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第七章 「扇動者」

(ふっ、んうぅぅっ!)

 宙に飛び上がったグレースが、振り下ろしたのは「ロープ球」。バインドのロープを直径一メートル大の球状にぐるぐる巻きにしたものだ。それをハンマー投げのように遠心力を利用して振り回す。

 ロープ球が、神話型イドラ「サスカッチ」の左ほおに激突する。身長八メートルの巨体がバランスを崩し、倒れる。乾いた大地がぐらりと揺れ、土煙が舞い上がる。

 神話型イドラ討伐ライブが開始して、三十分が経過していた。

 キャメロットの四人とマーリンは、西の空で盛んに輝く太陽の下、荒野の真ん中でカリスの雄姿を観戦している。ステージまでさえぎるものが何もないため、戦いの様子がはっきりわかるし、三人の声は聖杯連結でリアルタイムに聞こえる。

(合わせてっ! ディーナ!)

 グレースが両手を広げて突き出すと、投げ出されたサスカッチの四肢に太く編まれた紫のロープが現れ、巻き付いていく。

(わかった)

 ディーナは移動しながら、水銀アドミレーションをハンドガンで射出する。イドラの両手両足に巻き付いたロープに当たった。ロープが銀色に変化すると、グレースが両手をにぎる。

 ロープが四肢に強く食い込む。じゅうぅっ、とイドラの表面が焼けて煙が上がる。ディーナが発現したヴァダーの特性だ。

「ギギャアアァァッ!」

 サスカッチが悲鳴を上げ、拘束から逃れようと四肢を乱暴に動かしはじめる。

(グレース)今度は、ディーナから。(いくよ)

(まかせて!)

 地に臥して動けないサスカッチに向けて、ディーナがハンドガンを、グレースが二丁拳銃を構え、タイミングを合わせて一斉射撃する。さわがしい破裂音が規則正しく鳴り響き、ハンドガンからは水銀弾が、二丁拳銃からはアドミレーション弾が撃ち出される。

 二人同時に弾を撃ちきると、ディーナはハンドガンをホルスターに納め、背中に吊った十字架の「L」の方を両手で把持する。右手で変形させると、持ち手が現れ、長大な狙撃銃となった。重さを感じさせない自然な動きでディーナがそれを構える。支える両手から大量の水銀アドミレーションが発現。すかさず銃にしみ込む。彼女がトリガーを引くと、さっきまでの銃声がかわいく思えるほどの鋭い轟音が鳴り響いた。

 巨大な水銀弾が、稲妻のような速さで、黒い巨体の左肩に突き刺さる。

「ギイィィッ!」

 四肢を拘束されたまま、サスカッチがもがき苦しむ。怒りを表しているのだろうか、顔が赤らんできた。四肢にイドラ・アドミレーションが集中し、ひと回り太く、より筋肉質になる。両腕を乱暴に、ぐぅっ、と持ち上げると、銀色のロープがぶつんと切れ、弾け飛ぶ。両手で体を支え、両脚のロープも同じように引きちぎった。

「グワァアアッ!」

 拘束から逃れたサスカッチは牙をむいて吼えた。

 太くなった四肢で荒野を蹴り、後塵を巻き上げ、ディーナへ向かって一直線に突進する。

(ジニー、よろしく)

 ディーナの声に応えて、ジニーが躍り出た。

(オッケー♪)

 左腰のホルスターからサムライのカタナのようにウィンチェスターライフルを抜く。流れるようなレバーアクション。ライフルが若草色のアドミレーションで輝くと、間髪入れずトリガーを引いた。花火のような轟音とともに撃ちだされたのはアドミレーションの散弾。目前まで迫ったサスカッチに全弾命中し、突進の威力が上乗せされた衝撃で巨体が再び大地に倒れた。

(まだまだっ!)

 ジニーは、左手に現れたイグゾーストの一本鞭を鋭く振るう。びゃうっ、と空気を引き裂いて、黒いかたまりを何度も打ち据える。

「グウゥゥゥッ! グ、グゥゥ――」

 鞭の特性によって、輝化力が減退したのだろう、サスカッチが気の抜けた鳴き声を漏らす。

 ジニーはライフルをホルスターに戻し、首に巻かれたマフラーに触れた。布の右端が意志を持ったように右のこぶしと前腕に巻き付いていく。ぎゅっとひとりでに締まると、マフラーがアドミレーションに戻り、右腕を包み込んだ。ぎんぎんと輝き、見るからに力を秘めていることがわかる。彼女が右腕を振りかぶって、イドラに向かって飛び上がる。

(はぁあっ!)

 気合とともに、仰向けに倒れていたサスカッチの腹部にこぶしを振り下ろした。鈍い音とともに、サスカッチの悲鳴が荒野の空に響き渡った。

「ギギャアアアアァァァッ――――!」


 カリスの三人が神話型イドラを巧みに追い詰めていく。

 その光景を眺めていると、必死に抗っている神話型イドラに自分の姿が重なった。母親と同級生たちも現れて、その自分を冷たい視線で見下ろしている。

 ぞくり、と不快な感覚が背筋を駆け下りた。頭を振って、脳裏の映像を追い出す。

 ――あれは昔のこと。今は違う! わたしはアイドルになったんだ。

 世界に不安と混乱をもたらす、黒くて醜い絶対悪のイドラ。その命をにぎっているのが白のアイドル。それを心に何度も刻み込む。

 ――アイドルのわたしは、あのイドラみたいに悪いやつを弄ぶことができる!

 悲鳴を上げることしかできない巨大な黒い猿に母親の顔が重なる。クレアをいじめてきた同級生たちの顔も順に重なっていき、最後にメイの顔が重なった。

 ――アイドルのわたしは、あれを、彼女たちを、支配できる!

「ギギャァアアァッ――!」

 サスカッチの悲鳴が耳をつんざく。クレアは我に返った。

 ――こんなこと考えたらダメ、なのに……

 あれに槍を突き刺すイメージが頭から離れない。

 右手にしびれを感じた。いつの間にか固くにぎりしめていたのだ。ゆっくりと開くと、あの日にナイフで切ってしまった傷痕から、ゆらゆらと煙のようなものが立ち上った。色は赤。しかし、見る間に黒に変わっていく

 突然のことに息を呑む。慌てて後ろを向いてその煙を体で隠した。

 ――見られた?

 リンは右の方にある小山のような岩の頂上で、食い入るようにライブに集中している。

 反対側の少し離れた場所では、ルーティが青い光に包まれながら、ライブの様子をぼうっと眺めている。あの光は、彼女のコンクエストスキル「コンセントレイト」だ。五感の情報収集能力と脳の情報処理能力を高めることができる。きっとカリスの力と技術のすべてを収集・解析して、自分のものにしようとしているのだ。

 ――さっきのおぞましい思考を、もし覗かれていたら……どうしよう。

 ふと前に視線を移す。キャンプと、あの神話型イドラが狙っていた街を繋ぐ、とても長い直線道路。それを挟んだ向こう側からスーツ姿の男性が一人、ふらふらとぎこちない歩みでゆっくりとキャメロットの方に向かってくる。

 ――様子が、おかしい。もしかして……イドラ?

 キャメロットの三人とマーリンは、ライブに見入っている。誰も気付いていない。

 ――わたし、ひとりでも!

 道路を横断して不審な男性の方に向かう。キャメロットが観戦しているエリアから百メートルほど走ったところで、少し先にいる不審な男性が停止し、奇妙な形に口を開く。

「ミィィィツゥケ、タァァッ!」

 突然の絶叫。キャメロットの三人とマーリンも気づいたようだ。ナタリーの声が聖杯に届く。

(みんなっ、後ろだ!)

「ア、ア、ア……デッ、ル! デェェルルゥゥ――――!」

 不審な男性は、意味のわからない大声を発して、頭を抱えた。全身が黒く染まり、上半身が風船のように膨らみはじめる。人間ではありえない、おぞましい姿だった。貯水タンクほどの大きさの真っ黒な物体となったとき、

 どばぁっ、と破裂した。液化したイドラ・アドミレーションが周囲に飛び散る。あたり一面がどろどろした黒い液体の水たまりとなる。

 ルーティの声が届く。

(扇動者〈アジテーター〉!)

 クレアの目の前には、人型、獣型、植物型など十数体のイドラがいる。すべてがさきほどの不審な男性の中から飛び出してきたのだ。

 扇動者〈アジテーター〉は、人間に擬態して、目的の場所や目標のアイドルに近づき、体を破裂させて、内蔵したイドラを解き放つ人型イドラだ。さらに厄介なのは、破裂の際にまき散らした液化イドラ・アドミレーションを使って、絶え間なく多数のイドラをステージに送り込む転送フィールドを形成する能力を持っていることだ。

 黒い水たまりが、破裂地点から半径五メートルほどの真円状にまとまって輝化すると、池に張った薄氷のようなフィールドに変化した。

(ジュリア! 扇動者が現れました。先制に失敗。イドラの転送がはじまっています)

 マーリンの声が聞こえた直後、それよりも鋭く凛々しい声が聖杯に届く。

(わかった。こちらの神話型イドラは見た目どおりにしぶとい。今、挟撃されるとさすがに危険だ。そちらで食い止めてほしい)

(準備はいいかな)

(はいっ、やれます!)ナタリーがマーリンの言葉に応える。

(わかった。みんな、ライブ・スタートだ!)

(輝け!)

 マーリンの号令の下、クレア以外の三人が輝化を宣言する。

 クレアも宣言しようと胸に右手を置く。しかし、転送フィールドから這い出てきたイドラが雪崩のように押し寄せてきた。

「ひっ、きゃぁぁっ!」

(クレアっ? どうしてそんなところにっ!)

 ナタリーの声。しかし、それに答える余裕はなかった。次々と迫ってくるイドラを避けながら、転送フィールド付近から離れる。落ち着いて輝化できる場所にたどり着いたが、そこは、ぐるりとイドラに囲まれていた。掲げた右手が震えている。

「輝け」

 一人で輝化を宣言する。赤い光に誘われて、さらにイドラが近づいてくる。

 クレアは視線に気づいた。そろそろと周囲を見回すと、すべてのイドラがクレアを見つめているように感じる。また不安が頭から背筋に降りてきた。取り囲むイドラの顔に、母親や同級生たち、そしてメイの顔が重なっていく。

 ――また、いじめられる!

 心臓の鼓動が速い。心の中で不安が燃えひろがる。今はいつで、ここがどこなのかがあいまいだった。群がるイドラに囲まれている現実。そこに、自宅の暗い室内や学校の裏庭で、母親や同級生たちに囲まれている光景が重なる。しかし、自分はちゃんと輝化武装している。

 ――これは……なに? フラッシュバック!? わからない! でも……

 キャメロットの三人とマーリンが、聖杯連結で呼びかけている。しかし、今のクレアには、まったく聞こえていなかった。

(クレア! そこから早く離脱して!)

「今の、わたしなら……お、おまえたちを殺せるっ! 昔みたいにはならないっ!」

(誰と話しているの? クレア? クレアったら!)

「今度は、わたしの番……。わたしが受けてきた痛み、すべて返してやるっ!」

(マーリンっ! これって……もしかしてっ)

「わたしはアイドル。おまえたちはイドラ。だから、殺してやるっ!」

(フラッシュバックだ……)

 クレアは、ヘルムの中で憎しみの言葉を何度もなんども、大声で喚き散らす。そのうちに立ちくらみを起こした。なんとか体を支えて再び立ち上がると、視界がさらに真っ赤に染まっていることに気づく。

 ――あたまが、痛いっ!

 発した怨嗟の声がヘルムの中で反響する。鼻のあたりにむずがゆさを感じた。唇に垂れてきた液体を舐めとると、血の味がする。鼻血が出ているのだ。

 現実認識とフラッシュバックがこすれ合い、聖杯への負荷が頂点に達した。

「いやぁぁっ――――――!」

 クレアの激しい悲鳴に耐えかねたように、紅いバイザーが上下二つに割れた。ばきっ、がちゃっ、と音が鳴り、それに合わせてヘルムが揺れる。どうやら変形しているようだ。音と揺れが鎮まると、体から突き出てくるような暴力衝動と凶暴な力を感じた。

 バイザーの割れ目から外を覗く。目の前には、クレアと身長が同じの人型イドラがいた。液晶画面のようなのっぺりとした黒い顔には、クレアの顔が映りこんでいる。

 変形したバイザーは、一本角を持った東洋のモンスター「鬼」のマスクとなっていた。全身の甲冑から隠れていたノズルが露出し、蒸気のような紅いアドミレーションを噴き出した。

 まるで、血煙を浴びて憤怒に猛り狂う赤鬼だ。

 人型イドラの顔をまっすぐ見つめていると、今度はその真っ黒な顔に、プロダクションで一目見たメイの顔が重なる。彼女の顔が嘲笑の形に歪んだ。

「ぐうぅぅうっ!」

 暴力衝動がさらに跳ね上がる。歯をぎりりとかみしめて、獣のようにうなった。

「わたしの、痛みと苦しみを思い知れ!」

 腰をひねり、ぐっ、と槍を引き、いまだに嘲り笑っているメイの胸をめがけて突く。

 どふっ、という音と、意外に軽い手ごたえ。

 メイの背中から突き出たクレアの十字槍。その穂先には黒い擬似聖杯が引っかかっていた。それが、ぱきん、と二つに割れた。メイもくし刺しになったまま、ぼろぼろと崩れ落ちる。体から噴き出た紅い蒸気が、メイの返り血のようにクレアの視界を覆った。

「はっ、はっ、はぁ…………あはっ!」

 興奮が背筋を駆け上り、脳を突き刺す。刺激的なものが心に流れ込む。

「わたし……殺せた。メイを殺すことが、できた! すごい! すごいっ!」

 メイの死に動揺するそぶりも見せず、黒い奴らが近づいて来る。クレアは、再び槍を引いて周囲を確認する。構え直すと、さらに気分が高揚した。

「いいよ。一回だけじゃ、物足りないっ!」

 再び獣のようなうなり声を発すると、全身の噴出口から紅い蒸気が盛大に噴き出した。クレアは地を踏みしめて、イドラに向かって飛び出す。蒸気の尾を引き、触れようとしたイドラを切り払う。それも、これも。同級生も、再び現れたメイも。何体も、何人も。殺していく。

「誰かを支配するって、こんなにも、きもちいいんだ……」

 見渡すと、あたり一面、黒い死体が累々と溜まっている。それらを見下ろして、ぞくぞくとしたきもちよさに浸っていたとき、地面が揺れた。ふと見上げると、他の個体よりも一回り大きい、ちょうどカリスが戦っているような獣人型イドラがそこにいた。その顔に映ったのは、母親だった。彼女が大きな腕をのろのろと振りかぶる。

「お母さん……そんなの、止まって見えるよ」

 母親がゆっくりと腕を振り下ろす。いつものように脇腹をつまんでひねり上げるのだ。難なく避けると、そのまま彼女の背後に回り、母親の背中に飛び乗った。彼女が暴れたり、腕を振り回したりして背中から叩き落そうとするが、クレアは十字槍を黒い背中に突き刺して、バランスを取りながら背中に留まる。

「親っていうだけで、わたしを支配したよね」

 槍に両手を添える。ぐっと力を入れると、腕の噴出口に蒸気が溜まり、車のアイドリングのように小刻みに振動を始める。

「今度は、わたしが支配してやる!」

 閉じ込めていた蒸気を解放した。

 爆発の勢いをまとったクレアは、彼女の背中に突き立てた槍で黒い体を貫いた。何もできない彼女の無意味で大きな体に穴が開き、ぼろぼろと体が崩れていく。

「はぁぁ…………きもちいい」

 さっきとは異なる甘くてとろとろしたものが、心に流れ込んでいるようだった。心地よい達成感に満たされて歓喜に奮える。しかし、それを邪魔するように別の同級生が襲ってきた。

「しかたないなぁ」

 狂ってしまいそうな喜悦に長く浸っていることはできなかった。


(ねぇ、どうする! このままだと、やばいんじゃない?)

 クレアは、四方から襲い掛かってくる同級生を、鋭い槍裁きで次々と仕留めていく。

(あのフィールドがある限り、そのうち、もたなくなりますっ)

 さまざまなイドラのあらゆる攻撃を、コンクエストスキルと紅い蒸気の組み合わせで的確に避け、適切な間合いに入ったあと、今度は紅い蒸気の力を上乗せして疑似聖杯を貫く。

(せめて……クレアがあの包囲から脱出できたら、違う手が打てるのに……)

 しかし、扇動者のフィールドは絶え間なくイドラの転送を行う。

 ――この力と速さなら……もっともっと殺すことができる!

 紅い蒸気に引かれるように、またしても、同級生やメイ、母親がやってきた。

(…………くっ! 私たちは、カリスのステージ防衛を優先します。マーリンは、クレアの聖杯に呼びかけつづけてください!)

 複数の同級生を相手にしても、この力があれば恐怖なんて感じなかった。

(わかりました。カリスが神話型イドラを撃破するまで耐えてください!)

 頭の中で何度も、執拗に名前が呼ばれている。うるさくてしょうがなかった。


「もっと、もっと戦える! おまえたちを、支配できるっ!」

 次の獲物にとびかかろうとしたとき、こめかみに槍を突き立てられたような片頭痛を感じた。あまりの痛さに動揺して体勢が崩れ、転んでしまう。体を思うように動かせなかったが、槍を地に突いてなんとか立ち上がる。しかし、紅い蒸気が、ぷすんっ、と途切れてしまった。

 ――時間、切れ……?

 鬼の力は数分間しかもたないらしい。強烈な虚脱感がやってきた。

 バイザーのスリットが閉じて切断面がすぅっと溶け合わさるようにつながる。元に戻った。

「ギィィイイッ!」

 人型イドラが、クレアに襲い掛かってきた。素早い動きで迫られて、殴り飛ばされた。地面に転がり、乾いた砂にまみれる。

「ぐっ、うぅ……」

 動けずにいたクレアの上に、四体のイドラが覆いかぶさっていく。

「やめてぇっ!」

 残り少ないアドミレーションを振り絞る。「鬼」の感覚が、ヘルムにまだ残っていた。パニックになりそうな自分を必死に抑えて、それを手繰り寄せる。

「ぐぁぁああっ――!」

 雄たけびとともに、四肢から再び紅い蒸気を爆発させることに成功した。体の上に乗って組み伏す四体のイドラを弾き飛ばす。飛び起きたクレアは近くに落ちていた十字槍を素早くつかみ、巧みに振り回して周囲のイドラを切り伏せる。

 しかし、そこまでだった。目の前のイドラがぼろぼろと崩れていくように、鬼の力を使いつくしたクレアもその場にくず折れる。槍も、意識も手放してしまった。


(起きてくれっ! クレアっ!)

 切羽詰まった声が聖杯に突き刺さる。意識を取り戻したクレアは、ぐるりと周囲を取り囲む大量のイドラを確認した。

 フラッシュバックが終わっていた。何を考え、何を語り、何をしたのか。はっきり覚えている。心の中は後悔と恥で満たされていて、それらが皮膚から染み出ているようだった。

「もう、消えたい……」

(あきらめたらダメだっ!)もう一度、声が聖杯に届く。(クレア!)

(マーリン……)

(クレアっ! ようやく、気づいてくれた)

(わたし……ごめんなさい)

(あともう少しがんばってほしい。立ち上がれるかな?)

 マーリンが穏やかな声で語りかける。しかし、そんな優しい言葉を受け取れるような状況ではなかった。クレアは、彼に言い訳しなければならない。

(……あの姿は、わたしじゃないんですっ! わたしは、あんな言葉、話しませんっ! あんなふうに、暴れたりなんか……しません。

 わたし、たくさんひどいことをされてきました。いつも死にたい、消えたいって思っていたくらいに。だから、わたしが味わった痛さや苦しさをわかってほしくて……ただ、それだけ。本当にそれだけなんですっ!

 でも、その気持ちが、わたしを変にして、あんなに……おそろしい考えや言葉で、姿まで化け物になって、暴れまわって……)

 マーリンの声は、変わらずに柔らかくて、ためらいを感じなかった。

(クレアが抱える痛みや苦しみは、どうにもならないくらい強くて振り回されてしまう。それを、みんなはわかってくれない、そう思っているのかな……

 でもね、今ここにいる人たちなら、クレアの気持ちをちゃんと知ろうとしてくれるよ。私はもちろん、ナタリーも、ルーティも、リンも。カリスの三人やジュリアだって)

(わたしにそんな資格は……。それに、もう動けません)

(クレア。今は……今だけは、謝罪とか後悔とか、横に置いて……あきらめずに立ち上がってくれませんか」

 マーリンの声が悲痛に歪む。こんな声は聞いたことがなかった。

(先輩っ! もう少しがんばってくださいっ!)

 リンの声だ。ナタリーとルーティの声も聞こえる。戻ってきて、と声をかけてくれる。

 しかし、作戦行動を乱してキャメロットの三人やカリスを窮地に立たせ、フラッシュバックを起こして前後不覚で暴れまわり力尽きる。そんなダメなアイドルは、この声に応えていいわけがない。まして、助けを乞うなんてしてはいけない。

 ――このまま、聖杯を侵されたほうがいい。それが、わたしにふさわしい……)

(先輩! もうすぐジ――)

 クレアは聖杯連結を切断した。もう何も聞こえない。誰の言葉も届かなかった……


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