七、黥面
劉玄明はつまらなかった。彼は皇帝を僭称した司馬豊度が逃げようとする様を、無感動に馬上から見ていた。
彼の眼前では松明を片手に持った騎兵と歩兵が、兎を獲物にした巻き狩りのごとく、司馬豊度を追っている。松明が新月の闇の中で尾を引いて輝くのを、劉玄明は無感動に、いっそつまらなく思いながら、漫然と見ていた。
(まあきっと)
と彼は思う。
(魯の哀公が捕まえたという麒麟も、これぐらいあっけなく捕まったのだろうな。西ノカタ狩リシテ麟ヲ得タリ。なんてな)
目の前のできごとを『春秋』にある獲麟の故事に重ねて見るが、それでも彼の心には、これといった感動も起こらない。
(あれのせいだな)
劉玄明はさきほど司馬豊度に言われたことを思い出す。
――下賤な胡どもの酋長が、どうして我らと比肩す逐鹿の英雄であろうか! またどうして帝王と為らん!
ちっぽけな小舟に堂々と立ち、格式高い語彙を使って指さして批判してくる姿は、滑稽でしかなかった。が、それでも彼の心を実に不快にさせた。
(それほど言うのなら、せめてこんな無様な姿をさらしてくれるなよ)
劉玄明は興も失せてため息をつく。
僭称皇帝・司馬豊度が最後に天命を託した薄汚い小舟は、すでに燃え尽きていた。
劉玄明、氏は劉、名は聡、字は玄明。北方騎馬民族・匈奴の末裔であり、匈奴をはじめとした諸部族を統率する大単于であり、そして中華皇帝でもある。国号は漢。前漢の高祖・劉邦、後漢の光武帝・劉秀と同じ血を、彼は引いているからだ。
中華にもっとも多く暮らす農耕民族と異なる生活様式をもつ人々を、胡という。劉玄明たち匈奴はその胡の筆頭としてあげられる北方騎馬民族の雄だ。
秦の始皇帝の時代から中華と死闘をくりひろげた匈奴は、やがて蒙古平原を去り長城の内側、中華のなかに暮らすようになっても、歴代の中華王朝から特権と厚遇をあたえられてきた。
その特権と厚遇うちの一つが、漢の皇帝の娘・和蕃公主を娶るというものだ。歴代の匈奴の王・単于は、代々漢の皇帝と血と好を通じてきた。劉玄明には秦漢の名将たちを苦しめた勇猛な単于の血と、高貴な漢の皇帝の血が流れている。
だから中華の皇帝を名乗るのは、司馬豊度はじめ司馬一族よりもよほど自分のほうがふさわしいと、彼は思う。
皇帝を僭称している司馬一族の実質的な開祖は、司馬豊度の三代前、後漢の末に曹孟徳へ仕えた司馬仲達だ。司馬はそもそも河内地方の一地方豪族にすぎない。その血筋に、皇帝となる高貴さや正統性は全くない。
そして司馬が建てた晋の前代の王朝・魏に至っては、皇帝だった曹一族は宦官の養子だ。ここまでくると正統性を論じるのが馬鹿らしくなってくる。
漢から禅譲を受け皇帝となる天命が回ってきたのだと主張する魏、そしてその魏からさらに禅譲を受け天命我にありとうそぶく晋。この二代の王朝に支配されたこの百年あまりの歪みを正しているのだと、劉玄明は考えている。
また血筋など持ち出さなくても、司馬が皇帝となった晋は、失策を重ね続けた。特にこの十年はあまりにひどい。
この十年、晋はつまらない内戦を続けている。
はじまりは国の守りのために兵を預かっていた皇族同士が、私利私欲のために起こした内戦だった。劉玄明の匈奴はじめ胡は相争う皇族に従うしかなく、各地で転戦を余儀なくされた。胡が戦争に兵として利用されるのはいつものことだが、この内戦はあまりに泥沼化しすぎた。それでなくても、晋はこちらの都合など端から考えず胡を強制移住させるなど、失策が多かった。不満を抱えた胡が蜂起し、内戦で疲弊した晋から離脱するのは時間の問題だった。
そして晋が都すら守り切れず、皇帝すらこうして捕虜になろうとしているのも、時間の問題だったろうと劉玄明は思う。
だから
「司馬豊度を捕らえました」
という部下の報告に、
「ご苦労」
劉玄明は当然のことだと短く返す。
部下は少し笑って、
「連れてきて話の続きをさせましょうか」
と軽口を叩いた。
劉玄明は部下――彼の弟同然に育った族弟・劉永明を見おろす。
実弟も同然の匈奴の王族とはいえ、昨年に劉玄明が父の後を継いでからは皇帝と朝臣だ。劉永明は馬の手綱を引いて地に膝をつき拱手しているが、こういう気安さは残っている。またそれは、劉玄明の望むものでもあった。
劉玄明は匈奴の王族としての慣例にならい、長く洛陽に遊学した経験がある。だから四書五経をはじめ中華の教養も、中華式の格式張った礼節も完璧に習得していたが、最後まで好きになれなかった。年の近い劉永明も劉玄明と同時期に洛陽に遊学していて、好きに慣れない者同士、隠れて匈奴の言葉で心中を吐露しあったものだった。
劉永明は
「あんな凝った演出までして、司馬豊度と何を話されていたのか、気になりますな」
と顔をあげにやりと笑みを浮かべながら言う。大抵は同じ種類の笑みを返すところだが、劉玄明は未だ不快だったから、
「昔話さ」
とだけぶっきらぼうに返す。
「昔話?」
怪訝な劉永明に
「ああ」
と劉玄明は答えたきり、もうなにも言わなかった。
彼は司馬豊度を捕らえる前、劉玄明ら匈奴が生殺与奪を握っていると司馬豊度が理解する前に、話しておきたかった。
生殺与奪を握る前、対等である最後のときに、司馬豊度が何というか、聞いてみたかったのだ。
彼が司馬豊度に話した話は本当だった。
かつて劉玄明が洛陽に遊学していた折、その頃は皇位継承など考えもつかない二十六番目の王子であった司馬豊度と会ったことがある。王武子という貴族の屋敷で詩をつくり、詠み、皇堂で弓の腕を競ったのも本当だった。
劉玄明は詩作でも劣らず、弓では司馬豊度より優れたが、
――貴殿は武だけでなく文にも優れているのだな。匈奴であるのに。
というのが、司馬豊度の評価だった。
――匈奴であるのに。
この言葉が単于と漢の血を引くと自負のある劉玄明の心に深く刺さったのは言うまでもない。
そして年月が経ち、劉玄明は単于となり、華北の主要都市を手中に収めるに至った。
一方の司馬豊度は、傀儡として祭り上げられた形ばかりの皇帝だった。胡である匈奴にここまで追い詰められて、さて少しは認識を改めたのではないかと、劉玄明は幾ばくか期待したのだった。
しかし結果は
(傲慢さは変わらずだったな)
劉玄明はため息をつく。
「あまりの無策さに、腹が立ちますか」
族兄のため息を、劉永明はそう推測する。大外れというわけでもなかったから劉玄明は頷いて、劉永明に先を話させた。
「司馬の身内争いの愚かさは、血に根付いたものなのでしょうな。最後の守りであった東海王を自ら滅ぼすとは」
「まったく」
と劉玄明は肯定する。
司馬豊度のもっとも愚かな点は、傀儡でいることに我慢ならず東海王と敵対したことにあると、劉聡は思う。
匈奴は勇猛であったが、数が少ない。大軍を率いる晋軍相手に百選連勝とはいかなかった。その最大の原因が東海王だ。東海王の指揮する軍は、北辺を守る別軍とともに劉玄明の漢軍を挟撃し、一時は危ういところまで追い詰めた。東海王こそ、晋を守っていた最後の砦だった。
その東海王を朝敵と名指しし決戦を挑み、我ら匈奴に洛陽進撃の絶好の機会を与えたのだから愚かとしか言い様がない、というのが劉玄明ら漢の見解だった。東海王は司馬豊度のあまりの愚かさに怒る余り病にかかって死んだと聞いたが、それもやむなしだろう。
結局、司馬豊度が、司馬一族が、晋が、愚かだったから滅びるのだ。その愚かさに気付かず中華が胡がなどと最後までわめくのだから救いようがないと、劉玄明は思う。
「ところでひとつ、おもしろいことがありましたよ」
劉永明は再び笑みを浮かべて言う。
「何だ」
と劉玄明が聞けば劉永明はすぐには答えず、
「まあこちらに」
と例の司馬豊度が乗ろうとしていた船の燃えかすを指した。
劉玄明は興をそそられて、船へ向かう劉永明を追うと
「これです」
劉永明が示したのは、司馬豊度の従者の死体だった。
死体は、洛水の浅瀬に打ち上がっている。動転する余り、足首ほどの高さの水で溺れ死んだらしい。
(それが何だ)
と劉玄明は思わないではなかったが、族弟は気心も好みも知った仲だ。そうつまらないことをするわけでもないだろうと、馬を下り死体を見おろす。
劉永明が部下たちに持たせた松明に照らされて、劉玄明は初めてその従者の顔をよく見た。
髭がないという点が、普通ならもっとも気になるだろう。男で髭がないとすれば、宦官である証拠だ。しかし宦官の死体など別に物珍しくも何ともない。劉永明がおもしろいと言いたかったのはおそらく、髭のない以上に目を引く、
「黥面か」
髭のない顔に横断して彫られた、黒い入れ墨のことだろうと劉玄明は思った。
「そうです」
と笑顔で頷く劉永明に
「しかも罪人の黥面でもないな」
劉玄明はさらに観察を続けて言う。この宦官の顔の入れ墨は、罪を犯して彫られる入れ墨とは形がちがう。
「ならこいつ、東夷か」
閃いて、劉玄明は少し驚いて言った。
長城の東の外側、中華の東辺は匈奴とはまた別の騎馬民族である、鮮卑が支配している。
鮮卑の支配域のさらに東に住むのが東夷だ。高句麗、夫余、濊、韓、倭といった小国がひしめき、彼らを総称して東夷という。彼ら東夷は顔に入れ墨を彫って成人の証とするのだと、劉玄明は聞いたことがある。
「珍しいな」
劉玄明は宦官の黥面をじろじろ眺め、
「東夷が朝貢した元奴隷で、宦官にされたといったところか」
と推理する。
「そうでしょうな」
劉永明は肯定して、
「宦官になったとはいえ、これほど司馬豊度に付き従うとは」
劉玄明は族弟の言わんとしていることに、にやりと笑った。
「何、宮中で食べさせてもらった食事の味が忘れられなかったんだろう。宦官の食事でも、東夷のそれよりはずっと美味だったはずだからな!」
劉玄明の言葉に、劉永明は笑った。まわりにいた部下たちも笑った。
「いかにも東夷らしい、野蛮で獣じみた考えだ」
ひとしきりおかしさを楽しんだ後で、
「行くぞ」
と劉玄明は興味を失った。黥面の宦官のことを、彼は二度と思い出さなかった。