表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

現実世界恋愛もの

妹が彼氏連れてくるって

作者: 在り処

 





 俺の睡眠を邪魔する慌ただしい音。

 ゆっくり目を開ければ、真っ白い光を反射する天井がすでに太陽が上がっていることを教えてくれる。


 チラと視線を時計に向ければ午前八時半。

 そのまま二度寝するという選択肢もあるが、一階から聞こえてくる騒音はいつ終わるとも知れない。

 俺は体を起こし小さなため息を吐くと、飛び跳ねた髪を摩りながら階段へと足を運んだ。


 下に降りると開けっ放しにされたリビングの扉の向こうで、上機嫌に掃除機を滑らせる人影。

 単調なリズムで壁に激突する先端も、そんなに力強くぶつけることないじゃないかと悲鳴をあげている。

 ふと気配を感じたのかこちらに顔を向けた女性は、掃除機のスイッチを切って笑顔を浮かべた。


(ゆう)くん、おはよう。もうちょっとでお掃除終わるから、朝ごはんはちょっと待っててね」

「おはよう、陽子(ようこ)さん。朝飯は別にいいんだけど、日曜日くらいゆっくりしようよ」

「あら、悠くんは夏休み中だから毎日が日曜日みたいなものでしょ?」


 確かに今は夏休み中だが、日曜日は日曜日。

 やはり休息日としての感覚を持ち合わせたいものだ。

 反論するだけ無駄だと悟ってリビングの椅子に腰掛けると、陽子さんは鼻歌交じりで掃除を再開させた。


 陽子さんは俺の叔母だ。

 俺の両親は海外を転々と渡り歩く考古学者で、小さな頃からこの家でお世話になっている。

 事実、小学校に上がるまでは本気で陽子さんが母親だと思っていたぐらい、うちの両親は俺を放置していた。

 そういえば最後に会ったのは中学入学の時だから、もう5年は会っていない。


 だから俺にとっては陽子さんが母親であり、その旦那の(とおる)さんが父親であり、その娘で俺の2歳年下の裕美(ひろみ)ちゃんが妹である。

 ただ実の両親が生きているので透さんや陽子さんを「父さん、母さん」と呼べないのが面倒なところだ。


 それにしても陽子さんだ。

 普段から笑顔の絶えない人だが、今日はいつもにも増して表情が明るい。

 掃除を終わらせた陽子さんは俺の朝食を用意すると、幸せそうな顔で目の前の椅子に座った。


 俺は焼かれたばかりのパンに目玉焼きを乗せるとパクりとかぶりつく。

 そんな俺を幸せそうに眺める陽子さん。

 妙に気恥ずかしい俺はご機嫌な理由を尋ねてみた。


「陽子さん、やけにご機嫌だけど何かあった?」

「んふふふふ。分かっちゃう? だって今日は特別な日なんだもん」

「特別な日?」


 はて、と首を傾げてカレンダーに視線を移す。

 横に長く伸びた矢印は透さんが出張中であることを示していて、それとは別に今日の日付が赤丸で囲んである。

 そして俺は大事なことを思い出した。


「そっか。今日は裕美ちゃんの誕生日か。やべっ、なんにも用意してないや」

「あら、悠くん。去年も裕美にプレゼントなんて渡してないじゃない」


 陽子さんは悪戯っぽく笑ったが確かにそうだ。


「あははは、そうだっけ? それにしても陽子さん嬉しそうだね」


 俺は誤魔化すように話を戻すと、コップに注がれた牛乳を喉を鳴らして飲み始めた。


「そうなの。誕生日もそうなんだけど、今日裕美が彼氏を紹介してくれるんだって」

「――ぶふぅっ! ゲホッ、ゴホッ」


 意表をつかれた発言に思わず牛乳を吹き出してしまう。「あら、あら」とタオルを持ってきて拭き始める陽子さんはそれでも嫌な顔一つしなかった。


 裕美ちゃんに彼氏……か。


 驚きはしたが別におかしな話ではない。

 裕美ちゃんはとびきりの美人というわけではないが、クラスで3番目くらいに可愛いって感じの容姿をしている。

 性格だって温厚な両親の影響か、純朴で明るい。

 少々甘えっ子気質なところはあるが、その愛嬌のある笑顔にコロリと落ちる男だって多いだろう。

 むしろ今まで彼氏がいなかったことが不思議だ。



「悠くんにとっては複雑かなぁ?」

「そ、そんなことないって。裕美ちゃんに彼氏が出来てホッとしてるよ」


 からかうような無邪気な笑顔から俺は顔を背けた。

 きっと今の俺は言葉と表情が一致していないだろう。

 陽子さんが言うように、俺の心は複雑だ。


 昔の裕美ちゃんは俺にべったりな妹だった。

「お兄ちゃん大好き」が口癖で、1人じゃ寝れないと言っては俺のベットに潜り込んでくる毎日。

 そんな裕美ちゃんが俺と距離を取り出したのは中学に入ってからだ。

 もちろん思春期を迎えたのもあるが、1番の原因は俺が従兄妹だと知ったことだろう。

 あの時の裕美ちゃんの顔は忘れられない。

 顔をくしゃくしゃにして一晩中泣いていた。

 俺も両親だと思っていた人が叔父や叔母だと知った時は泣いたものだ。


 翌日からの裕美ちゃんは明らかに変わっていた。

 露骨に避けられたりはしなかったが、俺に近づくことは極端に減った。

「お兄ちゃん」と呼ばれていたのが「悠くん」に変わり、俺も「裕美」から「裕美ちゃん」に変わった。


 透さんなんかは「難しい年頃だからあまり気にしないでいいよ」と言ってくれたが、かなり凹んだことを今でも覚えている。

 気の知れた友達にも相談したが「いや、今までが異常だったと思うぞ。普通の兄妹なんてそんなもんだろ?」と言われてしまった。


 まぁ、俺としては可愛い妹に変わりはないと過ごしてきたが……そっか裕美ちゃんに彼氏か。


「そういえば裕美は『お兄ちゃんと結婚する』ってよく言ってたわね。懐かしいわ」

「それは裕美ちゃんが小さい時の話だろ? 『パパと結婚する』って言うのと一緒だって」


 そういえば透さんが「パパとは結婚しないのかい?」と聞いて「絶対お兄ちゃんと結婚するの!」と返されてしょぼくれてたっけ。


「んふふふふ。裕美から聞いたわよ。裕美に彼氏が出来なかったら悠くんが貰ってやるって言ったんでしょ?」

「それこそ何年も前の話だよ」


 多分7年くらい前の話だ。

 その日は裕美ちゃんが泣きながら帰ってきた。

 学校の友達に「兄妹は結婚出来ないんだよ」と教えられたらしい。

 泣くほどのことかとも思ったが、妹に好かれてるって意味では嬉しかったのを覚えている。



『ぐすっ。ねぇお兄ちゃん。兄妹は結婚出来ないの?』


 そんなことを言いながら泣いている妹が可愛くて、俺は優しく頭を撫でていた。


『うーん。ちょっと難しいかな』

『ふぇーん』


 さらに泣き出した裕美ちゃん。

 困り果てた俺は一つの約束を交わした。


『泣くなって。分かった。じゃあ、裕美が大きくなって、彼氏も出来なかったらお兄ちゃんが貰ってあげる』

『ぐすっ、貰うって?』

『うーん。お兄ちゃんが一緒にいてあげるってこと』

『お兄ちゃんと結婚出来るってこと?』

『うーん。大きくなっても裕美が独りだったらね』

『大きくっていくつくらい?』

『うーん。裕美が結婚出来るくらいの歳になったらかな?』

『やったー!』


 その時の裕美ちゃんの顔といったら、まるで花が咲いたような笑顔だった。

 今考えればなんとも子供じみた約束だが、懐かしい思い出だ。

 裕美ちゃんにとっては汚点のような過去かもしれないが、彼氏が出来たんだから約束を破らずに済んでホッとしてる自分がいる。


「陽子さんは裕美ちゃんの彼氏のことは聞いてたの?」

「もちろん。あの子、本当に嬉しそうに『誕生日に改めて紹介するね』って言ってたから」

「へぇ……どんなやつなの?」

「んふふふふ。気になる?」

「……気にならない…‥って言ったら嘘になるかな」


 おそらくは恥ずかしさから耳まで赤くなっていそうな俺を見て、陽子さんは実に嬉しそうだ。


「心配しなくても大丈夫よ。裕美は本当に幸せそうに私に話しているから」

「ふーん」


 話をはぐらかせられた気はするが、陽子さんに紹介すると言っているのだから、そのうちここにやってくるのだろう。

 その場に俺がいるのは変な話かもしれないが、ちょっと覗き見するぐらいはいいだろう。


「そういえば裕美ちゃんは?」


 主役の存在がないことをすっかり忘れていた俺は、顔を二階に向けるようにして陽子さんに聞いてみた。


「今日は特別な日だから目一杯オシャレするんだって美容室に行ったわよ。もうじき帰ってくるんじゃないかしら」


 裕美ちゃんがもうすぐ彼氏を連れて帰ってくると思うと妙に緊張してしまう。


「ほら、悠くんも寝癖ぐらい直してきたら?」

「えっ? あぁ、うん」


 彼氏が来た時に俺が会うかは分からないが、寝癖で寝巻きのままでは都合が悪いだろう。

 裕美ちゃんが気合を入れてるなら尚更のことだ。


 空になった食器を片付けて、俺は洗面所に向かった。

 歯を磨き、顔を洗い、髪を濡らしてドライヤーで形を整えていく。

 それでも鏡に映っている男は覇気のない顔をしていた。

 もしかしたらドラマや映画で目にするような父親の心境はこんな感じなのかも知れない。

 自分でそう想像して、思わず笑いが漏れてしまう。









 部屋で服を選んでいると玄関の扉が開く音と「ただいまー」という澄んだ声が聞こえてくる。

 ――裕美ちゃんが帰ってきた。

 その事実にえも言われぬプレッシャーが襲いかかってくる。

 下に行くべきか、黙ってこのまま部屋にいるべきか。

 迷っていると「悠くーん!」と陽子さんの声が下から聞こえてきた。


 呼ばれたからには行かないわけにはいかない。

 俺は慌ただしく新しいTシャツとデニムパンツを着込むと大きく息を吸い込んだ。

 どんな彼氏だろうか? なんて考えはすっ飛んでいた。

 頭にあるのは自分のことをどう紹介するかだ。

「裕美ちゃんの兄です」それとも「裕美ちゃんの従兄妹です」だろうか?


 従兄妹が正解なんだが、それだと彼氏に「へっ? 従兄妹?」とか余計な混乱を与えそうだ。

 じゃあどうするか?

 えぇい。こんな時は陽子さんだ。

 陽子さんに丸投げで紹介してもらおう!


 ひどく緊張しながらリビングのドアを開けると、嬉しそうな陽子さん。それに本当にオシャレをしている裕美ちゃんがいた。

 少し短くなった肩まで伸びた髪。薄い水色のワンピース。うっすらとした化粧もあって、いつもよりも大人びて見える。


 ふと、辺りを見渡したが彼氏の姿がない。

 そりゃそうだ。今はまだ午前中。

 裕美ちゃんが美容室から帰ってきただけで、誰も彼氏が一緒にやってきたとは言っていない。


 少し恥ずかしそうに裕美ちゃんは俺に微笑んだ。

 こんな笑顔を見るのは久しぶりだ。


「似合ってるかな?」

「えっ、あっ、うん。すごく似合ってる」


 嬉しそうにクルリとターンする裕美ちゃん。


「今からデートなの?」

「うん」


 裕美ちゃんはとても幸せそうだ。

 俺はちょっと彼氏に感謝した。

 きっと裕美ちゃんはデートが嬉しくて俺を下に呼んだのだろうけど、まるで昔のように笑う姿は心を温かくさせてくれる。

 彼氏に嫉妬がないわけじゃないが、充分すぎるほどお釣りが戻ってくる笑顔だ。


「あっ、裕美ちゃん。誕生日おめでとう」

「うん。ありがとう。()()()16歳になったよ」

「そっかぁ。16歳かぁ」


 俺があと2ヶ月で18歳だから当たり前の話だが、その成長に鼻の奥にツンとしたものが上がってきてしまう。

 感慨深く浸っていると裕美ちゃんはトコトコと俺の横までやってきた。

 そして昔のようにキュッと俺の腕にしがみついてくる。


「お母さん、改めて紹介するね。私の()()

「あら、裕美。良かったわね」

「そっかぁ。彼氏かぁ。――彼氏!?」


 ギョッと目を見開き首を右へ左へと動かすが部屋に彼氏の姿が見えない。

 お、落ち着け。状況を考えろ。

 …………彼氏って――俺!?


 バッと横の裕美ちゃんを見れば満面の笑みを浮かべている。


「あのっ。えーっと。裕美ちゃん。彼氏って……俺?」


 俺の腕にまわされた手に力が入っていくのが分かる。


()()()()()、私と約束したよね? 大きくなっても彼氏が出来なかったら貰ってくれるって!」

「いい、い、い、言った」


 大きくなったらっていくつだっけ?

 そう。俺は()()()()()()()()()()

 って言った気がする。

 あれっ? 結婚って何歳からだっけ?

 日本でも18歳からじゃなかったっけ?

 いや、それは来年からで、女性は16歳からだっけ?

 ――16歳!?

 裕美ちゃんは何歳だ?

 今日から16歳だ。


 そりゃ、裕美ちゃんは可愛い。

 性格だっていい。

 だが俺にとって裕美ちゃんは妹だ。


 俺はすがるような思いで視線を前に投げかけた。

 すると優しい笑顔で頷く陽子さん。


「大丈夫よ悠くん。私も透さんも反対しないから」


 違ーう!

 いやいやいやいや、そこは嗜めるところでしょ?


「裕美は悠くんが従兄妹って知った時、大泣きしてたもんね。嬉しくて」


 えっ!? あれは嬉し泣きだったの?


「それから大変だったのよ。裕美の頭には悠くんとの結婚しか無くって。意識しすぎて悠くんとは距離を取るし。お母さんいつもハラハラしながら見てたわ」

「もう、お母さん!」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて怒る裕美ちゃん。


「悠くん。裕美をよろしくね。とりあえず悠くんが18歳になったら籍だけ入れて、結婚式は悠くんがちゃんと働き出してからね。そうそう、お義兄(にい)さんとお義姉(ねえ)も『おめでとう』って言ってたわよ」


 これはどこまで外堀を埋められているんだ。

 この時俺はどんな表情だったのだろうか?

 とても不安そうに顔を覗き込む裕美ちゃん。


()()()()()。もしかしてあの言葉……嘘だった?」


 はははは、「はい、嘘です」なんて言える雰囲気じゃない。


「う、嘘じゃないよ」


 その言葉に顔を綻ばせた裕美ちゃんは「お兄ちゃん大好き!」と抱きついてくる。


「それじゃお母さん、デートに行ってくるね! 行こっ、お兄ちゃん!」

「はいはい。あんまり遅くならないようにね」


 俺はなすがままに腕を引かれて外に連れ出されていく。



 照りつける太陽にうるさく鳴く蝉。

 そして俺を再び「お兄ちゃん」と呼び出した可愛い女の子は、向日葵のような笑顔を咲かせていた。



 



















お読み頂きありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 幸せならOKです(๑•̀ㅂ•́)و✧
[一言] 彼氏の姿がない。 今日は誕生日。 ここでピントは来たんですが、 裕美ちゃんのかわいらしい言葉ににっこりしちゃいました。 親御さんが理解あると幸せな展開でいいですよね。 2人の幸せな未来も…
[良い点] イヤなドキドキから イヤなドキドキへ [気になる点] ふと思ったのですが、コレ男女逆だと何故か成立しないですね。完全ホラーに。 むしろそこから自由を求める物語の序章になりますね。 [一言]…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ