師弟関係
「まったく……なってないわね」
聞こえるはずのない声が聞こえた。
ここは山岳派カラテのモンテ・グラッパが作り出したNTR幻覚世界。彼が許可した人間しかいるはずのない世界。それなのに正体不明の何者かから声をかけられてモンテ・グラッパは大いに狼狽えていた。
しかしヴェルニーの方はこの声に聞き覚えがある。
「ハッテンマイヤーさん……」
「あの……ッ、人の作り出した幻覚に勝手に入り込まないでもらえます?」
ここまで横柄な態度で喋っていたモンテ・グラッパも思わず丁寧語になってしまう。
それも致し方あるまい。突然何の前振りも説明もなく、ヴェルニーの幻覚世界の中にハッテンマイヤーがログインしてきたのだ。非常識である。
「あなたに足りないものが何か……わかるかしら」
少なくともハッテンマイヤーに足りないものは常識だということだけははっきりとわかる。グラッパの言葉などまるで聞こえないというふうである。
しかし彼女の相変わらずの強キャラ感にモンテ・グラッパは完全に気圧されていた。まったく彼女に言い返すことが出来ない。
「あなたに足りないもの、それはホモよ」
「ほ……ほも?」
恋愛経験が足りないだとか女心が分かっていないだとか、そんな十人並みのもっともらしい説教など彼女がするはずがない。
「男女の恋愛を枠組みとした発想では、ホモ心を理解することはできないわ。決して、ね」
「な、なんだとぉ? 何が違うってんだ。男女の恋愛と男同士でそう違いなんかあるはずがねえだろうが!」
「そうね、例えば『ブロマンス』という言葉を聞いたことがあるかしら?」
「なにぃ!?」
当然ながらグラッパはこの言葉を初めて聞いたようであった。
ブロマンスとは簡単に言えば恋愛や性愛に至らない男同士の友情や、それ以上の関係を指すものであり、それは時には男女の愛すらも凌駕するものである。
だが、読者の方々には勘違いしないでほしいのだが、これはあくまでもBL用語であって、ホモ用語ではない。BLで得た知識を以て意気揚々とホモの世界に飛び込んでいって「私はアライ(※)よ」みたいな顔をして仲間づらしていると煙たがられること間違いなしなので御注意願いたい。
※アライ:LGBTのカテゴリの一種で、彼らを理解し、支える味方のことを指す用語であるが、そもそも活動家でない同性愛者はアライどころかLGBT活動家自体を嫌っていることも多い。
「なっていない。まったくなっていないわ。あなたには基本的な知識がまず足りていない状況ね。そんな状態で真のNTRをキメられると思っていたなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」
「くっ、しかし、本当にホモの知識なんて必要なのか? 基本的には男女と同じなんじゃないのか? 俺だって少女向け恋愛小説は相当読み込んでいるぞ」
「むしろ逆よ。BL小説を読み込んでいけば、その他のジャンルは不要と私は考えているわ。なぜならば、この世界の事象はほとんどが、ホモで説明できるからよ」
新説である。
「たとえば、太陽。北の大断絶の間に毎日昇降しているわね」
「そ、それがどうかしたのか!?」
戸惑うグラッパをハッテンマイヤー女史は鼻で笑う。
「二つの大地の裂け目に、命の源である太陽が出たり入ったり出たり入ったりしている……これはなにかのメタファーではないかしら」
「!!」
世界の仕組みをメタファーで説明するな。そしてそんな意味不明な説に衝撃を受けるな。
「男性は陽気、女性は陰気で示されるけれど、この世界で対になっているヴァルモウエとガルダリキは常に同じタイミングで昼になり、そして夜になる。これは、本来同性愛こそが正しい愛の姿だということを示してはいないかしら?」
「!!」
そんなわけないだろいい加減にしろ。
「先生! 先生と呼ばせてくれ!!」
しかしこのモンテ・グラッパという男、相当アホなのか、このわけのわからない説明で説得されてしまった。けむに捲くような意味不明な説明と、そしてハッテンマイヤーの持つ強キャラ感に圧倒されている部分が大きいのだろうが。
「いいでしょう」
すました顔でそう言い放つと、ハッテンマイヤーはパチンと指を鳴らした。
すると、先ほどまで確かにベネルトン東のダンジョン入り口にいたはずの三人が、チカランの裏路地に戻ってきた。幻覚が解けたのだ。なんなんだこの女。
「モンテ・グラッパ。あなたには素質があるわ。いわばダイヤの原石といったところ。しかし、今のままでは石ころに過ぎない。あなたのその才能、私が必ず花開かせてあげましょう」
「ハッテンマイヤー先生!!」
なんだこの流れ。
と、思ったのは唯一この場で正気を保っているヴェルニーだけであった。
他のメンバーは軒並みモンテ・グラッパの幻魔拳を受けて、未だ精神的なショックから立ち直れない状態であるし、用事があると言ってどこかへ消えてしまったグローリエンはその姿を現してはいない。
「明らかにおかしい」事態が目の前で起こってはいるのだが、しかしヴェルニーが疑問を呈したところでおそらくはハッテンマイヤーとその弟子のモンテ・グラッパの二人に数と勢いで押し切られてしまうだろう。
「ヴェルニーさん」
「んあッ? あ、ハイ!」
いったいなぜこんなことになってしまったのかと思い悩んでいると、ハッテンマイヤーがヴェルニーに声をかけた。
「一ヶ月……いや、二週間で十分です」
何の話なのかが全く分からない。この女は敵の師匠になって一体何をしようとしているのだろうか。意図が全く読めないし、そんなもの無いのかもしれない。
「二週間後、またここに来てください。本当のネトラレというものを味わわせてあげますよ」
そういう流れなのか。
どうやら戦いの場は二週間後に持ち越されたようだ。これからハッテンマイヤーが二週間の間モンテ・グラッパにみっちりとBLの何たるかをレクチャーし、その基本から応用、そして必殺技を伝授し、免許皆伝となった状態でヴェルニーに挑むというのだろう。正直めんどくさい。
「では、また会いましょう」
「先生、お荷物お持ちします」
土煙を巻き上げる風の向こうに、その子弟は消えていった。




