搾乳
「目当てのものは手に入れることが出来ました。まずは上々な結果というところでしょう。光栄兵を殴り殺したのが何者なのかは気になりますが、私達は首都へ戻ります」
モンテ・ビアンコ司法官は機嫌の良さそうな笑顔を見せて古都フォルギアータの兵達に慇懃に礼を述べてから町を去っていった。
マルセド巨人王国はそう大きな国ではない。フォルギアータから首都ベルネンツェへは山を二つほど越えて、巨人の足なら二日か三日ほどで到着する。
鉄製の枷にその身の自由を奪われた罪人は二人。旧王国の忘れ形見、ジェリド王子と、そしてシモネッタ王女。
マニンゲン(通常の人間種)から見れば異常なほどの大きさのシモネッタも、平均身長三メートルほどの成人ティターン族の男性らと比べると大人と子供ほどの体格差がある。
「首都で、裁判が受けられるのですか?」
「もちろん」
モンテ・ビアンコ司法官はにっこりと笑みを浮かべる。細くゆがんだその眼は人好きのするそれに見えるであろうが、今のシモネッタにとっては恐怖の対象でしかなかった。
「騙されるなシモネッタ。裁判とは名ばかりのリンチにかけられるだけだ。公平な裁きなど期待できない」
過去には自分も自らの妹をその手にかけようとした非道な男である。しかし今のシモネッタには拠り所はこの男しかいないのだ。
「そうですの? 恥知らずな方々なんですね」
彼女の拠り所になるものなど何もない、そう思っていたのだが、彼女の態度には余裕が感じられた。何となく不快な気持ちになったモンテ・ビアンコは兵に彼女らを繋ぐ鎖を引かせた。
「余裕だな、シモネッタ殿」
シモネッタはすでに彼女の父が議会派によって処刑されていることを知っている。その議会派に捕らえられて、公正な裁判も受けられない可能性が高いというのにこの余裕は何なのか。
「私には、仲間がおりますもの」
むう、とモンテ・ビアンコは唸った。
彼女の周りにはあのヴェルニー率いる冒険者の一団がいたことを彼は掴んでいる。ひょっとしたらジャンカタールで同じ山岳派のカラテカのモンテ・グラッパがひどい目にあわされたことも知っているかもしれない。(ひどい目に合わせたのはハッテンマイヤーだが)
山岳派のカラテカというのは横の繋がりはあるものの、何か一つの流派や集団というわけではない。山籠もりを敢行したカラテカに称号的に与えられる呼称である。しかし、確かな実力を持つ山岳派のカラテカが何者かに負けたとなればその噂は少なくとも同じ山岳派の人間には流れてくるものだ。
その、つわものが、フォルギアータの町で捕らえることが出来ず、シモネッタを救助しに来るかもしれないのだ。
モンテ・ビアンコの見立てでは、古都で撲殺された五人の光栄兵も彼らがやったのではないかと睨んでいる。
「できることなら……」
葬列の如き空気を孕んだ陰気な罪人の護送集団の中心で、モンテ・ビアンコ司法官は誰と話すでもなく独り言を呟く。
できることなら、ここで始末してしまいたい。
以前にも言っていたが、彼は司法官であり、行政官ではない。本来ならばこうやって自分自身が出向いて罪人を捕縛することはない。ましてや自分の判断で勝手に罪人を処罰することも。
彼の盟友でもある議会派のリーダー、モンテ・クアトロの強い希望もあり、旧王家の人間は首都で公開裁判を受けさせ、その罪を認めさせるという方針に従ってはいるものの、本音で言えばベルナデッタの屋敷でどさくさ紛れに二人とも殺してしまいたかったのだ。
こうやって山道を歩きながらも、ひりひりと焦燥感を感じる。
何者かにつけられているのではないか、見張られているのではないか。もしかするとこうしている数舜あとには、またあの恐るべき戦闘能力を持った冒険者達が自分達を襲撃してくるのではないのか。そう感じられてならないのだ。
実際、彼らはつけられている。
フォルギアータの町を出る前から、先行したスケロクがずっと彼らを監視しているのだ。
十数人の巨人の騎士たちが護衛をしているものの、誰一人としてその事実には気づいていない。当然と言えば当然。尾行のスペシャリストであるスケロクの存在を認知することなど、野生動物でもなければ不可能なこと。
現在は誰もその存在には気づいていないものの、山籠もりの経験により鋭敏な感覚を持っているモンテ・ビアンコだけが、まるで胸の奥底に折り重なる淀みのように「言いようのない焦燥感」としてその気配を予感している、というだけである。
そんな思い空気を引きずりながら、山道を越えていく。
存在を予感すらしない護衛の騎士どもはジェリドとシモネッタにだけ警戒しているが、モンテ・ビアンコだけはその上にプレッシャーを感じ続けているのだ。
そんな中であった。そろそろベルネンツェの見えようかという峠に差し掛かったところで、シモネッタが妙に苦しそうな表情を見せ始めたのだ。
「すいませんが、少し休憩を入れてくださりませんか」
「どうした。体調不良か」
女性においてはそれまで何ともなかったのに急に体調が悪化する、彼女らに特有の現象があるということは当然彼も知っている。まあいわゆる「女の子の日」というものが来たのかと、彼はそう考えたのだが、シモネッタの言うことは違った。
「もう、乳が張って乳が張って……」
モンテ・ビアンコも、ジェリド王子も疑問符を浮かべた。
どういうことなのか。確かにその日の前になってくると少し乳が張るような感覚がある、ということは聞いたことがある。だがそれが辛くて歩けなくなることなどがあろうか。
「少し、物陰で搾乳をしたいんですが」
「さくにゅう!?」
少女の口から出たのは思いもよらぬ言葉であった。
さくにゅう……さくにゅうとはなんなのか。モンテ・ビアンコとジェリドは頭の中でその単語をリフレインする。当然「搾乳」という単語は知っている。しかしまさかシモネッタがそれをするとは思えないのだ。
「いいですか? お乳が張って苦しいんですが……」
乳。
やはり搾乳なのか。それ以外に考えられぬ。とにもかくにも「さくにゅう」とは何なのかは別として、少女が苦しんでいるというのだ。マッチョイズムの支配する国マルセドの住人としては女性が苦しんでいるというのにそれを放置するわけにはいかない。
モンテ・ビアンコの指示により一同は一旦道を外れて森の中に入る。
「市民シモネッタ。さくにゅうとは……?」
「知らないんですの? 赤ん坊が吸ってくれなくとも母乳は作られ続けるから絞らないと乳が張ってしまって苦しくなるんですわ」
知ってはいる。知ってはいるが、なぜおまえに母乳が出るのだ、というのがその場にいる全員の疑問である。
「し、シモネッタ。どういうことだ。なぜお前……母乳が出るんだ?」
当然の疑問。とうとうそれを耐えきれずにジェリド王子が質問した。
「あら、言ってませんでしたかしら。私と、パーティーの中にいた吟遊詩人のルカ様との間にできたメレニーに母乳をあげるためですわ」




