四、蒙塵
新月昇りし夜の帳が、王城を全く覆ている。闇夜が朝廷を完全に覆蔽するようになって、幾年か。夜明け前、夜の闇の引き切らぬ中、文武百官が出仕するための篝火はとうに絶え、虚しく篝のみが夜風に揺れ、鈍き鉦のような音を立てている。
野犬すら闊歩す王城にて、二つの黒き影が寝殿を出ず。影は寝殿を出で后妃宮娃が息をひそめし後宮を抜け、前朝、太極殿へ至る。金銀翠珠の絢爛たる装飾も乱れ奪われた玉座を過ぐ。かつて百官の沓音鳴り止まぬ官衙は静まりたりて、御史台へ行けばまた二つ、影が加う。ついに外郭へ至りて、壁に沿い、王城の西のかた閶闔門を目指す。わずかに開かれし門扉の隙間へ体を通し王城を出ずれば、門の外で侍りし四つの影が迎う。
「みな無事か」
寝殿より出でし二つの影の一つ、帝その人が、宦官と人士らを見渡し玉音を賜う。
玉音へ一様に拱手立礼す彼らの脳裏に浮かぶはただ一つ、
「気取られてはおらぬようだな」
畏れ多くも帝の御言葉に答えるは、矢音であった。
一同驚きあたりを見れば、遠きに焔の立ち昇るを認む。王城の南の大門、宣陽門が燃えている。夜空を焼くこと赫々と、明星のように闇の中に輝いている。地を震わすは大門の門扉を押し叩き開かんとす、衝車の打音であった。
胡兵らの気配が闇に息づく。中華の言葉とは似ても似つかぬ胡語は慎みもなく、人の言葉よりも獣の雄叫びに似て、何と不快な奴らであることかと、宦官は恐れつつも侮蔑の念を覚ゆが、
「馬鹿な」
と息を呑みし人士らは、一斉に宦官を見ていた。疑心と侮蔑の目であった。
――疑おうておられるのか。
宦官は突如雪中へ突き飛ばされしが如き、驚きと悪寒とを覚えた。人士らは宦官の忠なるを、認め誉めすらしたではないか。いま蒙塵の途に立ち、はや計画の潰えんとすを見て、真っ先に疑うは宦官であるのか。なぜ人士同士を疑わず、宦官を疑うか――。
明白である。宦官が、宦官だからである。賤しい下等種族だからである。
「やめよ」
人士らを一喝さるるは、帝であった。
「ここにあるはみな義士ぞ」
と一言のもとに断ぜらる。
――ああ、このお方にこそ。
袖で目頭を押さえ、宦官は帝に身命を捧ぐ覚悟を新たにした。