エピローグ 「ぶつかったあとに生まれるもの」
空は、快晴。東の空にある太陽がさんさんと照る。
クレアは緊張を紛らわそうと、深呼吸をする。渡り廊下を吹き抜ける爽やかな風を思い切り吸い込み、ふぅっと、吐き出す。風の一部になったような気がした。
「そういえば、昨日のニュース聞いた?」
先頭を歩くナタリーが後ろを向いて、クレアたちに尋ねる。ルーティが応えた。
「『カリスの新体制』のこと? あわただしくなりそうね」
「オーディションやるんでしょ? ルーティもエントリーするの?」
「ばか。最低でも4thランクが条件だっていうのに、できるわけないでしょ」
「えっ!? そうなの? 出る気満々だったんだけど……」
「はあ……ちゃんと内容聞きなさいよ」
隣を歩くリンも残念がっている。クレアの視線に気づいた彼女は、にこりと笑った。
「先輩。ジニーさんやグレースさんから、なにか聞いてますか?」
「二人とも一度カリスから離れて、改めてそのオーディションに挑戦するんだって。昨日のメッセージにそう書いてた」
「そうなんだ」今度はルーティが振り向く。「前任者でもオーディションなのね」
「はい。ディーナさんの捜索にこだわるなら、カリスとして活動した方がいいみたいです」
「また、おふたりに会いたいですねっ」
「大丈夫だよ、リン」ナタリーが言った。「フェスで勝利すれば、同じ舞台に立てるっ!」
「……考え方が少年マンガ」
「シンプルで良くない? ルーティは考えすぎ」
「あっは。私は好きですよっ」
三人の掛け合いを聞けば落ち着くと思っていたが、間に合わなかった。珈琲の香りが漂ってくる。カフェ「グラール」が近い。
「クレア? 無理してない?」
これからクレアはメイと面会する。レヴィとのライブの後すぐ、マーリンと相談して準備をしてきたのだ。緊張が顔に出ているのだろう。ルーティが顔を覗き込み心配してくれた。
「大丈夫、です」
「先輩、応援してます!」
「今日、なにがあったって僕たちはここにいる。だから、安心して」
緊張はしていた。しかし、恐れてはいない。三人の言葉がその証明だった。
「ありがとう、みんな」
杯を模したロゴが描かれたグラールの看板の下にマーリンが立っていた。やってきた四人に気づくと、彼がうなずく。
「奥のテラス席を貸し切りにしています。メイさんはそちらに」
制服を整えて、もう一度深呼吸をする。後ろを振り向いて、言った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」ナタリーたち三人と、マーリンの声がそろう。
クレアは仲間たちの声を背にして、店内へ入った。
カウンターを横切り、店の奥を目指すと、テラスへと通じるガラス張りの扉に行きあたる。
夕焼けの屋上で向き合った五年前のメイがガラスに映りこむ。しかし、今向き合うべきは、扉の先で背を向けて座り、空を見上げる十七歳の彼女だ。ノブを回して、幻影をかき消す。
メイが振り向いた。彼女が立ち上がって互いに会釈すると、ショートボブが揺れる。
「メイ」クレアから声をかける。「この前は、取り乱してしまってごめんなさい」
「私も、突然訪れてしまったから」
メイは、クレアの顔をじっと見つめる。
「ひさしぶりだね、クレア。……五年前のあの日からずっと、話がしたかった」
「私も、そう。ちゃんと話さなきゃいけないと思ったの。来てくれて、ありがとう」
互いに着席し、二人分のお茶が運ばれてきたあと、メイが切り出した。
「クレアがいじめられているとき、力になれなくて……それどころか、いじめに加担してしまって……ごめんなさい」メイが懸命に涙をこらえている。「クレアが望むなら、なんでもする。大切なものすべて捧げるから」
「待ってよ、メイ。そんなこと望んでないよ。それよりも、私はたくさん話がしたい」
メイの顔が戸惑いに揺れる。クレアは言葉を継いだ。
「五年前、メイになにがあったのか、聴かせて」
「なに、って……」
「私を無視するようになった理由……とか」
「……そうだね」メイがクレアの顔をまっすぐ見る。「話さないといけないね」
「うん。おねがい」
メイは不安そうに、ひとことずつはっきりと声に出していった。
「あなたのこと、大切に思っていたの。でも……またいじめられるのが怖かった――」
メイが転校して少したった後、クレアをいじめる同級生たちに目を付けられたそうだ。囲まれて「クレアのことをどう思っているのか?」と詰問され、お前もいじめるぞ、と脅されているように感じ、その恐怖に負けてしまった。そう、メイが語る。
「――クレアを無視するたびに、心が引き裂かれるように痛かった……」
「あの裏庭での暴行……あそこにいた?」
クレアが尋ねると、メイが激しく首を振って、否定する。
「私は、参加してないっ」
日を追うごとに増していく罪悪感に耐えきれず、メイは階段からクレアが突き落とされた事件を、匿名で先生に通報したそうだ。これで同級生たちが焦り、クレアの口を封じようとしたのが、裏庭での集団暴行だった。
その日、メイは参加させられるのを恐れて、学校を休んだ。しかし、心配でいてもたってもいられず、放課後、誰にも見られないように学校に忍び込む。
叫びたくなる気持ちを抑えて、暴行の様子を傍観していたが、クレアがナイフを持って暴れ、手に大けがをして裏庭を飛び出すと、何とかして助けたいと思い、後を追ったそうだ。
「屋上で飛び降りようとしているクレアに、本当に驚いて……うまく止められなかった。柵に駆け寄ったときには、校庭で倒れたまま動かなくて……すぐに救急車を呼んだの――」
メイは自分を責めつづけていた。
クレアが飛び降りたのは、ここで手をつかめなかったせい。クレアが屋上にたどり着いたのは、集団暴行を止められなかったせいで、階段からの突き落とし事件を通報したせいでもある。そして何より、メイがいじめに加担したせい。
そう考えていたようだ。
「――クレアが一命をとりとめたと聞いて、会いに行こうとしたんだけど、どこにいるのかわからなくて……。病院を突き止めたときには、もう退院したあとだった」
「アイドルになることを決めて、ISCIの施設に移った後……かもしれない」
メイが寂しそうな顔でうなずく。
「クレアに死を望ませてしまったのは、私のせいで、私の罪。でも……」
メイが開きかけた口をつぐみ、切なくて苦しそうな顔をしてうつむく。クレアは言った。
「聴かせて、メイ」
はっと驚いた様子で顔を上げると、メイの瞳から涙がこぼれた。
「でも、いじめの加害者として裁かれなかった。罰を受けないとダメなのに……」
「あの集団暴行に関わってないから……」
「それじゃ納得できなかった」メイは首を振る。「罪の重さを知ろうとして……何度も屋上を訪れて、クレアの気持ちを想像した。少しでも自分を罰しようとして……自分を傷つけた。心がすっとするけど、それは一瞬で……気休めでしかなかった」
メイがブラウスの袖で左手首を隠して、つづけた。
「私はちゃんと裁かれたかったの。罪と罰を与えてくれずに姿を消した、クレアのことを憎く思ってしまうくらいに……」
メイの涙があふれ出す。「ごめんなさい、ごめんなさい」と声を上げて。
クレアは向き合うことから逃げつづける罪の重さを改めて知った。
「私の話、都合がいいよね。本当だって信じられないよね……」
メイの濡れた瞳がまっすぐに向けられる。
「…………」
二人の間に、重苦しい沈黙が訪れた――
そのとき、爽やかな風がテラスを通り抜ける。葉擦れの音と、かすかに薫る緑の匂いを連れてきたそれは、ポニーテールを揺らす。クレアの前に道が生まれた。
「私は、まだ五年前のことを受け容れられていないと思う」
メイの顔を正面にとらえたまま、クレアはつづける。
「でも、今は恨んでいない。罰したいとも思っていない。絶対に忘れないけど、もう手放したい。過去に起こったことで『自分』を決めるのは、もう止める」
「クレアは……どうしたいの?」
メイからの問いに、クレアは覚悟を決めて答えた。
「本当かウソかは関係ない。私は、メイの話を信じる。そこからはじめる」
「はじめるって……?」
「もう一度、メイと友達になりたい」
メイは目を見張って、クレアの顔を呆然と見る。
瞳に涙が浮かび、にこりと微笑んだ。
誰かと向き合いつづけるのは難しい。メイとの関係だって、五年前と同じにはならない。いろんなものを抱えたり、失ったりして、お互いが変わっていくからだ。
しかし、だからこそ二人の関係は別の良いものに変えていけるはずだ。
未来を恐れず、葛藤や違いを認め合って、乗り越えていこう。
「クレア、そろそろ時間です」
マーリンがやってきて、面会時間の終了を告げる。
クレアとメイは、五年間の空白を時間ぎりぎりまで埋め合わせていた。
お互いに席を立つ。メイの笑顔が爽やかに見えた。
――私も同じように笑えているといいな。
「話ができて、良かったよ。メイ」
クレアが右手を差し出す。
「また、会いましょう。クレア」
メイも手を差し出して握手をする。クレアはうなずいて、言った。
「これからも、よろしく」




