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第一章 ずっと会いたかった

 大陸の北方には無数の小国がひしめき合っている。その中でも南寄り、帝国と国境を接する位置に、古い歴史を持つアークライト王国はあった。

 穏やかな気候と肥沃ひよくな大地に恵まれ、農耕を中心とした産業が栄えている。国が豊かであるがゆえに、南方に帝国ができてからというものの、幾度となく侵略の矛先を向けられ、小競り合いを含めれば数え切れない程の戦争を経験してきた。

 アークライトの王城は、そういった数多の戦いの歴史を想起させる荘厳なものだった。強固な石造りの城壁で囲まれ、高い尖塔が空を貫く。強大な帝国からの侵攻を防いできた由緒ゆいしょあるたたずまいを、国民は王国の誇りとしていた。

 王城の中、つややかな大理石の上に赤い絨毯じゅうたんの敷かれた広い通路を、カリム・ファーガソンは大股で歩いていた。実に腹立たしい。自分に何の断りもなく一連の話が進んでいることに、カリムは憤慨ふんがいしていた。

 突き当りには、大きな扉がある。カリムにとっては、毎日のように訪れることになっている、おなじみの場所だ。扉の前で一度立ち止まり、気を付けして身なりを整える。炎を思わせる短く刈った柔らかい金髪、ろうで出来ているかのような白い肌、硝子がらす玉みたいな透き通った青い瞳。身を包んでいる第二王女付きの警備兵の制服は、ぱりっとしていてしわひとつない。

 一通り確認し終えると、それから軽く咳払いをして。カリムは扉をノックした。

「カリムです。入ります」

 開けるのとほぼ同時に、「どうぞー」という間の抜けた声がした。ここは執務室だ。本来入られて困るタイミングなど、ほとんどないはずだった。ましてや、カリムは警備の責任者だ。断られたなら有無を言わさずに踏み込む権限だって持っている。

 部屋の奥、大きなデスクの向こうには誰もいなかった。さて、今日は一日デスクワークの予定であると聞いていたのだが。それを反故ほごにした張本人は、デスクの横にある大きくて立派な椅子に腰かけて、侍女のパメラに髪を結わせていた。

「やあ、カリム。今日はちょっと予定にない面会が入ってしまってね」

 よくもまあしゃあしゃあと。判っていてやったことは明白だ。カリムが反対することを知ったうえで、まるで卑怯ひきょうだまし討ちのようにして、勝手に予定を組んでいたのだ。

 窓から差し込む光が、白金プラチナブロンドの髪を鮮やかに輝かせている。金糸の刺繍ししゅうが贅沢にあしらわれた白いドレスに身を包んで、まるでその場にきらめきの塊でも置かれているかのようだ。目元も、唇も、首筋からドレスを通して伸びる細い腕に、その指先まで。すべてが繊細で、きめ細かな細工物みたいな美しさがある。

 アークライト王国第二王女、メリア・アークライト姫。このアークライト王国の王族であり、カリムの警護対象その人だった。

「メリア様、本日の件、事前に判っていたのではないですか?」

 カリムの質問に、メリアはうーんと視線を中空に彷徨さまよわせた。

「どうだったかなぁ」

「お判りだったはずです」

 メリアの後ろから、パメラがじろり、とカリムを凝視した。パメラ・リースはメリアと同い年の十七歳。メリアが幼い頃から、友人兼侍女として仕えている。カリムはこのパメラが、正直に言って少し苦手だった。

 ゆったりとしたメイド服に、ふわりとした栗色の長い髪を一つに縛ってまとめている。メリアの横にいるから目立たないが、大きくてぱっちりとした目に、整った顔立ちのなかなかの美人だ。ただし、中身はメリアに輪をかけて食えない。二人に揃って悪巧みをされると、カリムではまるで歯が立たなかった。今回の件に関しても、そうだ。カリムにとっては分が悪いことこの上なかった。

「とにかく、義勇兵団から護衛の者を受け入れるのは、考え直していただきたいのです」

 かいつまんで言えば、そういうことだった。

 カリムはこの北方の国々を守護する、白銀騎士団の一員だ。白銀騎士団は、帝国の侵略から長年にわたって北方を守り抜いてきた。戦争だけではなく、訓練や警護のため、北方の各国にその力を提供している。

 カリムがメリアの護衛の任について、今年で七年になる。十六の時に始めたのだから、二十三歳のこの年まで、カリムはほこりを持ってこの仕事に従事してきた。

 それが、義勇兵団などという良く判らない連中に仕事を奪われるなど。

 ましてや、メリア王女の警護の仕事を任されるなど、あって良い話なわけがない。

「別にカリムやルイザのことをクビにしようとは思ってないよ。人数が増えれば、ローテーションが効いて楽になるでしょう?」

「それなら騎士団にお申し付けください。何故義勇兵団なのです?」

 ふぅ、とメリアは面倒臭いと言わんばかりに息を吐いた。

「要請があったんだよ。義勇兵団は今力をつけてきてるし、威光を示したいんでしょ。私の警護をしているっていうのは、それなりにはくが付くんじゃないかな」

「それが判っていながら受け入れるということは、メリア様は義勇兵団に肩入れなさるおつもりですか?」

 カリムの怒りは収まらなかった。カリムにしてみれば、メリアの警護は騎士団の名誉あるお役目なのだ。そこに他の者が割って入ってくるというのだから、まったくもって面白くない。

「カリムの言い分は判るよ。ただ、まだ受け入れるとは決めていないからね?」

 今日メリアがり行おうとしているのは、まずは「顔合わせ」だった。警護役として紹介された者に対して、一度顔を見てやろう、という程度のものだ。

「顔合わせだけでもやっていただきたくはなかった。その者が賊であったらどうするのです?」

「それは考えすぎでしょう。義勇兵団もそこまで愚かではない」

 メリアの言葉に、カリムはむっとしたが、もう反論をこころみることはしなかった。何を言っても無駄だ。こうなってしまった以上、メリアを止めることは難しい。これはこの件に関わらず、実に毎度毎度のことだった。

「まあ、まずは顔を見てみようよ。話はそれからでも遅くはない」

 髪を結い終わり、メリアはすっと立ち上がった。伝統ある王国の、美しい姫君の姿がそこにはあった。




 白銀騎士団は、長い間北方の国々の平和の象徴であった。元々は、交通の要衝ようしょうであるラプサックの街を治めるシャビア公爵の私兵団であり、主に隊商キャラバンの護衛を請け負っていた。

 帝国がその勢力を拡大するに至って、北方の各国が軍事力の強化に苦慮していた際、シャビア公爵は騎士たちを派遣という形で様々な国の兵役に提供し始めた。長い期間をかけて戦闘訓練をほどこされ、厳重な戒律を守る騎士たちは、どの国においても一流の兵士として重宝された。

 騎士たちは数と勢いを増し、北方の国々において、白銀騎士団は軍事力の代名詞となりつつあった。それだけ、北方の各国は国防に関しては白銀騎士団に依存しきっていた。

 しかしそんな中、先の戦争において、帝国との直接戦闘で勝利したのは白銀騎士団ではなく、アークライト王国の義勇兵団であった。

 義勇兵団は元々、白銀騎士団の台頭を面白く思わない一部の貴族たちによって組織された軍隊だった。主に、志願した市民たちによって構成されている。「そんな素人の寄せ集めに何ができるものか」と、当初はその存在自体が軽視されていた。

 それが先の戦いで、一躍大きな勲功くんこうを上げることとなった。陽動によって騎士団本隊が留守となったアークライトの王城に、数千の帝国兵が押し寄せようとしていた。王城の者たちがもはやこれまでと覚悟を決めたところで、帝国軍の前に立ちはだかった数百の義勇兵団が、見事にそれを打ち払って見せたのだ。このことはアークライト王国のみならず、周辺諸国でも大変な騒ぎとなった。

 義勇兵団は、アークライト王国の英雄となった。その働きは大きな称賛を持って取り上げられ、国王自らが感謝と賛辞の言葉を述べた。それに対して、騎士団はその評価を下げるどころか、王国内での存在感自体を失いつつある。

 歴史的な敗走を経て、帝国の侵攻は徐々にその鳴りを潜めつつあった。帝国との戦いを主な舞台とする騎士団の威光は、このままでは沈みっぱなしだ。勢いに乗った義勇兵団が発言力を強めるような事態は、騎士団としてはなんとしても避けたいところだった。




 コツ、コツ、コツ・・・

 正確に均一な音を奏でているのは、時計の針ではない。先ほどからウィルの前を行き来している、衛兵のたてる足音だった。背筋をまっすぐにして、寸分の狂いもなく一定の歩数で同じ区間を往復している。よく訓練されている、というよりも、気味が悪い。

 王城の中に通されて、兵が二種類いることはすぐに判った。目の前にいる機械仕掛けみたいなタイプと、後は奥の方に立っている、眠気に耐え切れずにぐらぐらと揺れているようなタイプの二つだった。

 前者が騎士団から来ている者で、後者がこの城の本来の衛兵たちなのだろう。城の衛兵たちは正直、もう少し緊張感を持っていても良いとは思うのだが、騎士団の方も少々やり過ぎな感がある。ただ、この二者が共存していられるということは、アークライト城というのはウィルが想像していたよりもずっと平和な場所であるらしい。

 左手首にまいたチェーンのブレスレットに、ウィルはそっと触れた。ちゃり、という静かな音色が、いつものようにウィルの心を落ち着かせてくれる。

 金のブレスレットは、ウィルの腕にはすぐに小さくなってしまった。彫金師に頼んで鎖を継いでもらったのだが、ウィルの手持ちではこんな美しい純金の鎖を買い足すことは出来なかった。結果として、武骨な鉄の鎖と、繊細な金の鎖が繋ぎ合わされた、なんともいびつな形状のものになり果ててしまった。

 しかしどのような形になったとしても、このブレスレットはウィルにとって大切な思い出であり、宝物であり。彼女との約束、絆でもあった。

 それにしても、まさかこんなことになるとは。

 ウィルはこの国、アークライトを護るために義勇兵団に入り、帝国軍と戦った。アークライト王国を守ることは、それはすなわちウィルがずっと想い続けてきたメリアを守ることに繋がると考えたからだ。

 幼い頃に出会い、ほんの少しだけ同じ時間を過ごし、目の前から消えてしまった少女、メリア。いなくなってしまえば、それはひと夏の幻のようにも思えた。ウィルの手には、金のブレスレットだけが残された。この小さなブレスレットを見るたびに、ウィルはメリアの存在を思い出し、気持ちと覚悟を新たにした。

 メリアを護る、剣になりたい。

 自分の無力さを思い知って、雨に打たれた日のことを思えば、ウィルはどんな苦しみにも耐えることが出来た。目の前に群がる無数の帝国兵を目の当たりにして、一歩も退くことなく戦い抜けることができたのも、その想いがあったからこそだ。

 ウィルはもう、あの時みたいな少年ではない。身体は軍務で鍛えぬかれた、鋼のような筋肉で覆われている。シルエットこそ細身のままだが、骨の代わりに鉄の芯が入っているのかと思わせるほどに、無駄がなく引き締まっている。背丈も義勇兵団の中では高い部類に入るほど伸びたし、顔立ちもくっきりとして、少年の頃の面影は、目元に少し残っているくらいだった。

 英雄ウィル・クラウド。帝国との戦いで、誰ともなくウィルのことをそう呼んだ。言われるような働きをした自覚はないのだが、人々はウィルをそう呼んでたたえた。

 確かに、ウィルはこの国のために戦って、この国を救った。しかし、それは元を正せばたった一人の少女、この城の中にいるはずの王女のためでしかなかった。

 英雄と呼ばれるのはくすぐったかったし、こればかりはいつまで経っても慣れそうにない。

 そう考えたところで。

「ウィル・クラウド殿、メリア・アークライト様がご拝謁はいえつなさる。謁見えっけんの間に入られよ」

 ウィルは名前を呼ばれて、謁見えっけんの間に進んだ。そうだ、この場所にやって来た。

 メリアを護る剣となるために、ウィルはついにここまで辿り着いたのだ。


 謁見えっけんの間に入ってすぐに、ウィルは目の前に座る一人の女性に目を奪われた。礼も何もかもを忘れて、一瞬全身が硬直してしまった。それは向こうも同じであったようで、いっぱいに見開かれた目から、アイスブルーの瞳がこぼれて落ちてしまいそうだった。

 すぐに気を取り直して、礼をして前に進み出る。なるべく顔を上げないように、部屋の中央で膝をついてかしこまる。お陰様で、部屋の中の様子などまるでうかがう余裕がなかった。ウィルの後ろで扉の閉まる重い音がした。

「ウィル・クラウド、義勇兵団の英雄と聞き及んでいます。御身おんみに間違いはありませんね?」

 良く通る、透き通った声。懐かしい、遠い昔に聞いて、ずっと忘れていた。

「はい、ウィル・クラウドに御座います。本日は義勇兵団より、メリア・アークライト第二王女の警護を任されたく、こうして参上した次第です」

 床を見たまま、用意していた口上を淡々と述べる。するり、と衣擦れの音がした。

「よくいらっしゃいました。私がメリア・アークライト。この国、アークライトの第二王女です」

 かすかに「メリア様」と呼びかける声がした、脇に控えていた衛兵だろうか。絨毯じゅうたんの上を歩く、軽い足音がする。

 ウィルの視界に、小さな足先が見えた。心臓が跳ね上がる。メリアはウィルのすぐ目の前まで近付いてきていた。

 どういうことだろうと思ったところで、メリアはその場で膝を折ってしゃがみ込んだ。「メリア様っ」と今度は明らかにたしなめる声が聞こえてきたが、メリアは全くお構いなしの様子だった。

「左手のそれを、見せてください」

 ウィルは左手首のブレスレットを、そっと前に差し出した。その手に、白い手袋に包まれた掌が重ねられる。細くて、柔らかい。昔、離れないようにと強く握った手。

「少し手直しされたんですね」

「どうしても寸法が合わなくなりまして。彫金師に頼んで鎖を継いでもらいました。その、不恰好で申し訳ありません」

 思ったように言葉が出てこない。ウィルは段々、何も考えられなくなってきた。義勇兵団として、メリア姫護衛の任を得ることは非常に重要なことだ。それは判っているし、何よりもウィルにとって、この仕事はとても大事なことだった。

 それは判っているのだが、どうしても落ち着けない。冷静になれない。

 理由は明確だ。判り切っている。

「いいえ、大事にしてくれているのですね。ありがとう、ウィル」

 メリアがウィルの名前を呼んで。

 ウィルは、肩が震えた。あの時と同じ声、同じ呼び方。ずっと求めてきて。ずっと護りたいと願ってきた。

「顔を上げてください、ウィル」

 ゆっくりと顔を上げると、すぐ目の前にメリアの顔があった。別れた時、ウィルは十二歳、メリアは十歳だったか。お互いにまだ子供だった。男の子と、女の子。それすらもまだ、はっきりとはしない程度の年頃。

たくましくなりましたね、ウィル。本当に。私を、この国を護ってくれるほどに」

 今のウィルは十九歳。大人、と言うにはまだ若いかもしれない。しかし、男としてはもう一人前のつもりだった。剣を取って戦い、愛する人を守る力を持っていると、そう自負していた。

「メリア、君は綺麗になった。あの頃もそう思ったけど、君はやっぱりお姫様だったんだね」

 十七歳になったメリアは、美しかった。白いドレスに身を包んで、白金プラチナの髪を結い上げて。何処から見ても、恥じるところのない一国の王女だ。

 ウィルの中に、あの時、十歳のメリアに感じたのとは違う、熱い気持ちが生まれてきた。身体の奥から大きな塊が湧き上がって、胸の内側に叩きつけられるような想い。左手に触れるメリアの感触が、そこを通じてウィルの全身にまで行き渡る。

 アイスブルーの瞳がゆがんで、ほろり、と涙があふれた。

「ちゃんと言いましたよ、アークライト王国第二王女、メリア・アークライトであると」

 メリアは、ふわり、と優しい笑顔を浮かべた。

「だから、君を護るために戦った。戦って、ここに来た」

 ここにメリアがいると、ウィルは信じてきた。数々の苦しみに耐え、痛みをこらえ。死を乗り越えて、生き抜いた。

「はい。感謝しています。あなたが護ってくれたから、私は今、ここにこうしていられる」

 メリアの身体が動いた。「なっ」という声が聞こえた。声を上げたのは、金髪の背の高い警護の男だ。それが見えたのは、ウィルの目の前から、メリアの姿が消えて。

 力強く抱擁ほうようされたからだ。


「ウィル、会いたかった、ウィル!」


 感情が、メリアの言葉に満ちている。

 許されることなら、ウィルもメリアの身体を抱き締めたかった。こうしてメリアの下に到達できた喜びを、全身で表したかった。

 だが、今のウィルはメリア王女の警護の候補者であり、メリアはアークライト王国の第二王女だ。

 下手なことをすれば、あの金髪の警備兵が烈火の勢いで剣を向けてくるだろう。

 今は、これで良い。

 懐かしいメリアの匂いを感じながら。

 ウィルは長い間夢見てきた再会の感動に酔いしれていた。




 『孤高の牡鹿』亭は城下の裏通り、あまり上品とは言えない狭い建物の隙間のような場所にある。店の中は昼夜問わず荒くれ者の溜まり場となっていて、ここ数年は特に義勇兵団たちの馴染みとなっていた。

「よーっし、我らが英雄ウィル・クラウドの立身出世を祝って、乾杯!」

 髭もじゃの大男、師団長のバークの声に応えて、店中の男たちが一斉に掛け声をあげた。バークの横にいるウィルも、笑顔で杯をぶつけ、こぼれた酒を浴びて陽気に笑った。

「しかし、即日採用決定とは恐れ入ったな」

 顔合わせを受けたその後、数時間もしないうちに義勇兵団側に城からの使者が訪れた。ウィル・クラウドをアークライト王国第二王女メリア・アークライト付きの警備兵として採用する。知らせを受けて、義勇兵団は大いに沸いた。

「まあ、色々あってな」

 メリアとの関係を、ウィルは誰にも話していなかった。子供の頃の思い出は、メリアと二人だけの大切なものだ。それをコネとして利用するのも、何かを間違えているような気がする。ウィルは、どうしても自分の力だけでメリアを護り、メリアに会いに行きたいと願っていた。

 左手のブレスレットに、そっと触れる。あの時の少女が、本当にアークライトの第二王女であったことが、ウィルにはまだ信じられなかった。

「どうだった、ウィル? 王女様ってのは、やっぱり美人だったのか?」

 仲間に訊かれて、ウィルは日中に出会ったメリアの姿を思い出した。

 金色に光る白いドレスを纏った、艶やかな肌を持つ美しい女性。子供の頃と変わらない、愛らしい笑顔。それでいて、昔とは違う、柔らかくて心地良い感触。

 メリアに抱かれた時のことを思い出して、ウィルは赤面した。

「そうだな、美人だったよ」

 おおー、と歓声が上がった。メリア王女の姿を見たことのある者は、この中にはウィル以外には誰もいない。そもそも王族が公務以外で人前に姿を現すなど、至極しごくまれなことだった。

「これで騎士団にデカい顔をされないで済むな」

 そうだ、という合いの手が何処かから聞こえた。義勇兵団が、騎士団に負けない程度の存在感を示すこと。それもまた、今回の警備兵の役を得る上での大事な目的の一つだった。

「姫様の警護には、今は騎士団の人間が就いている。彼らが罷免ひめんされるわけではない。これからは仕事仲間なんだ」

 ウィルの言葉に、ぽつぽつと馬鹿にしたような笑い声が起きた。メリアのそばにいた金髪の男、あれが騎士団から来ている警護担当だろう。見た感じ、確かに腕は立つようだった。

 今は、彼がメリアを護る剣なのだ。共にメリアを護ることができるのなら、仲間と呼べるのだろうが。

 あの様子では、少々難しそうかな、とも思えた。

「ヘマをして、こちらが追い出されないようにな」

 バークがウィルの背中を力いっぱいに叩いた。二三歩よろめいて、ウィルはバークを恨みがましく睨み付けた。だが、すぐに笑いがこみあげてきた。

 残念なことに、今はどうしても喜びの方が大きい。

 メリア・アークライト。

 メリアは、正しくウィルと幼少の時を共に過ごした彼女だった。メリアはウィルのことを覚えていた。ブレスレットのことにも気が付いて。最後には、ウィルの名を呼んで抱き締めてくれた。

 ウィルはメリアのために義勇兵団に入り、帝国と戦った。その想いが認められて、受け入れられたと感じて。

 心の底から、嬉しいと思えた。メリアを護る剣になる。望みはかなえられた。

「アークライト王国に栄光あれ!」

 ウィルの掛け声に応えて。

 酒場の外、裏路地全体に聞こえるほどの大声が響き渡った。




 執務室のデスクで、メリアは最後の書類にサインを書き終えた。これで手続きは一通り終了。後は実際の受け入れだけだ。

 小さな鈴を鳴らすと、係の者が入ってくる。「事務方に」とだけ伝えて書類を渡すと、係は駆け足で去って行った。

「はぁ、やっと終わった。もうこんな時間じゃないか」

 窓の外は真っ暗だった。背もたれに体重を預けて、メリアはうーん、と伸びをした。

 続きの部屋の扉が開いて、パメラが入ってきた。その眉間には深いしわが刻まれている。それを見て、メリアはうわぁ、と顔を青くした。

「こんな時間まで、警護受け入れの手続きをされていたんですね」

「うん、まぁ。ウィルにはすぐにでも城に入ってもらいたいし」

 パメラは長いため息をいた。疲れとあきらめと、とにかく様々な感情が入り混じっていた。

「メリア様、今日のあれはマズかったです。せめて警護として採用された後、二人だけの時とかにはできなかったのですか?」

「いや、ごめん。想像以上に感動しちゃってさ。自分が抑えられなかったんだ」

 ウィル・クラウド。

 帝国の侵攻を阻止した義勇兵団の英雄の名前は、メリアも聞き及んでいた。それが、自分が子供の頃に出会ったあのウィルなのか。メリアはどうしても確認を取りたかった。

 そんな中、義勇兵団からの警護役提供の申し出は、まさに渡りに船だった。カリムたち騎士団に気取られないように密かに話を進めて。ウィル・クラウドを警護担当の候補とし、ようやく顔合わせまで持ってきたのだ。

「うん、彼だったよ。ウィル・クラウド。私は、ずっと彼に会いたかった」

 嬉しそうに笑うメリアの顔を見て、パメラはやれやれと肩を落とした。

「メリア様、お気持ちは判りますが、メリア様はアークライト王国の第二王女、姫様なんですよ?」

 再会の喜びから、メリアはウィルに抱き着いてしまった。第二王女が、その立場を忘れて警護候補でしかない男性を抱擁ほうようするなど。アークライトの長い歴史の中でも、前代未聞の珍事だろう。

 カリムは怒りのあまり熱を出して寝込んでしまい。カリムの従士でもう一人の警護担当ルイザは、そのせいでカリムの部屋と執務室を行ったり来たりする羽目におちいった。流石に可哀想になったので、ルイザには今日に限ってカリムの看病に専念してもらっている。「騎士というのも案外メンタルが弱いな」というメリアの無責任な言葉には、パメラもルイザもあきれ返った。

「今日ばかりはカリム様が気の毒です」

「そんなことを言われてもなぁ」

 メリアは椅子の上でだらしなく四肢を放り出して、天を仰いだ。


「姫様なんてむいてないよ」

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