日本に留学した姉が夏の関東煮を食べなくなった訳
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
学校の長期休暇というのは季節を問わずに心が弾む物だけど、今年の夏休みに関しては例年以上に待ち遠しかったんだ。
何しろ日本の大学に留学している五歳年上のお姉ちゃんが、この台南市に大学の夏季休暇を利用して里帰りするんだもの。
もっとも、久々の帰省が待ち遠しかったのはお姉ちゃんも同じだったみたい。
その事に関しては、久々に会う私達家族三人に対する旺盛なサービス精神が見事までに体現していたんだ。
お父さんとお母さんには留学先である堺県の酒蔵が仕込んだという純米吟醸の地酒を気前良くプレゼントしちゃうし、妹の私には「珠竜が好きな物を頼んで良いよ」って夜市で奢ってくれるし。
特に移動ジューススタンドに出くわした時なんか、一番大きいサイズの檨仔思慕昔を景気良く買い与えてくれたからね。
大学の厚生課で斡旋して貰った翻訳のバイトで如才なく稼いでいるそうだけど、お金は大事にした方が良いよね。
一度はそう思って進言したんだけど…
「久々に帰省したんだし、たまにはお姉ちゃんらしい事をさせてよ。」
そんな具合に笑って流されちゃったんだもの、私からは何も言えないよ。
とはいえ折角の善意を無下にする訳にもいかないし、ここは妹らしく御厚意に甘えさせて頂きますか!
そう言う訳で私は、この日もお姉ちゃんに伴われて繁華街へ映画鑑賞と洒落込む事となったんだ。
流石に奢って貰ってばかりなのも気が引けるから、私はポイントカードを引き換えた無料鑑賞クーポンで入場させて頂いたよ。
とはいえ件のポイントカードは堺県立大学への進学を機にお姉ちゃんから引き継いだ物だから、そんなに威張れないんだけど。
「面白かったね、珠竜。酒臭い息を吐きかけられた敵が狼狽えた時の顔も傑作だったけど、そこにクリティカルヒットした鉄山靠の鮮やかな事と来たら!」
「そうエキサイトしないでよ、お姉ちゃん。『必殺泥酔拳』が面白かったのはよく分かったからさ!」
最後尾で鑑賞した功夫映画の高揚感も冷めやらぬのか、お姉ちゃんは随分と上機嫌でクールダウンさせるのも一苦労だったの。
この有り様じゃ、どっちが姉でどっちが妹か分かんないなぁ…
「お姉ちゃんって、本当に功夫映画が好きだよね…その様子だと、向こうでもよく見てるんでしょ?」
軽く肩を竦めながら、私は呆れ半分で問い掛けたの。
何しろ子供の頃のお姉ちゃんと来たら、功夫映画や拳法に対する妙な憧れがあったからね。
特に「おとめドラゴン」とかいう女拳士物のシリーズに至っては、ヒロインの名前が自分と同じ「美竜」という縁もあってか初回上映回や試写会にまで足を運んだ位だもの。
流石に功夫は雑誌の通信教育止まりだったけど、太極拳に関しては高校時代に黒い表演服を誂えるほどに入れ込んでいたからね。
とはいえ件の表演服は、大学の友達と一緒にやっているという漫才の衣装に使うらしいけど。
ところが、お姉ちゃんの返事は意外な物だったんだ。
「それがそうでもないんだよね。この『必殺泥酔拳』より前だと、卒業式の前日に観た『殭屍少林寺』が最後だよ。」
「え…?」
キョトンとした私の表情が面白かったのか、お姉ちゃんは口元に微笑を浮かべながら続けたんだ。
「功夫映画に限った話じゃないけど、日本で台湾の映画を観ようとしたら一苦労なんだ。余程の話題作や超大作でもない限り、大きなシネコンではそうそう上映されないよ。邦画でヒット作が出た時期なんかは、特にね。」
「あっ、そっか…日本だと台湾映画は外国映画って扱いになるんだよね。日本の映画館なら、そりゃ邦画の方を優先するのが人情だよ。」
こうして台南市の町をブラブラしながら喋っているとつい忘れちゃうけど、お姉ちゃんは日本の大学に留学しているんだったね。
空路を駆使したらあっという間に着いちゃうとは言え、海を隔てた外国である事は大きいよ。
「それでも堺県の隣の大阪府まで行けば、アジア映画に理解のあるミニシアターは幾つかあるよ。だけど、そこだって台湾映画ばかり上映してくれる訳じゃないし。ザックリ『アジア映画』って枠組みで括ったら、台湾映画はそのうちの一ジャンルに過ぎないんだ。」
「確かにタイやインドの映画にも面白いのは多いからね。今年の秋に公開されるタイ映画の『大巨人ハヌマーン・リブート』なんか、日本で『アルティメマン』を撮っている特撮スタッフを招聘する程に力が入っているらしいし。そうした各国の話題作との競り合いがある訳なら、日本未公開の台湾映画が沢山出ちゃうのも仕方ないんだろうね。」
その辺りの事情を考えると、帰省したお姉ちゃんが映画館へ行きたがっていたのにも納得出来たよ。
日本だと選択肢の少ない台湾映画も、こっちなら選り取りみどりで大スクリーンで観られるからね。
ネットのサブスクサービスを使う手もあるかも知れないけど、スマホやタブレットの小さい画面じゃ映画館の大きな銀幕には敵わないもん。
功夫物を始めとするアクション映画は鑑賞にもカロリーを消費してしまうのか、シネコンを出た頃には小腹が空いちゃっていたんだ。
この時間じゃ夜市はまだやっていないし、外は蒸し暑いから巷子の屋台で韭菜盒子や淡水風の古早味蛋糕をテイクアウトするって気分でもない。
そういう訳で、エアコンの効いたコンビニのイートインスペースに時化込むのは自然な流れだったんだ。
「日本のスマイルマートだと琉球フェアがやってたけど、流石にこっちじゃやってないね…」
「それは仕方ないよ、お姉ちゃん。仮にこっちのコンビニでサーターアンダギーをホットスナックとして出したとしても、開口笑と差別化出来ないじゃない。」
こんな事をお姉ちゃんと話していたせいか、私の視線は店の中央に設けられたホットスナックコーナーへと引き寄せられていったんだ。
ホットドッグの油や茶葉蛋の八角から漂う香ばしい匂いを嗅いでいると、自ずと食欲が湧いてくるね。
だけど今の私としては、ホットドッグや茶葉蛋よりも関東煮の気分なんだよ。
日本人観光客向けのお店だと「日式おでん」と分かりやすく併記している所もあるみたいだけど、台湾で生まれ育った私としては「関東煮」って言った方がしっくり来るんだよね。
「ゆっくり選んでて大丈夫だよ。私も適当に選んでるから。」
「分かったよ、お姉ちゃん。さてと…どれが良いかな〜?」
スイーツの並ぶ冷蔵ショーケースに向かった姉に応じながら、私は関東煮の什器に視線を移したんだ。
こうして発泡スチロール製の容器を片手にトングをカチカチやっていると、思わず目移りしちゃうよ。
イカ団子や海鮮魚卵捲といった海鮮系で統一するのも面白そうだけど、トウモロコシやエリンギでヘルシーに決めるのも悪くない。
とは言っても、結局はお気に入りの具材に落ち着いちゃうんだけど。
擂甜不辣と米血糕を容器に放り込んだら、後は主食枠の春雨を入れるだけ。
同じクラスの曹林杏さんや菊池須磨子さん達からは「本当に飽きないねぇ…」って言われているけど、美味しいんだから仕方ないよね。
「先に席は取っておいたからね、珠竜。慌てなくて大丈夫だよ。」
「ああ!ごめん、お姉ちゃん!助かるよ。」
声がした方に目を向ければ、イートインスペースの落ち着いた席に陣取ったお姉ちゃんが映画のパンフレットで私の席をキープしてくれていたんだ。
どうやら私が関東煮のタネをアレコレ選んでいるうちに、お姉ちゃんはサッサと自分の買い物を済ませちゃっていたみたい。
「う〜ん!この歯応えと食感が飽きないんだよなぁ…」
出汁の滴る米血糕に噛み付いた私は、思わず唸っちゃったの。
豚の血で餅米を固めた米血糕は、モチモチした食感が最高なんだよね。
そうして米血糕の食感を楽しんでいるうちに、出汁にも変化が生じてくるんだ。
何しろ甜不辣は揚げた擂身だから、暫く待つと油分と旨味が出汁に染み出してくるんだよ。
そうして風味が豊かになった出汁で食べる春雨ときたら、もう堪えられないんだ。
「相変わらず好きだね、その組み合わせが。珠竜がコンビニの関東煮を食べる時は、米血糕と甜不辣のうちの一方が大抵入っている気がするよ。」
「そういうお姉ちゃんは、関東煮を頼んでないんだね。」
何の気なしに覗き込んでみたら、愛玉ゼリーや三色豆花といった冷蔵ショーケースの冷たいスイーツばかりが並んでいたんだ。
熱々の関東煮を食べている私とは、えらい違いだよ。
「高校生の時は花枝丸やロールキャベツをよく食べてたのに。大学に入ってから関東煮が苦手になったの、お姉ちゃん?」
「いや、苦手になった訳じゃないんだけど…そっか、こっちは日本とは違って一年中売っていたんだね。」
お姉ちゃんが言うには、台湾と日本とではコンビニのホットスナックにも色々違いがあるみたい。
台湾で「関東煮」と呼ばれている料理は日本だと「おでん」って呼び方が一般的で、日本で「関東煮」と呼ぶのは大阪を始めとする関西圏に限られているんだって。
そして日本のコンビニでは、おでんを夏場に販売しない所が多いらしいんだ。
「早い所だとゴールデンウィーク明けの初夏辺り、遅い所でも六月下旬には終売しているんだって。日本で出来た友達の話だと、おでんがコンビニに戻ってくるのは花火大会や夏祭りの終わった八月末頃らしいの。」
「成程…おでんを夏に取り扱わない日本のコンビニ事情に慣れちゃったから、こっちのコンビニで関東煮を見ても食指が動かなかったんだ。」
昔から「朱に交われば赤くなる」とは言うけれども、お姉ちゃんも日本のコンビニ事情にすっかり馴染んじゃったって事なんだろうね。
それは裏を返せば、お姉ちゃんが日本での留学生活を楽しくやれているって事なんだろうけど。
「季節のメリハリのある日本で暮らして改めて実感した事なんだけど、おでんや関東煮は肌寒さの感じられる時期に食べると一層に美味しく感じられるんだよね。特に出汁で割った日本酒に七味唐辛子を入れたのをカップ酒でやると、身体の芯から温まるんだ。」
「へえ、それも日本に留学してから覚えた事なの?私もいつか試してみようかな。」
そうは言ったものの、私はまだ中学生だからお酒が飲めないんだよね。
ノンアルコールタイプの日本酒を割るって手はあるけれども、お姉ちゃんが飲んだという出汁割り日本酒とは似ても似つかない味になりそうだし…
ここはどうやら、素直に飲酒可能年齢を待つしかないって事か。
十八歳の誕生日まで、あと四年前後。
何とも待ち遠しい限りだなぁ…