遠くから響いてきたような気もした。
しかし、その声にはっきりとシモネッタは喜びの色を見せた。間違いなく、この声に聞き覚えがあったのだ。
「何者だ、どこに……」
モンテ・ビアンコは首を左右に振って声の主を探すが、見つけられない。
「ビアンコ司法官、後ろ……」
騎士の言葉の通り、彼の真後ろにいたのだ。それはスケロクの姿であった。
「むぅん!!」
後ろを目視するよりも先に右手に持っていた本で薙ぎ払うように背後を攻撃したが、それをスケロクは躱してシモネッタのもとに跳躍した。
「これは……カギを手に入れないとすぐには開けられないな」
手先の器用なスケロクではあるが、さすがに魔法のように一瞬で手枷のカギを開けることはできない。ましてや今は、シモネッタ達の鎖を引いていた騎士たちに囲まれ、そして……
「死ねッ!!」
スケロクを取り囲み、一斉に剣を抜き放っているのだ。だがこれは悪手であった。彼の敏捷性を知っていたならば、たとえ複数名であろうと剣で斬りかかるのではなく、質量攻撃、体当たりで押しつぶすべきであった。
スケロクに剣が届く位置にいたのは三人。しかしスケロクはその斬撃をするりと抜け、彼らの体を踏み台に集団から抜けた。
「内腕刀!!」
しかし、そこを横薙ぎに丸太のような腕が襲う。スケロクはそれをすんでのところで躱したが、彼の周りにいた騎士達は数名一度に薙ぎ倒されていた。四〇〇キロを超える騎士達がだ。
スケロクは体勢を立て直し、小太刀を構える。
「ようやく姿を現しましたか……つけてきていたのはあなただけで?」
ようやっとひりひりと感じていた不快感の正体に出会うことのできたモンテ・ビアンコはやはり笑みを浮かべていた。周囲の騎士は先ほどのように巻き込まれないよう、シモネッタ達の鎖を引いて後ろに下がっている。
実際この場にヴェルニーやグローリエンもいたならば彼らはかなり危なかっただろうが、先行して彼らの後を追っているのはスケロク一人であった。
「これは僥倖。ではフォルギアータの町の光栄兵の件の下手人はあなたということにしましょう」
これが法の番人の吐く言葉か。金看板を掲げてはいても所詮は革命など起こす輩の良識に期待することは無駄であろう。
カラテカは基本は無手の戦いを旨としているが、武記術も豊富である。ヌンチャクにサイ、トンファーなど、持ち運ぶのに嵩張らない、暗器(隠し武器)となるような物を使う場合があるが、彼の場合はどうやら普段から手に持った法律書を武器とするようである。
オーソドックススタイルに左を前に構え、必殺の一撃を右手に持つ本で行うのだろう。
ひび割れそうなほどに二人の間の空気が緊張する。通常であれば得物の長いスケロクが有利であるが、巨人の前ではその利点が十分に生かせるかどうか。
次の瞬間、前に出していたモンテ・ビアンコの足がぶれるような見え方がした。思った以上に速い牽制の左廻し下段蹴り。スケロクは後ろに下がって難なくそれを躱すが続いて左の突きが飛ぶ。他の巨人と比べても一回り大きい巨躯であるが、巨人としての弱点、小回りの利かなさを理解しているのだろう。短いストロークで異次元の回転速度の攻撃が続く。
そのまま今度は右の下段廻し蹴りが出て、今度は左の肘打ちが襲う。のけ反ってそれを躱しながらその挙動と一致するようなシームレスな小太刀の斬撃をスケロクは繰り出すが、右腕に抱えていた法律書に阻まれてしまった。ここまではヴェルニーの時と同じであった。
問題はそこからだ。
モンテ・ビアンコはそこまで読んでいたのだろう。小太刀の刃を受けた瞬間本をひねったのだ。本にめり込んだ刃はほんの数センチであったが、一瞬で巻き取られ、小太刀はあらぬ方向へと飛んでいった。
「言ったろう。『ペンは剣よりも強し』とな。これが法治主義というものだ。法の前に全ての民は跪くのだ」
言葉の意味を理解して冗談を言っているのか。それとも本当にこれが法律の使い方だと思っているのか。非常に判断の難しいところではあるが、唯一の武器を奪われてもスケロクの冷静さは崩れない。
今や無手のスケロクに対し、リーチで遥かに勝る巨人族のモンテ・ビアンコは武器となる者も持っている状態。形勢逆転というよりは不利だった形勢がさらに悪くなったという状況。ビアンコは上機嫌で笑みを浮かべている。
「さて、ビブリオバトルといこうか」




