二、大乱
大乱である。兵戈と飢餓とが、中華九州を襲っている。都も帝も逃れ得ない、未曾有の大乱であった。
いかにして、大乱となったか。
宦官は、こう考えている。
先帝は蒙昧であった。先帝の后は先帝の蒙昧なるにつけこみ政へ口を出す、悪辣たる女人であった。悪后を取り除かんと、諸王が決起した。
しかし決起せし諸王もまた、邪であった。諸王に先帝を幽閉し帝位を僭称する者すらおり、また僭称せずとも、帝位にあるが如く壟断する者ばかりであった。悪后と邪王たちのせいで、乱が起こった。
乱を大乱とせしが、胡どもである。胡どもは中華の教化によって初めて善悪を知り、帝の恵風に浴し頭を垂れたるも、ひとたび世が乱れ胡地から官軍の離るるを見るや、禽獣の本性を露わにした。胡どもの本性とは、民草を害し、犯し、胡地へ拐かすことにある。あらゆる財を掠め、奪い、陋屋と豊屋の別なく火を放ち、一つに灰燼へ帰さしむところにある。
人面獣心の胡が跋扈するを眼前にして、なおも帝をないがしろにするが、邪王たちの邪さの骨頂である。
先帝を弑逆し今帝を推戴せし邪王を、東海王という。まだお若き帝の丞相となりて、我こそ藩屏の筆頭なりと称す東海王は、実に藩屏などではなく、虎狼梟雄の類いであった。証左に、東海王は自ら革鞾もて宮中を踏み荒らし、従容を斬り国舅を縊り、近衛を逐うた。
帝は東海王の傀儡であった。文武百官が従うは、帝ではなく東海王であった。故に、東海王が胡征伐の軍を挙ぐるや、禁軍すら東海王のもとへ馳せ参じ、王城はほぼ赤裸と化した。
威恵の源泉となる文武官をなくし、洛陽は秩序をなくした。賊は白日人目を憚らず蔓延るも、王城に殺、傷、盗の法三章すら敷く力なく、ただ王城を守るが能う限りであって、王城を守るは東海王の私兵どもであり、私兵どもの宮中の金品財貨を掠奪し公主官女を辱めること、賊と何ら変わらなかった。
天涯の辺境ではなく、天下の中心たる洛陽の有様である。帝都の酸鼻なるを、東海王が顧みることはなかった。
暴虐はなはだしき東海王を誅殺せんと、帝が密詔もて青州の刺史へ決起を命じ、陸続として各地へ檄を飛ばしたるが、先の春である。参馳し集結せし勤王の軍と対峙して、東海王は没した。
兵を交え、矢箭戈戟の下に斃死したわけではない。交戦する間もなく、東海王は病疾なりて、そのまま卒した。傲岸たる東海王は、傀儡と軽んぜし若帝に朝敵と糾弾さるるや、憤怒とどまるところを知らず、ために病膏肓へ入り、没したのである。
東海王を戦わずして除けたと聞きたまい、帝はいと心やすく静かに息をつかれた。東海王の棺を奉ぜし遺兵どもが胡軍に包囲され、宗室六王を含む全軍が凶刃に斃れたとの報あれども、ただむべなるかなと、御容色の変ずるはなかった。
しかし洛陽にて東海王の留守を任ぜられし遺兵どもが、報復を喧伝し東海王の婦人と嫡子らを旗印に都を下ると、洛陽の衆士諸王も随行したるには、帝も瞠目あそばされた。そして報復軍もまた不意に胡軍と会したがために全滅し、報復軍に加わりし四十八王みな害されたると聞くに及び、帝は蒼白として卒倒された。
衆士民草を惑わせし東海王さえ除かば、胡どもはともかく、天下万民は再び帝に従うのではなかったか。
宦官には事態を理解するは能わず、しかし帝が崩ぜらるることあらば、そのときこそ世の善は総て絶えると思われた。
そも宦官は賤しき身分の出なりて、宦官となり、まだ一皇子であった帝にお仕えするをもって、初めて世の善きもの正しきもの、世が悦ばしきこと楽しかりしことを知った。だから帝が崩ずならば、世の善きこと全てともに失せると考えたのである。
宦官は帝を必死に介抱した。典医は、すでに死んだものか逃げたものか、宮中に姿なくして久しかった。文盲たる宦官ひとりが帝のお側にあるようになって、はや幾月も過ぎていた。無学な宦官にできることは少なく、密かに鬼神の類いへ祈祷することすらしながら、そのご回復を切に願い、できることの全てをした。
果たして、帝はお気づきになられた。
「滅びるな」
帝は目を覚ますとおっしゃった。
「もはや」
「いえ」
玉体へ侍りし宦官は、無礼千万を承知で玉音を遮った。
「なぜ」
帝は虚ろな眼で下問される。
「陛下がおりまする。国とはこれ即ち陛下でございます。玉体がご無事である限り、どうして国が滅びましょうや。国が滅びずして、正道もまた、どうして滅びましょうや」
帝は何もおっしゃらなかった。
かくが、宦官が思念するところの、また知り及びし、今日までの事の経緯である。