オギャリズム
一同の間に衝撃、奔る。
「ど……どういうこと、だ? 子供? ルカってあの場にいたパーティー内の人間だよな? たしかに、赤ん坊を抱えてはいたが……」
はっきりと彼女からその言葉を聞いてもジェリド王子はそれを信じられないようであった。
「その通りですわ。彼は私の夫。メレニーは私たち二人の間に生まれた自慢の娘です」
大嘘である。
嘘ではあるが、シモネッタは催眠術による認知のひずみにより、それを真実だと思い込んでいるのだ。
「ふ……ふはははは!」
このやり取りを見ていて嗤ったのはモンテ・ビアンコであった。
「恥知らずな。小人とのハーフだとは聞いていたが、まさか自身も小人と番うとはな。こんな恥知らずが王家を名乗って国の頂上に君臨していたとは。汚れた血を取り入れている王家に正当性などあるか?」
「い、いや、待て……?」
しかしここでジェリドがある違和感に気づいた。
「おかしいだろう? 小人だって妊娠期間はティターン族とそう違わないと聞いたことがあるぞ。お前がトラカントに留学してまだ二、三ヶ月といったところ。そんなに早く子供が生まれるはずがない。あれは誰の子だ」
そう。当然ながら辻褄が合わないのだ。トラカントの冒険者と子を成したというのもおかしいし、国を出る直前の時点で妊娠七か月程度であったはずだが、そんな兆候はなかったはず。
「そういえばそうですわね。でもきっと神様が奇跡を授けてくださったんですわ。そんな事より、搾乳をしたいので手枷を外してほしいんですが」
妊娠期間を短くする、などという微妙な奇跡を授けて神は何がしたいのか。それはともかく。忘れるところであったが搾乳である。もはやジェリドは彼女が母親というのもシモネッタの妄想なのではないかと思い始めているが。
「う、しかし、護送中に手枷を外すのは……」
騎士の一人がちらりとモンテ・ビアンコの方を見るが、しかし当然色よい返事はしない。
「じゃあ、あなたが絞ってくれますの?」
「えっ、いいの?」
まだ十代の少女の、豊満な乳房を絞る……そんなことが一般向け作品で許されるのか。
「いいわけないだろう……仕方あるまい。手枷を外してやれ」
これにはモンテ・ビアンコも折れるしかなかった。護送中に未成年淫行に及んだとなれば議会派の威信も地に落ちようというものだ。渋々ながらも彼女の手枷を外した。
シモネッタはすぐに鎧を外し、鎧下の姿になる。いつも通り、すでに母乳が滲んでいた。そして周りを気にすることもなく鎧下も外し、その豊満な乳房を露出する。全員が彼女に注目しているにも拘らず。
「そうだ、コップか水筒をいただけます?」
まさか? とは思いつつも騎士の一人が水筒を渡すと、さっそくシモネッタは搾乳をはじめ、水筒にそれを入れ始める。
「ほ……本当に母乳が出ている……どういうことなんだ?」
正直彼女の虚言なのではないかと思っていたジェリドであったが、目の前で動かぬ証拠を見せられては信じるほかない。彼は考えを改めた。
「その……出産おめでとう。赤ちゃんの健やかなご成長と家族のご多幸を祈る」
今更ながら出産祝いの言葉である。
「うふふ、ありがとう、ジェリド」
初めて彼女が「王子」とも「殿下」ともつけずに弟の名を呼んだ。これが彼女の妄想でなければ感動的な場面ではあったかもしれない。
搾乳の終わったシモネッタは鎧下と鎧を着込み、そして母乳の入った水筒を差し出した。それを受け取るジェリド王子。これを……どうしろというのか。
「どうぞ」
どうぞとは、飲めということか。水筒の口に鼻を近づけると、何とも言えない甘美な香りがした。正直、飲んでみたい。飲みたいが、どうだろう。
姉の母乳。
これは、水筒でなければかなりエロマンガな展開な気がする。それゆえに、受けかねる。
「だったら私が」
隣にいた騎士がジェリドの持つ水筒を取り上げようとした。
搾りたてほかほかの十代女性の母乳。
「待て、物には順序というものがある。この一団のリーダーは私だ」
なんと、権威をかさに着てモンテ・ビアンコが母乳争奪戦に参戦してきたのだ。
なんということか。人と人との愛の結晶である、平和の象徴ともいえる赤ん坊を育てるための母乳が、争いの種となってしまったのだ。人というものは、こんなにも愚かしいのか。
「ちょっ、放してください、ビアンコ様! 司法官が少女の母乳飲んで赤ちゃんプレイなんて、醜聞ですよ醜聞」
「黙れ! 騎士なら赤ちゃんプレイが許されるというのか」
「騎士だって! オギャりたい時があるんだ!!」
そう。誰もがそれを希求しているのだ。都会の砂漠の中で、乾ききったその心を潤してくれるものは何か。それは一つしかあるまい。誰もが母の姿を求めているのだ。国難にあり、大いに乱れているこの国ならなおさらだろう。
どこかで続く悲しみが、落日の空を赤く染め上げる。震える命が求めるのはただ、安らかな母の胸。
知らぬ間に夜の闇に包まれたとしても、たとえ言葉を失ったとしても。ただ一つの光が、安らぎがあれば生きてゆける。
バブみを感じてオギャる。最高に尊い。
だがそのために争いが起きたとしたらどうであろうか。多くの騎士がこの争奪戦に参加し、もはや場は収拾がつかなくなってきていた。
「司法官殿、あんた既婚者でしょうが! 家に帰ってババアのおっぱいでも吸ってろ!」
「こんのォ!!」
言葉の綾か、感情が高ぶったか。しかしこれは禁句であった。モンテ・ビアンコの逆鱗に触れてしまったのだ。
「不心得者がァッ!!」
一転、モンテ・ビアンコの顔が怒りに歪み、そして彼の持っていた本の背表紙が騎士の頭上に振り下ろされた。
ヴェルニーの剣をも弾く巨人鋼の兜がひしゃげ、黒ずんだ血と、眼窩から零れ落ちた眼球が兜から飛び出る。
一瞬にして時が止まったかのように場は静まり、取り落とされた水筒からは母乳がこぼれ出た。争いの種となった母乳は失われてしまったのだ。争いは、全てを無に帰してしまった。
しばし、沈黙の中に騎士達と司法官の荒い息遣いだけが流れた。母乳の争いで、死人までも出してしまったのだ。
「……すまぬ……ただちょっと、母乳が欲しくて」
さすがにこの事態には意気消沈したモンテ・ビアンコであったが、キッとシモネッタの方を睨んだ。
「この毒婦め。こうなることを見込んでの一連の動きであったか」
こんなことになるなど予見できるものがいてたまるか。
「やはりこやつらは危険だ。ここで始末するべきだな」
「し、しかし司法官殿。あなたの盟友でもあるモンテ・クアトロ議員のたっての頼みで首都で公開裁判を受けさせる手はずでは……?」
遠慮がちに騎士の一人が尋ねる。
それに対しモンテ・ビアンコ司法官は先ほど騎士を撲殺した法律書を目の前に掲げた。まだそれからは血が滴っている。
「なんだ? 異見があるというのか? どうやらおぬしの頭にも法律というものを叩き込まねばならんようだな」




