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伸手  作者: 久志木梓
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三、碧血

 宦官が世の善と正義と一に考えし玉体にも、干戈(かんか)が迫っている。胡軍(ごう)して二万七千が、洛陽を攻囲している。

 身命にかえても帝を洛陽より逃れしむ、またいかにと、王城へ残っていた数少ない人士らは、額をつきあわせて決意し、思案した。天子蒙塵(てんしもうじん)の荒路に命果てるまで供すると、覚悟した。

 宦官も、人士らの内議の場に居った。居りて、人士らの内議に耳を傾け、その義と志の崇高潔癖なるに内心感嘆し、議事を聞きてはときに一人首肯した。

 人士らは宦官の居るを、気にもとめなかった。一つには、宦官の忠なるは既に疑うべくもなかったからであり、また一つには、無学な宦官が人士らの高尚な内議に加わることができるとは露ほどにも思わなかったからである。

 よって鳩首凝議(きゅうしゅぎょうぎ)していた人士らは、議事の決するに及んで、未だ宦官の居るに気がついた。居るばかりか、宦官の(おそ)れ多くも蒙塵(もうじん)に一命を捧げたいという申し出に、気焔万丈(きえんばんじょう)たる面持ちに、みな一様に驚きを浮かべた。

碧血(へきけつ)なり」

 と人士らは口々に宦官の忠義を賛美した。

「とても宦官とは思われぬ」

――何たる名誉か!

 宦官は、感激に打ち震えた。

 碧血の意味はわからなかったが、賞賛されていることはわかった。

 人士らは、もちろん宦官は知るまいと、碧血の何たるかを説いた。意を理解したる宦官は、また再び打ち震えた。賤しき宦官をかの(しゅう)萇弘(ちょうこう)(たと)(さん)すとは、これ望外の栄誉である。帝とこの人士らのためならば我が命は鴻毛(こうもう)より軽しと、宦官は賭命(とめい)の念を新たにした。


 この内議で決せられし蒙塵の計画は、こうである。

 一行は夜陰に紛れ王城を出で、義人の協力ありて、洛陽の南を流る洛水(らくすい)へ浮かべた船へ乗る。もって洛水に沿うて西のかたへ下り、古都にして守るに堅し長安(ちょうあん)へ入る。

 (ぼん)たる計画といえば、それまでである。かくの如き蒙塵の計は、既に幾度も企てられてきた。が、ことごとく実行には危うしと棄却され、または実行さるるも胡軍らに潰えさせられたがために、今日がある。今回の計画も、先々の計画と何ら変わらぬ。ひとえに事態の極まるが故に、推し進められんとしているにすぎぬ。

万障(ばんしょう)、排されんことを」

 人士らの此度の冴えなき計画を聞きたまい、帝は計画を奏せし十人あまりの人士へ、かく綸言(りんげん)を賜った。もはや事を為せという勅命(ちょくめい)ではなく、ただ事が為ればよいのにという祈願であった。事実、乾坤一擲(けんこんいってき)の賭けであった。天佑神助(てんゆうしんじょ)のほか帝を守り給う術はないと、誰も彼もわかっていた。


 決せられし蒙塵の日は、永嘉(えいか)五年六月一日、即ち今日である。帝が召し上がったあとの夕餉の膳を下げて、宦官は空になった椀を丁寧に洗っていた。蒙塵の際に負う荷物へ、詰めるつもりだったからである。その椀は、宮中に唯一無事に残った玉椀だったからである。

――もう日も落つか。

 宦官は目をすがめ、刻一刻と細く消えゆく夕の光の中、椀を洗った。

 残日も、遂に沈んだ。決行のときである。

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