三、
コウが働く湯屋『七色の湯』は、その名のとおり、温泉宿である。
上質の温泉と食事、そしてサービスで、様々なお客様に人気の宿だ。
売りは、毎日変わる外の景色である。特に貸切露天風呂からの景色は絶景だ。
ぼうと浮かぶ色とりどりのぶたくさんの光は毎日変わらず見えるのだが、景色が毎日異なるのである。
同じ景色でも時間によって見え方は違う。それぞれの景色を様々な時間で楽しむために、宿泊はもちろん一日滞在のお客様は多い。日帰りで毎日来るお客様、つまり常連さんも多い。
源泉は同じでも、お客様に合わせて温度や効能を調整したり、薬湯を作ったりもする。
担当を気に入ったお客様から指名をもらえるようになると、地位もお給金も高くなるシステムだ。
より良いサービスをすればお客様は多くのお金を支払ってくれるし、それに応じて使用人は待遇が良くなる。
お客様は満足してお帰りになり、使用人も今後期待できることがある、まさにウィンウィン、というやつだ。
ただ、まだお客様の前に立つことさえできない下っ端には、まったく関係のない話だが。
ところで、今日は“月”の日。外の景色に美しく月が浮かぶ日である。
日の出とともに薄れていく月、青空に映る真昼の白い月影はもちろんだが、夜空に輝く月は格別だ。コウの最も好きな光景の日である。
しかも今日は好天の景色。夜には星もよく見えることだろう。そのなかに浮かぶ三日月を想像するだけで、うっとりしてしまう。
「コウ! 早く行くよ!」
「うん!」
セイに言われ、四人で最初の持ち場である風呂へ向かった。
「あんたたちの仕事はここね」
分厚い化粧をした能面顔の風呂番の婆に連れてこられたのは、釜風呂の一画。貸切ではないが、それぞれが高い仕切りで区切られていて、空いていれば好きに入ることができる。
もちろん景色がよく見えるよう、外側の壁はすべてガラス張りの窓である。曇らない仕掛けつき。貸切風呂まで使う余裕のないお客様には人気のお風呂だ。
コウたち四人は、同期の男子、オリ、グウ、シマとここで合流した。他にも先輩がいる。
「一人一か所、昼の風呂解放時間までにぴかぴかに磨き上げな」
「「はい!」」
全員で返事をすると、どこを掃除するかが割り振られた。
「あんたはそこ」
「えっ」
そこ、と言われたのはコウだが、声を上げたのはスズだった。
コウに与えられた場所は、錆だらけで苔蒸していて、床も垢だらけの汚い一画だったのだ。これは大変そう、の一言では済まないひどい状況。
「昨夜、貧乏神さんが入ったらしくてね、このザマさ。しっかりやんなよ」
先輩たちはにやにやと嫌らしい目でコウを見ると、自分たちはそれに比べればずっと簡単そうな風呂の仕切りへと入っていく。
「なんでいつもコウだけ」
リョウが小さく言う。
「いいのいいの、ぴかぴかにして見せつけてやるんだから!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「怒ってくれるだけで嬉しいよ?」
いつものことだ。慣れてるから。
「ほら、早く始めよ! 時間なくなっちゃう」
こうして文句を言っている時間がもったいない。先輩に気付かれないくらいの小声でぶうすか言いながら、同期も持ち場につく。
「よしっと」
作務衣の袖をまくり上げる。
目の前にあるのは、ここ何十年も使われていなかったかのような、古びた窯。
うーん、これは酷い。
どこから手をつけていいものか。
まずはお風呂から、と決めて、さっそく仕事にとりかかった。