第十章 「ぶつかり合うアイドル」
「クレアを放せっ!」
突然の声、そして轟音。何事かと目を開くと、力強い若草色の光がサスカッチの右腕を貫いていた。輝化の光だ。拘束が緩み、クレアは湖のほとりに落下した。
「ギギャアアアアァァッ!」
サスカッチの悲鳴が湖畔に響き渡る。
光の奔流を追って振り向くと、森の中に人影があった。ゆっくりと近づいてくる。
「ようやく見つけた」
ライフルを肩にかつぎ、巨躯のイドラを威圧するのは、ジニーだった。
クレアの腰に、ジニーの左手から飛び出したマフラーが巻き付き、ぐんっと力強く引っ張られる。勢いのまま宙を飛び、地面に叩きつけられた。
すぐそこにジニーがいた。マフラーが外れ、元の長さに戻っていく。テンガロンハットに隠れた顔を覗くと、相手を燃やせそうなくらい激しい怒りを宿している。クレアを見下ろして、ジニーが言った。
「クレアはそこでじっとして」
その迫力に、クレアはすくんでしまう。しかし、違和感を覚えた。
――怖い、だけじゃない。わたし、怒ってる?
うつむきかけた顔を上げて、にらみ返すが、ジニーはサスカッチと対峙していた。
「ガアァッ! グワアァッ――!」
サスカッチが必死に吠えて威嚇する。今度は、拙い言葉で訴えはじめた。
「コンナボクハ、イヤダ。ソノコトヒトツニナッテ、チガウボクニナル」
「お前の気持ちには応えられない」
「ソノコト、ヒトツニナラセテ!」
ジニーが構えたライフルにアドミレーションが集束する。
「そんなことさせない」
ジニーが引き金を引く。ばぁんっ、という音ともに、アドミレーションの散弾が飛び出し、イドラの体の大部分が消滅した。
どさ、と消滅を免れたサスカッチの首が地面に落ちてきた。その首は、ぐにゃりと形を変えてちいさな黒い猿になる。
「これで、最後だ」
怯えて、震える猿にライフルを突きつける。ジニーが引き金に指をあてた。
「待って!」
クレアはジニーに飛びついて、ライフルにしがみつく。
「なっ! クレア!? じっとしてって言ったでしょっ!」
ジニーが戸惑うのを見て、サスカッチがクレアに飛びかかった。
「ソノコト、ヒトツニッ――」
緑にまばゆく光る左腕が、イドラよりも速くクレアの前を横切った。
「はぁ……。クレア! あぶなかったじゃない!」
ジニーが黒い猿をわしづかみにしていた。サスカッチは逃れようともがくが、アイドル・アドミレーションに耐えきれず、間もなく消滅した。しかし、疑似聖杯がない。
黒い猿がいた場所を確認する。そこに黒いかたまりがあった。それは、焦ったように地面を這ってスポットに飛び込む。
「くそっ、また逃げられた」
悔しそうに見送ったジニーがクレアの方を向く。険しい表情をして何かを言おうとするが、言葉にならない。ため息をついて代わりの言葉を継ぐ。
「朝からあいつを探してたっていうのは知ってるよね? 途中でクレアがいないって連絡あったから、範囲を広げて捜索してて……こんなことになっていたなんて、ビックリしたよ」
「……なんで」怒りに衝かれて、想いが飛び出した。「なんでっ、じゃまするんですか!」
ジニーは、思いもしなかった言葉に驚いたようだった。目を丸くしている。
「はぁっ? じゃまって……それはクレアじゃん! イドラ退治のチャンスだったのに」
「わたしは聖杯浸食されるつもりだったの! それを、あなたにじゃまされたんです!」
「聖杯浸食されるって……クレア!」ジニーの表情が一変する。目をむいて、クレアの胸倉をつかむ。「なに考えてんのっ!」
「やめて……」涙をぐっとこらえ、ジニーの手を引きはがす。「やめてよっ!」
湧き上がる怒りをさらに爆発させた。
「もう少し、だったのに! もう少しで消えることができたのに! なんで、なんでっ!」
ジニーの怒りも激しさを増す。ぎりっ、と歯をきしらせ、褐色の肌を紅潮させる。
「それ本気で言ってんの? アイドルが自殺するために聖杯浸食されるなんて……。どうしてそんなことすんの! バカなんじゃないの!」
「だって……だって! わたしは……生きているのが恥ずかしいから。だから……」
「クレアっ――」
まだ何か言いたそうなジニーの声音。そこに、グレースとディーナがやってきた。
「義姉さん、落ち着こう?」
「ジニー、場所を変えよう。ここではクレアの聖杯に良くない」
グレースとディーナが二人がかりでジニーをなだめる。
「……わかった」
ジニーの返事を受けて、グレースがクレアに声をかけた。
「まずはここから離れるよ。動ける?」
彼女たちといっしょに居たくない。クレアは、カリスの三人に背を向けて走り出す。
「待って!」
グレースが紫色のロープを一本放つ。クレアはいつものライブと同じ要領でそれを避けた。
「クレアっ! 止まれって!」
ジニーも大きな声で呼びかけている。しかし、聞き入れるつもりはなかった。クレアは前だけを見て走りつづける。森の中に入ると、声は聞こえなくなった。
――結局、わたしがたどり着く先は、「あそこ」しかないんだ……
湖畔の森にたたずむ丘の切り立った崖は、五年前の校舎と同じくらいの高さだった。クレアが丘の頂上に立つと、あの日と同じ、血のように真っ赤な夕陽を目の当たりにした。
落下防止用の簡単な柵が立てられているが、クレアの身長では、あってないようなものだった。乗り越えて崖下を覗く。あの校舎よりも恐怖を感じた。
「クレア!」
突然、後ろから声がかかる。もう放っておいてほしかった。
振り向くと、すぐそこに息を乱したジニーがいた。呼吸を整えながら広場を進み、柵を乗り越えたクレアに近づいてくる。
「それ以上、来ないで」
「なにするつもり?」ジニーが問いかける。
知ってどうするつもりなのか。いぶかしく思いながら答える。
「居場所がなくなって、アイドルの力もなくなりました。これから先もずっと、いじめられる……それが決まったんです。もう、ダメなんです……わたしには、ここで生きる資格がないんです! だから、消えます。だから、死にます!」
「……本当に、そんな覚悟あるの?」
「あります」背後の夕陽を見つめる。「みんなが、わたしのことを蔑む以上に、わたしは、『わたし』を蔑んでいます。だから、惜しんだりしません。……それに、前にも飛び降りたんです。校舎から、ですけど……。今度こそ死んで消えます。誰にもぶつからなくなります」
心を奪われるほど美しい、紅いグラデーションに映える空はいつまでも見ていられた。
ジニーが深く息を吐き、吸い込む。そして、声を張り上げた。
「クレアには、できないよ!」
あまりの大声に驚いたが、クレアも負けじと声を振り絞る。
「できるっ! もうアイドルじゃないの。アドミレーションが湧いてこないの! それでこの高さから落ちればどうなるか……わかるでしょ!」
夕陽を背負った自分の影が長く伸びている。ジニーが、うろたえるように震えるその影を踏んだ。じっとクレアの目を見つめたまま、一歩ずつ。踏みしめながら近づいてくる。
「できない。だから、こっちに来て」
「なんで……わたしのことなのに、断言するの!? あなたのそういうところが嫌いなの!」
「アタシも、クレアのそういう自信のないところが嫌い」
ジニーが、もう一歩距離を縮める。
「やめてっ! ……これ以上こっちに来ないで!」
「だったら、早くこちらに来て。来ないなら」さらに一歩。「アタシが行く」
「なんでっ……やめて!」
一歩後ずさりする。もう後がない。
「クレアは、飛び降りることなんてできないっ!」
涙が込み上げてきた。
「わたしはっ、わたしを信じられないのっ!」
そうジニーに告げて、クレアは後ろにもう一歩下がる。
「クレアっ!」
手を伸ばしたジニーから逃れるように、クレアは自分を宙に投げ出した。
五年前と同じように、空を泳ぐ心地よさを覚える。しかし、涙が止まらない。
上から大音声が降り注いだ。
「この、バカっ!」
クレアが見上げると、ジニーも崖から飛び降りて、必死に右手を伸ばしていた。
「『できない』って言ったでしょ!」
ジニーの首に巻かれたマフラーが右手に沿ってしゅるしゅると勢いよく伸び、クレアに向かって飛び出した。即座に体に巻き付いて、ぎゅっとクレアを縛る。
ジニーが反転する。今度は崖に向かって左手からマフラーを放った。先端が楔の形に変わり、崖肌に突き刺さる。
ぐぐっと落下の速度が打ち消される。ジニーのマフラーで崖にぶら下がった。
一瞬の出来事に、クレアの心臓がはげしく鳴っている。夕陽に照らされた顔が熱い。
――また、死ねなかった……
紅い空と同じ色をした怒りがクレアの中で渦巻いていた。
「よい、しょっ」
グレースがコンクエストスキルを使って崖上からクレアとジニーを引き上げた。広場で、ディーナがクレアの体を診る。
「ケガは……ないようだね」
「ディーナ、アタシは~?」
「ジニーがケガすることなんてあるの?」
「ひどっ」
ディーナがにやっと笑いながら言った冗談を受けて、ジニーが微笑みながら言う。
クレアがその様子を眺めていると、ジニーと目が合った。彼女の笑顔は一瞬で消え失せ、静かな怒りを秘めた顔に変わる。立ち上がってクレアの方にやってきた。
クレアも立ち上がった。怒っているのは、ジニーだけじゃない。
二人が広場の中央で対峙する。
ジニーが右手を振り上げてクレアの頬をひっぱたく。ばちん、と意外に重い音が響いた。
「バカっ! どうして、こんなことすんだよ!」
ジニーの言葉に、クレアは、かっとなって相手の顔をねめつけた。
心の自由を邪魔されたことへの苛立ちが、聖杯の奥で燃え広がる。その熱さを覚えたら、ちりっ、と聖杯がうずいた。
「それは――」
聖杯にアドミレーションが湧いてきた。聖杯の機能が順に戻ってくる。クレアは、胸にわだかまる熱を解き放った。
――輝け。
ジニーが目を見張り、口もとに笑みを浮かべる。
胸から鮮紅色のアドミレーションがあふれ出した。いつもと同じように輝化防具を装着する。ヘルムの紅く透明なバイザーを下ろした直後、あの「鬼」への変身が始まった。ヘルムが変形し、全身の噴出口から、しゅうっ、と紅い蒸気が上がる。
「――わたしのセリフよ!」
クレアはジニーに飛びかかった。
鬼の状態なのに我を失っていない。槍の輝化は不要だ、と冷静に判断できている。扇動者とのライブとは違う感覚だった。
「いいねっ! 言いたいこと、全部ぶつけてみなよ!」
ジニーはマフラーの両端を腕に巻き付けた。瞬時にアドミレーションに還元され、ぎらぎらと緑に輝く衣となる。
クレアが紅い蒸気の力を借りて、拳を突き出す。
「どうして! 助けようとするんですか!」
「助けたいと思ったからだよっ!」
ジニーはクレアの拳を丁寧に防ぐ。
もう一度。今度は、もっと早く突き出した
「どうせ、自分の利益になるからなんでしょ!」
「クレアには、このやり取りがそう見えるんだ」
またしても防がれた。ジニーは反撃してこない。
「そうよっ! わたしは、あなたのことも信じられないの!」
突き出した拳が、ジニーの手のひらで受け止められた。ばちっ、とアドミレーションを相剋させながら、すごい握力でつかまれる。引き抜くことができない。
「アタシは、クレアのことを信じているよ」
「くっ…………うそよ!」
もう片方の拳を突き出すが、同じように手のひらで受け止められる。
「どうして、そう思うの?」
ジニーの懸命な表情に気圧される。
「だって、そんなことあり得ないから! わたし以外の誰かは、わたしを傷つける!」
「でも……だからってずっと避けていたら、誰もいなくなる。アタシはそう思う!」
ジニーが、クレアの両手をつかんだまま、両腕をぐいっと後ろに引いた。
体ごとジニーに引き寄せられる。彼女の顔がマフラーのアドミレーションで包まれた。ジニーの不敵な笑みを見た直後、紅いバイザーに彼女の額が激突した。
「ぐぅっ!」
予想以上の衝撃で頭が揺らされる。両手の拘束は解けていた。ジニーに言い返そうと、顔をあげる。しかし、彼女の方が飛びかかってきた。
「アタシは、クレアと向き合う!」
バイザーのスリットに、ジニーの両手が差し入れられる。ひっかけられた両手の五指で鬼の口をこじ開けようとする形だ。ジニーの力に屈して、ゆっくりとあぎとが開いていく。クレアの視界が広がり、顔があらわになった。
目の前にはジニーの顔がある。彼女が口を開いた。
「向き合って、正しくぶつかる!」
恥ずかしくなるくらい、ジニーはクレアを見つめている。彼女の瞳はとてもきれいだった。まっすぐで、涙をたたえ、夕陽を反射させてきらきらと輝いている。こんなにきれいなものから瞳を逸らすことなんてできるはずがなかった。
「なんで、そこまで……」
彼女に向ける怒りは消え失せていた。つかみかかろうとしていた両腕から力が抜ける。
ジニーの両手が放れる。鬼の口は開いたままだった。クレアがつづける。
「自分の命をどうしようと、わたしの勝手、です……」
「それなら、アタシが、どう思って、どう動こうがアタシの勝手ってことだね」
「……ジニーさんは、わたしが嫌いなんでしょ?」
「そうだね。アタシは、クレアが自分を貶めるのが嫌い」
ジニーの嫌いな対象は、クレアではなく、性格のことだったようだ。
なぜかほっとして力が抜ける。輝化解除されて制服姿に戻った。
「アタシは、クレアの『死にたい』を否定しないし、怖がらないよ――」
ジニーも輝化解除すると、クレアを強く抱きしめた。甘いバラの香りが鼻をくすぐり、体の柔らかさとあたたかさが全身に染みわたっていく。心地よくて、胸が締め付けられた。
「――だから、聞かせてよ。クレアの気持ちを。もっと知りたいよ」
瞳から幾筋も涙がこぼれていく。思わずクレアも抱きしめ返した。
死ななくて良かった。初めてそう思った。その嬉しさを嗚咽で表現する。子どものようで恥ずかしかったが、涙は止まってくれなかった。
「聞いて、ください。知ってほしいです」
それは、生まれたての言葉だった。




