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此岸の花  作者: ぬりえ
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二、

 腹が減っては戦はできぬ。

 最初にこれを言ったのは誰だろう。そのとおりだ。


 食堂には誰もいない。机もぴかぴかにされていて、厨房からは食器を洗う音が聞こえてくる。

 もちろんお客様のための朝食作りは現在進行形で、厨房が戦場であることに変わりはない。

 その戦場に、足を踏み入れる。


 いつものところ――入ってすぐの隅っこの台に、大ぶりのおにぎりが三つ、味噌汁と一緒に並べられていた。


「いつもありがとうございます!! いただきます!!」


 返事はなくとも、聞こえている。

 お行儀は悪いがはしっこにしゃがみこみ、一つ目のおにぎりにかぶりつく。具は鮭の西京焼。


 う~ん、おいしい。


 賄いは洗い物を最小限にするため、ごはんを盛った丼におかずをすべて乗せて出されることがほとんど。あとは一杯の汁物。

 しかしコウの場合、朝のお勤めで他のものより食事時間が短くしかとれないため、大将がこうしておかずをおにぎりにしてくれるのだ。

 おにぎりのお米一粒一粒と一緒に、優しさを噛みしめる。

 あとの二つは香の物と、そぼろだった。どちらもお客様用の朝食の余りだろう。他の使用人はそれらを食べていないので、ちょっと得した気分になる。


「ごちそうさまでした!! 今日もおいしかったです!!」


 冷えてしまったじゃがいもと長ネギの味噌汁を流し込んで、叫ぶ。

 厨房に立つ人たちの顔が、なんとなくやわらかくなった気がした。


「行ってきます!!」


 自分の部屋へとまた走り出す。

 部屋へ戻ると、セイ、スズ、リョウの三人が支度を終えたところ。


「お、来た来た」

「そろそろ行くよ」

「今日はお風呂掃除からだって」


 休む間もない。口をゆすいで歯にそぼろが挟まっていないかだけを確認し、四人で二階の広間へ向かう。


(あね)さんたち、今日もきれいだね」

「いいなぁ。あたしも早くオシャレしたい」

「うちらのお給金じゃ当分無理」


 コウたちは新人で、下っ端の下っ端である。仕事は雑用という名の使いっぱしりを寮でするか、お客様から見えないところの掃除など。

 もっと上の位になれば、お客様の目に恥ずかしくない着物を身にまとい、受付や番頭、案内、部屋の手入れなどをすることができるが、それはまだまだ先の話だ。

 お客様の前に出ることを許されるのは、そういった姐さんたちのお付きとして勉強させてもらうときだけである。


「でも今日は姐さんたちのお供できる日だね!」


 スズが声を弾ませた。

 いつの日かの勉強のために、ほんのまれにその機会が与えられる。それが今日。

 そこで見初められれば引き抜きや昇格もあるという噂だ。本当かはわからないが。


「よっしゃ、風呂掃除は体力きついけど、がんばるぞ!」


 おー! と、みんなで拳を突き上げると、ゴーン、と鐘の音が七回、広間に響き渡った。騒がしかった広間が一斉に静まり返る。みんな、視線は天上階。


 天井にぽっかりと四角の穴が開き、ういーん、と音をさせながら天井だった部分が降りてくる。その上には女の人が乗っていた。支配人だ。


「お前たち!」


 三十代後半くらいに見えるが、威厳あるオーラを放つその人がぴしりと声を張る。

 右目の下にある大きめに膨らんだほくろが、きゅっと吊り上がった眉を強調している。声はいつも鋭く、背筋が伸びる。


「今日も『七色(しちしき)の湯』の一日が始まるよ! お客からきっちりと金を獲れるサービスを提供してきな!」


 お客様からいただくお金以上のサービスをしてこい、ではなく、お金をより多くもらえるサービスをしてこい、という意味。

 つまり、お金。


「さぁ、持ち場につきな! ぐずぐずしてる奴はすぐに減給か解雇だよ!」

「「はい!」」


 張りつめた返事が響くと同時に、使用人たちは一斉に動き出した。


 湯屋『七色の湯』の一日は、こうして始まる。


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