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テイムされた王女は婚約破棄をしたい。

「よそ見してはいけないよ、アティラン」


 ブオンと頭上を剣が通り、風を切る。そのすぐ後、不愉快な魔物の断末魔が聞こえた。

 私はその結末を視界に入れないまま、ふんっと鼻を鳴らした。


 反抗的な態度はもちろんバレていたようで、大きな手がガシりと私の顔を包んだ。


「これではご褒美はナシだぞ」


 魔物と戦闘中とは思えないほど緊張感のない様子で、困ったように眉を下げて私の顔を覗き込んできた。この男、顔が良い。


 顔が良い男にメッと顔を覗き込まれて照れない乙女がいるだろうか。いや、いない。


 くっ……顔が良いだけで言うことを聞くと思わないでちょうだい!とキリッとした顔をして、男の背後に雷を落とした。


 眼の前の男が振り向くと焦げた魔物が数匹。

 こいつらは弱い個体だが毒を持っていて戦闘中にコソコソやってきて刺していくのだ。弱いから魔力感知にも引っかかりにくい。私以外なら見逃しちゃうね。


 ふふんと目を丸くした男を得意げに見上げると、弾けるような笑顔が返ってきた。その良いだけの顔がコイツらに刺されてボコボコになったらただでさえ迷惑な旅もつまらなくなるからね。しょうがなくよ。

 

 私の自慢の金の髪をわしゃわしゃとかき混ぜたのが、時の勇者であり、大国の第三王子であり、私の婚約者のルイゼだ。


「いい子だアティラン。私の猫は従順だ」


「よく見ろ、不満そうだぞ」


 最後の魔物を屠った騎士職のアダムが心配そうに言った。


「こんなに表情豊かな大型魔獣も珍しいわね」


 旅に出て暫く経つというのにいつ見ても身ぎれいな聖女である、アイラも続いた。


 そう。大型魔獣というのは私のことである。猫ではない。


「そんなことない。この顔は照れているんだよ。褒められて照れてしまったんだね、なんて愛らしいんだ。私の婚約者とそっくりだ」


 ルイゼは神秘的な紫の瞳で私の中になにかを見るように顔を寄せた。

 突然出てきた婚約者というワードにビクッと体が跳ねてしまった。冷や汗が出ているような気がする。魔獣に汗腺なんてあるのか?ああ毛皮があってよかった!!


「元、になりそうだけどね」

「アイラ、あまりいじめてやるな。元にしないために魔王に囚われた姫を取り戻しに旅をしているんだ、そこは触れてやるな。……囚われたというか逃げ込んだのかもしれないが」

「そうねアダム。逃げたかもしれない婚約者を連れ戻しに行く道中に、テイムした魔獣に婚約者の名前をつけるなんてかわいいものよね」


 毎日のブラッシングでふわふわになっている私の毛がブワリと逆立った。恐怖で。


「あぁごめんよアティラン、君は代わりではなく私の特別な猫だよ」

「……にゃ」


 私の猫はヤキモチ焼きだとルイゼが私の首を撫でた。ルイゼの宝石のような紫の瞳に見えた仄暗さからは目をそらしておいた。


 そう。ルイゼの婚約者であり、魔王に囚われたというテイになっている姫は私である。元は人間で小国の王女だったのだ。今はこんなに大きくてけむくじゃらだが。


******


「ひどいわ……!私のことなんて誰も愛していないのね!」

「アティラン、落ち着いて話を聞きなさい」


 王宮とは名ばかりの古めかしい城はよく声が響く。

 その声を聞いても驚く者はいない。兄は慣れたように眉を少しだけ寄せて「話を聞かないで突っ走るのがお前の悪いところだ」とお小言を言った。


 私が叫んだのは、大きくなったら結婚すると思っていた公爵家の幼馴染に「妹にしか見れない」と言われてしまった大大大失恋の翌日のことだった。


 なんと、私は幼い頃から大国の第三王子と婚約関係で! なんと、私の代わりに執事が代筆した手紙で交流を深めていたと!!


 お父さまも、お母さまも、兄も執事もみんなで仕組んでいたのだ!!



 失恋の痛手を癒やすために遠駆けでも行こうとしていた私に「ちょうどいい」と兄は非情にもふてぶてしい顔で手紙を広げた。


 質の良い紙には優美な文字が均一な太さで並んでいた。


「なによこれ。私の特技は刺繍やハープではないわ!弓と乗馬よ!」

「一般的に姫は弓など引けぬし、馬車を使う。刺繍やハープはこれから得意になればいい」


 ハンッと王太子である兄は外には決して見せない黒い顔で片側の口端を上げた。


「横暴よ……!嘘ばっかりじゃない。お相手にも失礼だわ。それに、私には……」

「やっとあいつに初恋を終わらせてもらったんだろう。もう子どもの時間は終わりだ、あいつも半年後には結婚する。弓にも馬にも触れたことのない深窓の令嬢とな」


 雷が身の上に落ちたかのような衝撃だった。


「お前は半年後にシュトルデ国の第三王子に嫁ぐ。今日から乗馬も弓も禁ずる。もちろん、あいつの婚姻を邪魔しようなんて考えるなよ」


 あいつ、と言われた幼馴染の顔がすぐに浮かんだ。こんなときも幼馴染は優しく笑んでいた。

 昨日、触れようとした腕に白く細い腕が絡み、私に向けられていたような笑顔を注がれる令嬢を想像して、頭を振って追い出す。

 振った拍子に兄とおそろいの金の巻き毛が顔を隠した。


 うなだれる私の肩を軽く叩き、兄は部屋を出ていった。

 おろおろと乳母の娘であり、私の侍女がオロオロとなにやら必死に慰めてくれているが、何も耳に入らなかった。


「────なによそれ。馬鹿にしているわ」


 ふらりと足が自然に動いた。


「アティラン様、いけません!」

「お願いよ……今日は、今日だけは……一人になりたいの」

「ですが」

「……明日からは言うことを聞くわ。自慢の妹にも、娘にも、妻にもなるわ。最後に、今日だけ。……〝アティラン〟でいたいの」


 私の小さな誓いを聞いた優しい侍女は唇を噛んで、そっと手をおろした。

 ありがとうと小さく口の中でつぶやき、足早に愛馬の元へと向かった。


 愛馬は嬉しそうに私を迎え、勢いよく駆けた。


「あっ、ちょ」

「アティラン様!?昼前にはお戻りくださいね!!」


 返事もろくにせず、森の中へと馬を走らせた。公爵家の方とは真反対だ。

 普段と違う雰囲気を愛馬も感じ取っているのか、戸惑いがちだ。


 目的地はすぐだった。


 森の中の管理小屋に入り、服を着替え、荷物を持つ。


「よし。旅に出ましょう」


 ヒヒン!?と愛馬が二度見したような気がしたが、気のせいだろう。


 私は腹が立っていたのだ。

 私に断りもなく婚約者を決めて、執事に代筆させるなんてひどすぎる。

 しかも、初老の執事が相手でも気付かない婚約者だなんて政略が過ぎるだろう。妻になる人物が孫までいる初老でもいいだなんて、私じゃなくてもいいということじゃないか。


 極めつけは、人の長年の恋が終わったことを「ちょうどいい」とはなんだ。人の心が無い。


 これが家族ぐるみというのだからやってられない。


 最後に言うに事欠いて、『あいつの邪魔はするな』だなんて、そんな人間だと思われていたなんて馬鹿にしているわ!


 私の好きな人は私のことを妹としか見れないと言い

 私の趣味も特技も無かったことにされて

 私じゃなくても婚約話は進む!

 

 誰も私のことなんてちゃんと見ていない。愛してないのよ。

 見ていないなら、消えてしまえばいいのよ!


 こうして、いつかのもしもの愛の逃避行のために隠していたお忍びセットを持ち出し、私は一人で失恋の逃避行へと旅立ったのだった。


 最初は遠駆けの延長線でうまく行っていた逃避行という名の家出も、追手を撒いたり、魔獣を避けたりしているうちに愛馬とははぐれ、本当に一人になってしまった。


 弓や乗馬が趣味なお転婆な姫とはいえ、私は結局、世間知らずな王女にしかすぎないのだ。


 食べてはいけないキノコだったらしく、ただでさえ空腹で力が入らない身体がいよいよ動かなくなってしまった。


「愛されず、森で孤独死……」


 失恋したと王女の存在意義も果たさず、私を信じてくれた侍女に嘘までついて、逃げて、最後は変なものを拾い食いしてこれだ。遺体も獣に食べられ、もう本当に私の存在はこの世から消えるのだ。


*******


 パチパチと火が爆ぜる音が聞こえ、目がぼんやりと開く。


「お、生きてるぞ」

「アイラ、残念だったな。この子の毛皮は諦めよう」

「金色の毛皮は珍しいのよ。ほしかったのに」


 この声は追っ手だろうか。

 まだ身体が本調子じゃないのか低い姿勢から起き上がれない。


「……瀕死ね」

「頑張ったな、楽にしてやろう」


 体格の良い騎士のような風貌をした男が剣をスラリと抜いた。

 その後ろには白い巫女のような服を着た令嬢と、騎士というには華やかすぎる美貌の黒髪の男がいた。ぼんやりと見ていたはずなのに、男の鋭い紫の瞳がなぜか目に飛び込んだ。


 男の軽薄そうな笑みがストンと消えた。

 なぜかその様子を見て初めて警戒心かなにかがぶわりと体中を駆け巡った。


 私の視線は振り下ろされる刃ではなく、紫の瞳に射抜かれていた。


「アダム、やめろ」

「は? 苦しみを長引かせるほうが酷だろう」


 黒髪の男がずんずんと近づき、大きな手が私の頭を掴んだ。


 頭を、掴んだのだ。


 こんな森の中で腹を空かせて怪しげなキノコを食べて死にかけているが、仮にも私は一国の王女。


 頭を掴むだなんて失礼にもほどがある。


 無礼者!と視界を覆う手をはたき落とそうとするが手が動かない。空腹で力が出ないなんてものではない。ピクリとも動かないのだ。


 その間にも頭を掴まれた手がジワジワと熱くなってきた。

 なによこれ!?と2発目を繰り出す前にふわりと手が離れていった。


 離れていくぬくもりの奥から、あの紫色の瞳がきらりと輝いた。


「────君の名前は、アティランだ」


 ビクリと身体が揺れたが、逃げようにも縛られたかのように足が動かない。

 この、異様な距離で私を見下ろす男から今すぐ逃げたいのに……!


「まてまて、ルイゼ!お前、その瀕死の魔獣をテイムしたのか?!しかもアティランって、王女の名前じゃないか。バレたらどうするんだ」


 あーあー、と先ほどアダムと呼ばれていた騎士が顔を覗かせ頭を抱えている。

 アティランって王女は私だが??バレるとは??


 騎士の向こうで白い布が揺れ、アイラと呼ばれていた女性も顔を出した。


「そうよ、自分の名前を魔獣につけて使役してたなんて知ったら、私なら婚約破棄するわ」


 はて??????

 魔獣に私の名前をつけて?使役で?婚約破棄?


 ちょっとどういうこと、と言おうとしたのに喉から「ぐるっ」と獣の声がした。わっと喉に触れようとした手はけむくじゃら。


 魔獣は私で────


「アティランはそんな女性じゃないよ。彼女は慈悲深く、寛容で、お茶目だからね。許しを乞うさ」


 男は恍惚とした表情で語り始めた。脚に縋り付いてでもとか聞こえたが気のせいだ。気色悪い。顔が良いと偏った趣味も見逃されがちなのかもしれない。


 まー、よかった、よかった。アティランとやらは私ではないらしい。私は慈悲深くも寛容でもお茶目でもない。どうやら同名の王女らしい。


 いやー、同じ名前でもこんなに違うなんて。

 しかもこんな変な男と婚約しているだなんて気の毒にもほどがある。ご愁傷さま。アーメン。


 ゆらりとお尻側が揺れ、視線を向ければ金の尻尾がふさふさと揺れていた。なんてこった、私は私で魔獣になってしまったらしい。


 尻尾に気を取られそうになっていた私の耳は、次の言葉だけはしっかりと聞こえた。


「────許しを乞うにしても早く見つけなくてはね、プティマ国の王女アティラン姫を」


 ゆらゆらと揺れていた尻尾がピタリと止まった。


 私は慈悲深くも寛容でもお茶目でもないが、名前はアティランで、小さいが豊かで幸せな国と名高いプティマ国の王女である。


 ギギギと音がしそうなぐらいぎこちなく眼の前の男に視線を戻せば、男の視線とぶつかった。


「────愛しい、婚約者を。ね?」


********


「アティラン姫は可愛らしい人なんだ。『ルイゼ様に嫁ぐ日を一日一日と数えながら糸を繋ぎ心待ちにしております』だなんて手紙をもらって、そんな健気な乙女に心打たれない男なんていないさ」


 ルイゼというらしい黒髪の男は組んだ膝に肘を乗せて、うっとりと婚約者に想いをはせている。先ほど倒した魔獣の上に腰掛けて。

 話し合いは彼の使役している魔獣、つまり私だ。彼の言うアティラン姫でもある。ちなみにその手紙はうちの執事が私を装い書いていたものである。もっと言えば私はこの婚約を知った当日に逃げているので想いをはせても糸を繋いでもいない。


「やだやだ、そんな胡散臭い話を真に受けるって。絶対書いてるのおっさんだって」


 やや茶色がかっている髪の女性は平民のような口調で言った。

 この女性、アイラという。


 アイラは鋭い。正解だ。男心は男が一番よく知っているのだろう。初老の執事はがっちりとルイゼの心を掴んだようだ。もしまた会えたら教えてあげよう。


「アイラ辞めろ。夢は壊してやるな」


 アダムと呼ばれている年上の男は、アイラとルイゼの折衷役らしい。よく聞くとフォローになっていないがよく仲裁に入っている。


「だって結婚は夢じゃないのよ。だいたいこの旅だって夢から醒めるための時間じゃない。付き合わされてる私の身にもなってよ」


 先日、この三人組に拾われてからわかったことがある。


「……ルイゼより先に王女を見つけて、逃がしてあげたほうがいいんじゃない?」

「旅が長引くだけだぞ」


 今は魔獣になってしまった私は、この婚約は絶対に破棄しなければならない、と────


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