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序章 君を護る剣になる

挿絵(By みてみん)

 アークライト王国の東、ポスラの村の周辺には、深い森林が広がっている。生い茂る鮮やかな緑をたたえた木々の群れと、清純で澄んだ小川のせせらぎは、この地を訪れた者たちの心に穏やかないやしと安らぎを与えてくれる。

 だがその日、その場にいる者たちにとって、状況はまるで異なっていた。

 頭上には、どんよりとしたにぶい色の雲が広がっている。黒と灰色のまだら模様の向こうから、今にも大粒の雨がこぼれ落ちてきそうだった。

 森の中央を貫く、ろくに整備もされていない田舎道には、この場に似つかわしくない綺麗に手入れされた大型の馬車が停まっていた。繋がれた二頭の馬も、この辺りでは滅多に見ることのない栗色の美しい毛並みだ。

 周囲に散って立つ男たちの腰には、銀色に輝く長剣が下げられていた。柄に刻まれた紋章は、北方の国々を守護する白銀騎士団のものだ。ポスラがいかに辺境の田舎、開発から取り残された僻地であったとしても、白銀騎士団の名声を知らない者はいない。

「メリア様、こちらへ」

 騎士の一人が声をかけた。白金プラチナブロンドの髪が揺れる。少年のような装束に身を包んだ少女が、肩にかけた豪奢ごうしゃなショールの端を胸元で強く握りしめた。

「少し待て」

 有無を言わさぬ強い口調で、騎士を制する。

 その様子を、ウィルは黙って見つめていた。

 目の前で起きていることは、あまりにも現実から乖離しすぎている。ウィルは、自分が夢でも見ているのではないかと思った。

 頬をつねれば、痛くないだろうか。しかし、そんなことをするまでもなく、ウィルの身体はボロボロだった。あざが身体のそこかしこにできているし、手足は傷だらけだ。そこら中がずきずきとうずいている。いい大人が、子供相手に手加減なしだった。いや――

 本気でなければ困ってしまう。

 ウィルは、本気で戦いたかった。この手で、彼女を護りたかった。護り抜きたかった。ただ、ウィルはまだ子供だった。どんなに意志が強くても、現実には遠く力が及ばない。

 村の中で、ウィルは同世代の少年たちの中では一番「強い」のだと自負していた。細身だが、しなやかな筋肉は山野を駆け巡ることで程よく鍛えられている。足も村では一番早いし、イノシシだって独りで仕留めることが出来た。

 しかし、それでも足りなかった。ウィルが持っているのは所詮、山奥の、小さな村の中で誇ることのできる強さ。その程度のものだった。

「ウィル」

 鈴が鳴るような透き通った声で、ウィルは名前を呼ばれた。目の前には、メリアがいる。この夏を、一緒に過ごしたメリア。森の中で出会って、山小屋にかくまって。

 山で果物を採って、川で魚を捕まえて。

 お互いに笑って、並んで夜の星を見上げたメリア。

「ごめんなさい、ウィル。お別れです」

 メリアは右手を差し出した。呆然と立っているままのウィルの掌を取って、細くて白い指がそっと包み込んでくる。ウィルはメリアの体温を、暖かさを感じた。

 アイスブルーの瞳に、ウィルの顔が映し出されている。黒い髪、日焼けした肌。みすぼらしい、山育ちの少年。土の汚れと、り傷、打撲の跡。無様ぶざまだ。ウィルは奥歯を噛みしめた。

「黙っていてごめんなさい、ウィル。私の名前は」

 メリア。まぶしい陽射しの下で、彼女は最初にそう名乗った。ウィルが今まで出会った、どんな女の子よりも可愛くて、美しくて。触れただけでひびが入ってしまいそうな白い肌に。時折、男の子みたいに屈託くったくなく明け透けに笑い声をあげて。

 この数日で、ウィルの心の全てを奪ってしまった彼女。

 彼女は。

「メリア・アークライト。アークライト王国第二王女、メリア・アークライトです」

 すぐそこにいるメリア。ウィルに触れているメリア。

 手を繋いで走った。身体を寄せて並んで座った。横になって、お互いの寝息を聞いた。

 そんな思い出が、何もかも遠くなっていく気がした。メリアは、ウィルの手を握って、そこに立っているのに。

 彼女はもう何も届かないくらいの距離をへだてた、はるか彼方の地に住まうお姫様だった。

「メリア姫、様?」

 ウィルのつぶやきに、メリアは小さく、だがはっきりとうなずいた。

「はい。私は、この国の姫です」

 温かいしずくが、ウィルの手の甲に落ちた。メリアの小さな肩が、震えている。初めて見る、メリアの涙。

「ウィル、賊から私を護ろうとしてくれたこと、そのためにあなたが傷ついてしまったこと。本当にありがとう、そしてごめんなさい。できることなら、せめてあなたが無事に村に戻るまで見届けたかったのですが、それはかないそうにありません」

 この辺境の土地には、粗暴な野党の集団が流れ着くことがある。たまたま森で遊んでいたところを、二人は野党に発見されてしまった。ウィルは必死に抵抗し、メリアを逃がそうとして。

 酷い暴行を受け、つい先ほどまでは立って歩くこともできなかった。

「俺は、君を護れなかったよ」

 メリアは大きく首を振った。白金プラチナの髪がきらめく。「星がまたたくみたいだ」と、ウィルはぼんやりと考えた。

「あなたは私を護ろうとしてくれた。立派でした。あなたが必死に抵抗してくれたからこそ、私は無事だったのです」

 ウィルが野党たちの気を引いている間に、メリアはその場から逃げようとした。野党たちはそれに気が付き、動けなくなったウィルを置いて追跡を始めた。あわや、もう一歩でメリアが捕らわれるというところで。

 避暑地の離宮から抜け出したメリア姫を捜索していた騎士団が、その騒ぎを聞きつけたのだ。

 騎士団によって駆逐された野党たちは、既に連行されてこの場にはいない。メリアを迎えにきた馬車と、騎士たち。そしてメリアの訴えにより、メリア救出の一助をになったとされる、ウィルが立ち会っていた。

「ウィル、私はあなたのこと、忘れません。あなたと過ごしたこの日々を」

 メリアが遠くに住む貴族の娘であることに、ウィルは薄々感付いていた。身なりは良いし、場違いなくらいに言葉遣いや物腰も丁寧だった。そして何よりも、この辺りの山のことについて、あまりにも知らなさすぎた。少なくとも、ポスラの近隣の住民ではない。

 自分が何処からやって来たのか、メリアは語りたがらなかった。何かから逃げてきたのかもしれない。それなら、ウィルは自身の力でメリアを護りたかった。美しい姫を護る、騎士でありたかった。

 ――幼稚な夢。それは、ウィルには行き過ぎた願いだった。

 メリアは、本当のお姫様だった。ウィルはただの村の子供で。メリアを護るのは、本物の騎士の役目だった。

 ウィルは野党たちに一方的に殴られ、蹴り飛ばされた。メリアを逃がすこともできなかった。事態を収拾したのは、駆けつけた騎士たちだった。悔しさで、ウィルはメリアの顔をまともに見れなかった。己の無力さが恥ずかしかった。

「ウィル、これを」

 メリアは自分の手から、金のブレスレットを外した。飾り気の少ない金のチェーンに、幾つかの宝石がしつらえてあって、ぴかぴかと輝いている。ブレスレットをウィルの手に握らせると、メリアは涙をかずに微笑んだ。

「これは、私からの感謝の気持ち。私を護ろうとしてくれた、あなたへの想い。そして」

 届かないところにいる彼女が、一歩前に踏み出した。ウィルの胸に、メリアは顔を押し付けた。甘い香り。一緒に眠った時に嗅いだ、メリアの匂い。

「私とあなたとの、大切な絆です」


 遠ざかっていく馬車と騎馬の一団を、ウィルはずっと見送った。馬車に乗るまでに、メリアは何度もウィルの方を振り返っていた。ウィルはメリアのブレスレットを手にして。

 ただじっと、立ち尽くしていた。

 知らない間に、雨が降り出していた。しとしとと。やがて、地面に叩きつけるように強く。

 それでも、ウィルはその場を動かなかった。雨に濡れるままに、メリアの消えた方角を見つめていた。

 力があれば、強さがあれば。メリアを護ることはできただろうか。

 ウィルの手で、ウィルだけで。メリアを救うことはできただろうか。

 ウィルがもっと強ければ、メリアはここからいなくならなかっただろうか。騎士団なんかに、連れ去られることはなかっただろうか。

 どうすれば、ウィルはずっとメリアと一緒にいることができたのだろうか。

 涙が止まらない。雨が降る前から、ウィルはずっと泣いていた。今はもう、顔を濡らしているものが雨粒なのかなんなのかすら判らない。

「メリア」

 ウィルの声は、もうメリアには届かない。田舎の村に住む一人の少年と、王国のお姫様。

 その距離は、果てしなく遠い。

 手に持ったブレスレットを、ウィルは強く握りしめた。雨粒にさらされて、それでもまだ、そこには熱が残っている。メリアの腕のぬくもり。メリアが残してくれた、二人の絆。

「俺は」

 もう見えない、はるか遠くの世界に消えてしまったメリアに向かって。


「俺は、君を護る剣になる!」


 ウィルは、ありったけの大声で叫んだ。

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