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第十一章 「あなたと向き合うために」

 紅い夕陽が落ちて、東の空から夜がやってきた。

 湖を見渡せる崖の上には、旅人が休息できる広場があった。輝化を解除したクレアたち四人は、そこに設えられたレンガ造りのファイヤーピットで火をおこし、同じくレンガを積み上げた簡単なスツールに座って、焚火を囲んでいる。

 グレースにいれてもらった珈琲の香ばしい匂いと炎の温かさに包まれながら、クレアは半生を語っていた。校舎の屋上から飛び降りたところまで話し終えても、フラッシュバックに襲われる感じはなかった。

「それじゃあ、クレアはなぜ助かったのか、はっきり覚えていないの?」

 ジニーの質問に、クレアが胸に手を当てて答える。

「聖杯が目覚めたおかげ、ということをマーリンから聞きました」


 最寄りの病院へ運ばれ、緊急手術を受けたクレアは、一命を取り留めることができた。

 経過観察と治療のため、入院することになったのだが、クレアの母親はお見舞いや付き添いを一度もしないだけでなく、支払い能力がないと言って治療費を出し渋っていた。病院ともめる母親は、はつらつとしていた。虚ろな表情でクレアを虐待していた彼女とは別人だった。

 クレアの体に、自殺未遂とは関係ない傷痕がたくさんあることを確認した医師が児童虐待の疑いがあると、関係機関に通報した際も、母親は虐待だとは一切認めなかった。「育てにくい子どものしつけだ」と反論し、「なんでも虐待と騒ぎ立てる世間知らず」とわめきたてた。

 そんな母親の様子にクレアが絶望していたときに現れたのが、マーリンだった。飛び降りた校庭に大量の紅いアスタリウムの欠片が散乱していた、といううわさをたどってクレアにたどり着いたらしい。

 突然やってきたマーリンにアイドルの資質があることを告げられ、スカウトを受ける。

 これまでの仕打ちで、大人を信じることができなくなっていたクレアは拒絶する。しかし、マーリンはゆっくり優しく寄り添ってくれた。彼の導きで、自発的にアイドル・アドミレーションを発現し、それをアスタリウムの結晶として輝化できるようになると、クレアは、ようやくマーリンの言葉を信じられるようになった。

「ISCIが管理する児童養護施設から中学校に通ってみませんか?」

 マーリンからそう提案されたとき、そうしてもいいのだ、と初めて知った。「母親とともにいなければならない」という呪いから解放してくれたマーリンへの信頼が確かなものになり、クレアはアイドルのことを積極的に学ぶようになった。

 アイドルの使命。イドラとの戦い。その華やかさの裏にある命がけの舞台について学んでいたクレアは、一つの動画に目を留める。

 それは、ISCI主催のアイドルフェス、一対一で実力を競う『ザ・ランウェイ』の決勝戦だった。並みいる強敵を倒して最年少優勝を果たしたのは、キリア・エクスフィリエンス。ステージの上で、毅然としてしなやかに躍動する彼女は、一つの迷いなくまっすぐ進んでいるように見え、とてもまぶしかった。クレアは生まれて初めてこんなふうに生きたい、彼女のようになりたいという憧れを抱いた。

 その後、クレアは、マーリンのスカウトを承諾して、アイドルとなることを決めた。

 それを知った母親が、これまでとは打って変わり親権を主張し、ともに暮らそうとすり寄ってきたが、マーリンとの関わりの中で、母親が絶対の存在ではないことを確信できるようになったクレアは、マーリンの支援を受けながら、母親と別れることに成功した。

 こうして、クレアはプロダクションへの入所が許可される十六歳になるまで、ISCIの管理の元で生活しながら中学校に通うことになった。


 グレースが優しい声で尋ねる。

「中学校は、どうだったの?」

 クレアは、いくつかのイメージを思い浮かべる。

「…………」

 言葉が出ない。グレースが怪訝な顔をする。

「なにかあった?」

「まさか、そこでもいじめられた?」

 ディーナの問いに、クレアは首を横に振る。

「いじめられることは、なかったです。良い思い出がちゃんとあります。ただ……思い返すと、わたしは成長できていないのかも……と思ったんです」

 クレアはうつむいて、その先を話しはじめた。


 なぜ、いじめられたのか。どうして自殺を選んでしまったのか。

 その問いに対して、クレアは自分が弱かったからだと考えた。だから、憧れのキリアのように強くなることを決意した。

 退院後のリハビリと平行して少しずつ体を鍛えた。そして、食生活も改めることにした。もともと料理好きだったクレアは、栄養学の勉強を始める。献立を自ら設計し、自炊することで、食事による体質改善を図ろうとしたのだ。

 一年後。リハビリが終了すると、クレア自身も違和感を覚えるほど身長が伸び、筋肉がついて、体がひと回り大きくなっていた。飛び降りたときとは比べ物にならないほど劇的に体は強くなった。しかし、もう一方の心は成長できていなかった。

 中学校で、クレアは空気を読むことを必死で身につけた。相手をじっと見つめて、顔色やジェスチャーを読み取り、言葉の表と裏の意味を想像して、ぶつかりそうだと思ったら回避する。

 しかし、その一連の行動がわずらわしくなり、初めからすべての力を回避に割いた方が楽だということを悟り、話したいことさえも口に出すことをやめてしまった。

「寡黙で、近寄りがたい人」として認識されると、クレアには誰も近づかなくなってしまった。

 小学校の「無視」ではなく、一目置かれている、という感じだった。ややこしいコミュニケーションから解放され、いじめられることもなく、楽で生きやすかった。だから、「寡黙」を演じつづけた。

 中学校は恵まれた良い場所で、運が良かった。いじめられなかった原因は、きっとそれだけで、自分の心の何かを克服できたわけではなかったのだ。


「中学校でいじめられず、アイドルになることができて、昔の自分を乗り越えたと思っていました。苦しかったことや痛かったことなんて、もうなくなったんだって。

 でも……メイと再会した途端、フラッシュバックに呑み込まれて、いら立ちや怒りでしか想いを伝えられなくなりました。それで、本当に大切だったキャメロットのみんなに、ひどいことを言って拒絶して……

 マーリンに生まれ変わるチャンスをもらったのに、やっぱりわたしは、ダメなまま……」

 くやしくて、どうしようもなくて、涙が出た。

「もっと普通に生きたい。もっと強くなりたい……」

 涙をぬぐうと、ジニーがぽつりと言った。

「くやしい、よね」

 聖杯連結をつなげていない。それなのに、言葉にしなかった感情を言い当てられた。

 クレアは大きくうなずく。ジニーが言った。

「相手と、ちゃんと向き合えるようになりたいよね」

「なりたいです」

 何のためらいもなく言えた。ジニーと心が一つになっているようだった。

「今も、友だちや仲間が怖い?」

「怖いです。……傷つけられたり、裏切られたり、するから」

「他人はなにを考えているのか、わからない?」

「はい……だから、わたしは、他人を避けるんです。ぶつかる前に……」

「みんなを避けつづけたら、こわくなくなった?」

 クレアは首を横に振る。

「もっと怖くなりました。いつの間にか追い詰められていて、校舎の屋上に……」

「どうして、『避ける』を選んだの? 『ぶつかる』は選べなかったの?」

「……わたしは『育てにくくてダメな子』なんです。自分の意思や意見なんて大切にされたことはありません……やっぱり母親の言うとおりだって、いつも思っていました」

 胸の奥が痛む。それでもクレアはつづけた。

「ダメなわたしだから、『避ける』以外に考えられない。他の人たちに『ぶつかる』なんてできない。わたしは皆と違う。そんなことをしたら、いけない……」

 クレアの言葉を受けとめたジニーは、どこか苦しそうな面持ちで応えた。

「避けなきゃいけないときはあるよ。けどさ……アタシは全部『避ける』じゃないと思う。どこかでぶつからなきゃいけないときがくると思う」

 心が刺激され、苛立ちまぎれの言葉が飛び出した。

「わ、わたしだって! そう、考えたんです……。変わりたいと思って、誰かをいじめられるような人間になれると思って、ワールドツアーのライブに臨んだんです。

 でも、いくら強い自分をよそおっても、うまく相手と関われなかった。ジニーさんたちはもちろん、キャメロットのみんなが相手でもそうでした。どうしてもイライラするんです!

 そうしたら、あんなふうに暴走してしまって……。他人だけじゃなく、わたし自身のことももこわくなりました。わたしには想いを持つ資格なんてない。まして、気持ちを伝えることなんてしちゃいけない……」

「クレアは、それでいいの?」

 ジニーのまっすぐな瞳の中に、もう一人の自分がいる。必死に否定していた。

「……変わりたいっ。こんなに苦しい思い、もうしたくない!」

 ジニーは、クレアの言葉にゆっくりとうなずいた。

「変われる。今からだって遅くない。絶対にこれまでとは違う自分になれる」

「でも、いったいどうしたら……」

「誰にでも『自分を表現する権利』があるの、知ってる?」

「表現する、権利……」

「クレアは、そんな権利なんて自分にはないと思っているんじゃない? でもさ、『誰にでも』だよ。クレアも相手も同じ人間。どうしてクレアだけそう思わなきゃいけないんだ?」

「それは……」

「ムジュンしてるんだよ。クレアだって、ぶつかることができる」

「それって、本当ですか? 同じ人間でも、違いが……」

「違いはないよ」ジニーがきっぱりと声を上げた。「絶対に、ない」

 ジニーが両手を強くにぎりしめる。その固い拳を、隣に座るグレースがほどくようにやさしくなでて言った。

「義姉さんと私もね、子どもの頃に、いじめ……みたいなことと闘っていたの。苦しかったときに私たちを助けてくれた人から、その事実を聞いてね。それが私たちの転機になったんだ」

 ディーナも、優しく微笑んで口を開く。

「私もその事実に、救われた」

「だから、クレアも、その権利を確信してほしいな」

「…………わたしも、表現していい……」

 そう口にしただけで、心のあちこちがうずく。しかし、カリスの三人がこらえる力をくれた。

「誰にでもその権利があるからこそ、相手とぶつかるんだ。ぶつかったら、もめごとは怖いし、めんどくさい。できるなら、避けたいよ。

 だけどさ、アタシたち、みんな同じ人間とはいえ、一人ひとり違う聖杯を持ってる。表現するものは、みんな違う。だから、ぶつかるのは自然なことなんだよ。世界はきっとそうできているんだ。思いどおりにいかないことなんて当たり前だよ」

「ぶつかったときは、どうしたら……」

「そのときは、自分が引いたり、相手を押さえつけたりせず、対等な立場で互いの思いを示し合って、争いを解決したらいい。

 自分は生きているだけで価値がある。相手も生きているだけで価値がある。みんな同じ。それを信じたら、相手と正しくぶつかれる。向き合いつづけることができる。話し合ったり、ときには戦ったりしてさ。そうすればきっと、望む先に進めるようになれる」

「相手と正しくぶつかる。向き合いつづける……」

 ジニーがうなずく。

「そのために必要なのは、自分の考えや気持ちを確かめること。無視したり、ごまかしたりしないこと。それを伝えるのが自分も相手も大切にできるのか考えること。そして、相手に伝えて、相手を理解しようとするのをあきらめないこと」

「自分を知って、相手を知ろうとする……」

「アタシはさ、想いや気持ちに正直でいることを誓っているんだ。でも、それを相手に伝えるとなると……つい感情的になっちゃって、誤解されるんだけど……」

「これまで、わたしとそういうふうに向き合ってくれていたんですか?」

 不意をつかれたようにジニーが目を丸くする。揺れる炎が彼女の顔を赤く照らした。

「……そうだよ。それに今も!」

「ありがとう、ございます」

 ほてった肌がさらに熱くなる。ジニーから目が逸らせなかった。

「クレアと向き合っているのは、アタシだけじゃない。グレースも、ディーナも、キャメロットの三人も、きっと同じ」

「そうですね。わたしもジニーのように、わたしや相手とちゃんと向き合いたい」

「クレアなら必ずできるよ」

 ジニーの言葉が勇気となる。

「心の中にまだ残っているこの痛みもなくしたい」

「そう、だね」ジニーは傷を手当てするようにやさしく言った。「正しくぶつかりつづけたら……心の傷は、たくさんある傷の一つとなって軽くなるかもしれないし、かさぶたができて、傷を癒してくれるのかもしれないね」

 ふと脳裏に言葉が浮かんだ。

「ぶつかったとしても傷つかない鎧がほしい。もし、ぶつかって傷ついたとしても、それを覆って癒す『かさぶた』がほしい……」

 思わず口に出していた。いつどこで聞いたのだろう。心の奥底から掘り返されたようだ。

「あっは。そんな自分になれたら最高だな! でもさ、一人でそうならなくていいから。クレアの周りには、いっしょにぶつかってくれる人がいるし、傷の治療を手伝ってくれる人もいる。いつでも相談してよ」

「はい。ありがとうございます」

 ジニーが力強くうなずく。

 五歳年上の彼女がたたえた満面の笑顔は、これまでで一番をクレアを安心させる笑顔だった。


 クレアたちはワールドツアー・キャンプへ帰還する準備を始めていた。

 帰還するのは、クレアとジニー、グレースの三人。ディーナは、サスカッチがスポットに戻ってくるかもしれないから、ということで、このファイヤーピットで監視することを決めた。

 準備を終えたクレアの元に、ディーナがやってくる。

「私の言ったとおりでしょ? もう少し近づいたら、ジニーたちが好きになれる、って」

「はい。そうですね」

 少し気恥ずかしいけど、今の気持ちは、ディーナの言葉どおりだった。クレアはきちんとディーナに伝えることができた。

「私もね、昔、家族にいろいろされて……自分じゃどうにもならない葛藤に苦しんでいてね。ジニーと出会って、クレアみたいにちゃんと向き合ってもらって、ようやく軽くなったんだ。

 ジニーには、本当に感謝している。離れていたって、彼女の言葉が私を支えてくれるし、彼女がこの世界のどこかにいるだけで私は生きていける。きっと同じようにクレアの力になってくれるよ」

「わたしも、そう思います」

「キャメロットのみんなと仲直りできるよう、がんばって」

「はい」

「クレア~? 準備できた? 出発するぞ」

 ジニーがやってきて、クレアとディーナの顔を見やって訊いた。

「二人でなに話してたの?」

「みんな、あなたのことが好きだ、っていうこと」

 ディーナが恥ずかしげもなく、少しからかうように応える。ジニーは少し顔を赤くした。

「……はぁ、ディーナにはかなわないよ」

 荷物をまとめたグレースがやってきて、言った。

「定期連絡よろしくね。ディーナ」

「なにかあったら、すぐに知らせてよ!」

「うん。二人も気を付けて」

 ディーナに手を振りながら、クレアたち三人は出発した。


「ディーナ、また待っているのかな……」

 隣を歩くグレースのつぶやきを聞いたクレアは、思わず尋ねていた。

「待っているって、なにをですか?」

「え? ああ……」

 グレースが迷っていると、先を行くジニーが足を止める。

「ディーナの一族の話、覚えてる?」

 クレアも立ち止まる。

「神話型イドラのリヴァイアサンに滅ぼされたって……」

 ジニーがうなずいたあと、グレースが代わって説明する。

「ディーナはね、スポットを見つけると、一人でそこに待機したがるの。理由は言わないんだけど、そのイドラを待っているんじゃないかなって……」

「一人で、って……もし、そのイドラが出現したら」

 ジニーが落ち着いた声で言った。

「強い思いがあるみたいだから止めてない。でも、大丈夫。なにかあれば必ず連絡をしてくれるし、すぐに駆け付けるから」

 今はキャンプに戻ろう。そう言って、ジニーが再び歩き出した。

 ディーナが心配で、後ろ髪を引かれるような気持ちもあった。

 しかし、これから再びキャメロットの三人と向き合うことへの緊張の方が強かった。


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