季節が変われば
さて。
一応提出作品は完成させ、あれこれと愚痴をつぶやいて、それで肝心の憂鬱は解消されたのか――といえば、多分されていないと思う。
でも、企画開始を楽しみに待てる余裕は生まれてきた。一時は手がまったく進まず、オリキャラさえ描けなくなり「筆を折らなければならないかも」とまで思い詰めていたのだから、大分回復したといえよう。
重度のスランプはもう少し居座る気でいるらしいが、宿主はもう次の企画に目を向け始めているので、そろそろ居心地も悪くなるのでは無いかと思っている。
2月になるし、季節も変わることだし。
憂鬱は憑き物と同じで、ある日突然ポロリと落ちる。
なぜ今までこんなことで悩んでいたのだろう? と不思議に思うほど簡単に墜ちたりするのだ。今回も、きっとそんなことだろうと憂鬱退散を願っている。
けれど、それまで大人しく待つのは窮屈だ。ストレスのせいで描くに描けなかった、描きたい作品がいっぱい溜まっているのだから。
仕方ない。すぐに大きな作品は無理だろうけれど、気分も上向きになってきたことだから、憂鬱のご機嫌を取りながら作画を進めていこうと企んでいる。
このくらいでは、めげない。めげない。
となりの庭の梅の木はなくなってしまったけれど、梅園の梅は小さな赤い花を咲かせていた。
寒さの中でも辛抱強く、いち早く春を知らせようと花開く梅は、きっと秘めたる情熱家なのかもしれない。ふんわりと香る花の香りは、心を浮き立たせてくれる。
季節が変われば、気分も変わるもの。
バイオリズムは低調な時もあれば、好調の時もある。上がり下がりはリズムだと思おう。リズムがなければ、メロディも単調になってしまう。
作品制作は思うように進まなかったけれど、自分の作画を見直す機会になったとでも考えてみれば、不調も憂鬱もそれなりに役割があったのかもしれないし?
紅梅の情熱が、背中を押してくれたような気もする。
わたしは神絵師でもなんでもない平凡な主婦だけど、絵を描くことは大好きだ。
だから、好きなことはそう簡単には止めませんよ。
――ね!
ここまでお付き合い、ありがとうございました。
なんとか作品を提出し、これで大手を振って2月を迎えることが出来ます。
ほぼ愚痴を並べたようなエッセイでしたが、いいねや感想、応援をしてくださった皆様。本当にありがとうございました。
亀のようなスピードではありますが、また作品を発表していきますので、お目にする機会がございましたらご声援の程どうかよろしくお願いいたします。
スランプ・憂鬱には、皆様のお声が一番の良薬かとm(__)m
このエッセイはここで一端幕を下ろしますが、定期的に憂鬱になるので、どうにも進退窮まったらまた続きを書くかもしれません。その際もどうぞご贔屓に……って言っていいのかしら?




