第八章 「アタシは、あんたが嫌い」
クレアは、地面に倒れたまま、周囲を取り囲むイドラを見上げる。
――同じだ。
泥まみれで、同級生たちを見上げていた五年前と同じだった。何も成長できていないことに愕然とする。あの「鬼」のように正気を失わないと抵抗できないことも情けなかった。生きていることが恥ずかしいとさえ思う。こんな光景は、もう見たくなかった。
――いや、違う。もう見ない。
最後くらいはかっこいいアイドルでいたい。体は弛緩したままだったが、口は開くことはできる。だから、言葉で表した。
「わたしは、アイドル。キャメロットの一員だ」
小さな声だった。しかし、ちゃんと言葉にできた。
聖杯がじわりとうずく。少しだけ、アドミレーションが湧いてきた。クレアは槍をにぎり、きしむ体を持ち上げて立ち上がる。
人型イドラが襲い掛かってきた。クレアは、槍を短く持ち直して構え、宣言する。
「わたしは、イドラと闘う!」
そのとき、若草色に輝く奔流が目の前に突き刺さる。
輝きがおさまると、すぐそこまで迫っていた人型イドラは這いつくばって、砂まみれの顔面を乾いた大地にこすりつけていた。そのイドラの背中をウェスタンブーツの左足が思いきり踏みつけている。ヒールを立ててぐりっ、とねじるように押し込む。ガンベルトに吊った威圧的な長いライフルが揺れた。
「ふぅっ、間に合った~」
見せつけるように胸を張る声の主が、ブロンドの髪をかき上げる。首に巻いた長いマフラーの両端が、髪とともにひらひらと舞っていた。テンガロンハットのつばを人差し指で押し上げると、自信たっぷりで、大胆不敵な彼女の顔が現れる。ヴァージニア・ナイセルだ。
「ジニー……さん」
イドラが足の下で暴れる。ジニーは、さらに力を加えてヒールを背中に食い込ませる。
「イドラの頭を踏みつけて、空中散歩。けっこースリルあった♪」
「どうしてここに――うしろっ!」
奇声とともに、ジニーの背後からイドラ三体が飛びかかってきた。彼女は振り返りもせずに攻撃をかわし、アドミレーションをまとわせた拳と蹴りでノックアウトする。前方に動けなくなった三体が積み上がった。
さらに、ジニーの足下で這いつくばっていたイドラが隙をついて立ち上がり、彼女に襲いかかる。しかし、彼女は落ち着いていた。ウェスタンシャツのすそからちらりと見える腹筋が、きゅっとしなやかに動き、左の掌底でそのイドラを突き飛ばした。先に倒れた三体のイドラの上に積みあがる。
ジニーが、左腰からウィンチェスターライフルを抜く。右腕一本のレバーアクション。積み重なって倒れた四体のイドラに向けて引き金を引いた。
緑のマズルフラッシュとともに散弾が弾け飛ぶ。イドラの姿は消し飛んでいた。
「はぁっ、キリないな~。そういえば、なんか言った?」
ライフルをホルスターにおさめながら、ジニーはクレアと向き合う。
「なんで、ここに」
「なんでって、応援に決まってんじゃん」
「わたしは……」
「あ~クレア、話はあとでちゃんと聴くからさ、今はやることやって、早く帰ろ」
「やることって……」
ジニーがクレアの肩をポンと叩き、転送フィールドの方を向く。
「ほら、やるよ」
ジニーは腕をぐるぐる回して準備運動を始める。クレアはまだ戸惑っていた。
「あの……これは」
「あーもうっ! しょうがないな」
ジニーがいら立ちながらテンガロンハットを目深にかぶる。前方を指さして、告げた。
「アタシが道を空けて、クレアが突撃。それだけアドミレーションが残ってるなら十分!」
ジニーは前を向いたまま、アドミレーションの励起を開始する。
「わたし、アドミレーションがもう……」
「十分残ってる、って言ったよ?」
「でも……」
ジニーが振り向いて、クレアとまっすぐ向き合う。目と目が合った。あんなにジニーのことを嫌っていたのに、見つめられることは、不思議と許せている。
「できる」
シンプル過ぎる言葉だった。でも、なぜか説得力を感じた。
「はい」
クレアも簡潔に応える。ジニーがニヤリと笑い、うなずいた。
「じゃ、行くよ。クレアも準備して!」
その言葉を合図に、ジニーがアドミレーションを解放する。まず、とても長い鞭を輝化し、振りまわした。びゅん、びゅん、と音を立てて、取り囲むイドラを襲う。鞭の嵐が過ぎ去ると、あたり一面に力を失くしたイドラが倒れていた。
「こんなもんかな」とつぶやいたジニーは、再びライフルをホルスターから抜いた。
「アンコールバースト!」
宣言とともに、励起したアドミレーションがライフルに集束する。口径が二倍に広がり、銃身も伸びる。重そうに見えるそれを、ジニーはいつもと同じように片手で振り回す。
「クレア! 十秒!」
ライフルのレバーアクションのあと、ジニーがカウントダウンを開始する。
クレアも残ったわずかなアドミレーションを励起させ、十字槍を構える。
残り五秒。ライフルの銃口には、ジニーの身長と同じくらいの直径となったアドミレーションの光球が浮かび、旋回運動を始めていた。
「三、二、一――」
すぅっと、クレアの集中力が高まる。
「ゼロっ!」
ジニーが引き金を引く。それと同時に飛び出した。
破裂音とともに、転送フィールドに向かって巨大な若草色の弾丸が放たれた。クレアはそれを追いかけて、イドラであふれかえる戦場を駆ける。
先を行く光球が鮮やかな輝きを放つ。目指す場所にまっすぐ向かい、そこにいるイドラを消滅させる。あの輝きに追いつきたい。そう思いながら走りつづける。
転送フィールドの直前で、光弾がかき消える。その先に、ゴールが見えた。
クレアは、ジニーが切り開いた道を全速力で駆ける。立ちふさがるイドラをコンクエストスキルで避けて、左に、右に、イドラの攻撃をかいくぐり、飛び越える。
あと十メートル。そこにはイドラが密集していた。通り抜けられる隙間はない。
避けられない。逃げられない。それなら……
――突破するしかない。
クレアは覚悟を決めた。そのままの勢いで突き進む。目の前のイドラの群れをじっと見つめているうちに、もう一段深く、集中する。
バイザー越しの紅く色づく世界。その視界の様子が変わった。小さな部分やちょっとした動作ほど際立って見える。きぃん、と耳鳴りが響いたあと、無音の世界へ。心臓が、とくんとくん、と胸を叩いている。
今、ここにいて、目の前には向き合うべきものがある。それにすべてを注ぎ込む。
クレアは密集したイドラたちの中、その一点を視る。
「そこだ――」
クレアは十字槍をかつぐように持って、イドラのスクラムに突撃する。
バイザーが再び鬼の面に変形する。がしゃっ、という音ともに輝化防具の全身から一斉に噴出口が現れた。膨大な力があふれてくるが、心には、一つの細波も感じていない。
密集したイドラたちに向かって突撃する。ずっと見つめていたスクラムのわずかな隙間。そこに槍を突き入れ、梃子のようにしてイドラの体を引き離す。
ぶつかって隙間に体をねじ込ませた。ぐぐぐっ、と力を込めて進み、最後は紅い蒸気の力で、一気にスクラムの後ろへ飛び出す。
そこには、磨き上げられた巨大な鏡のような黒いフィールドが広がっていた。
――たどり、着いた。
槍を持ち直して、すぐさま走り出す。フィールドの淵までの短い助走。ぐっと体と膝をたわめて力をため、紅い蒸気とともに一気に飛び上がる。
クレアは放物線の頂点に達し、フィールドの中心に向かって落下する。十字槍の穂先に足をかけ、すべての噴出口から残りの紅い蒸気を上空に向かって放ち、さらに加速する。
「やあぁぁぁぁっ!」
転送フィールドの中心に槍を突きたてる。黒い鏡面が衝撃に耐えきれず、びきっ、と嫌な音を立て、ひびが入った。きしむ音を立てながら瞬く間に広がる。
クレアが槍を引き抜き、その場から飛び退く。フィールドが砕け散った。破片は、今こちらに現れたイドラを巻き込みながら中心に向かって集まり、凝縮して掻き消える。
「はぁ、はぁ――」
槍で体を支えて膝をつく。肩で息をする。輝化を維持できず、鎧も槍もアスタリウムの欠片となって消滅してしまった。これほどまで力を尽くしたことはない。体力もアドミレーションも空だった。
後ろを振り向くと、イドラの群れのあちらこちらで、橙や青、黄、紫に、銀の光が輝いている。キャメロットと、カリスがここまでに湧きだした三百を超えるイドラの群れを押し返し、殲滅していく。
「おつかれ~ やったじゃん♪」
転送フィールド付近のイドラを一層したジニーがこちらにやってきた。
「あぁーさっすがにつかれたー。ちょっとここで高みの見物~」
ふと違和感を覚えた。ステージの向こう側にいるはずのサスカッチが見当たらない。消滅の報せは聞いていないはずだ。
「あの、神話型イドラは……」
「あー、あいつね。もうちょっとで討伐完了だったんだけど、逃げられちゃった」
「逃げる……?」
「あいつのこと『マリアの子ども』だ、って言ったでしょ? 野生のイドラとは違ってあいつらには知性がある。特殊な個体なら感情さえもある。
ま、野生でも、何千年も生きているようなヤツなら両方とも持ってるんだけどね。どちらにしろ、感情持たれちゃうと、やっかいなのよ」
「カリスには、かなわないから……」
「撤退しようって思っちゃったのかもね~。それで、あの扇動者を呼んで、そのための隙と時間を作らせたっていう」
クレアは、ちらとジニーの顔を見上げた。軽薄な口調だったが、満足していないことが顔からにじみ出ている。その顔のまま、ジニーが告げた。
「絶対、決着つけてやる」
聞いた途端、クレアは、ジニーの顔から目をそらした。
――イドラの群れに飛び込まなかったら……ライブが失敗したのは、わたしのせいだ。
カリスの力を十分すぎるほど思い知った。彼女たちの憎らしいと思えるほどの楽観と、過剰なくらい誇示される自信は、問答無用の実力と、内に秘めた責任感に裏打ちされていた。
――恥ずかしい……
ライブ前に心を占めていた、ジニーへの反発やアイドルであることだけを根拠にした優越感や全能感。それらすべてが心をさいなむ。
無事に生き残ってしまったことを申し訳なく思う。どうにかして消えてしまいたかった。
「そろそろ、終わりかな」
ジニーの言うとおり、もうすぐ五色の光がすべての黒を塗りつぶすところだった。
「さ、みんなのところへ戻ろっか」
ジニーが手を差しだす。しかし、クレアは座ったまま、その手を取らず、か細い声で謝った。
「す、すみませんでした。こんな、わたしのせいで、みなさんにご迷惑を――」
「……なに、それ」
ジニーが低音で凄みを利かせた声で言った。ぞっとして、ちらりとジニーの顔を覗く。誰が見ても不機嫌だ、と言う顔だった。テンガロンハットを乱暴につかみ、ぐしゃりとにぎる。
「別に、迷惑じゃないし」
「わ、わたしが、失敗したから……」
クレアがしどろもどろに話していると、ジニーがしゃがんで、じっと見つめてくる。
「なんで助けて、って言わなかったの? みんな、あんなに心配してたのに」
威圧されているようで、これ以上顔が上がらない。声も上げられない。
らちが明かないと思ったのか、ジニーは聖杯連結でつながろうとする。反応を確かめた彼女は、責めるような瞳でクレアをにらみつける。
「なんで、聖杯連結を閉じてんの?」
「それは……だって、当然の報いで、仕方なくて……わたしに、そんな資格、ない……」
膝を抱えて、そう応えたが、突然胸当を乱暴につかまれた。
ジニーが腕一本で、力任せに引っ張り上げる。ジニーが立ち上がるのに合わせてクレアも立ち上がった。顔が上を向く。彼女の軽蔑するような視線を受け止めた。
「ぼそぼそ話しても聞こえないし」
「ご、ごめんなさい……」
恐怖で混乱する頭では、謝罪の言葉しか口にできなかった。
ちっ、と舌打ちで口を歪ませたままのジニーの顔が近づく。そして――
「アタシは、あんた――が嫌い」
その言葉を聞いた途端、心とお腹がすくみあがる。視界がぐらぐら揺れて、何も言葉が出てこない。ジニーはクレアを突き放す。テンガロンハットを目深にかぶって後ろを向く。
「……じゃあね」
振り返ることなく、サスカッチとのステージの方へと戻っていった。
クレアは、茫然として空を見上げる。目からじわじわと涙が浮かんできた。
イドラに囲まれていたときよりも、今の方が絶望を感じていた。