5 事情を聞きました
「宿屋って、具体的に泊まる店決めてんのか?」
「ううん。値段があんまり高くないお店なら、どこでも良いよ」
ティエラと名乗った少女を連れ、リオは宿屋へと案内します。すっかり日も落ち薄暗くなった街の中を、魔力灯の明かりが照らしておりました。
夜が迫り、街を行き交う人々もまばらとなり始めた通りを、二人は並んで歩きます。石造りの舗装を一歩一歩と進むたびティエラの燃えるような赤髪が歩調に合わせて揺らぎ、ツインテールの先端が背中に差した剣の上で跳ねます。剣とは言っても、彼女が背負っている赤鞘の剣――柄の部分が左肩へ、先端部分が右腰へ伸びるよう斜めに背負っておりました――は、アラケルで一般的に使われている直剣ではありません。全体が緩く湾曲した形状をした、いわゆる刀と呼ばれる種類のものでした。
「なあ、ティエラって言ったか? ちょっと聞いて良いか?」
「うん、何?」
黙って歩くのも気まずいと思い、リオはティエラに言葉を掛けます。
「確かお前、ティエラ・イワセって言ってたよな。"イワセ"って変わった名字だよな」
「うん、良く言われるよ。これ、"アヅマ"で使われる名字だからね」
「ああ、もしやと思ったけどやっぱりか」
ティエラの言葉に、リオは得心が行ったように頷きます。
アヅマとは、アラケル王国の東に位置する半島国家です。独自の文化が発達している国であり、アラケル王国とは高い山脈など地形の影響で陸路、海路共に交通の便が悪く、その結果長い間あまり交流が行われていませんでした。しかし近年では飛空船――魔 具の一種で、魔術の力で空を飛ぶ乗り物です――の開発、普及により、『山脈を迂回し、海上を飛ぶ航路』が一般化。徐々にアラケル王国との交流が活発になっておりました。
「まあ、ボク自身はアラケル王国の人間だけどね。お父さんが元々アヅマの出身
で、アラケル王国のお母さんと結婚してそのまま定住する事になったんだってさ」
「背中の剣も、アラケルじゃ珍しい形状だからな。確かアヅマ太刀って言うんだったか」
「"影分"って銘なんだ。"肉体と影とを斬り分ける程の業物"って意味の名前なんだってさ。お父さんの形見の品として、ボクが受け継いだんだ」
「形見、って事は……」
「……うん、三ヶ月程前に病気で。お母さんもボクが小さい頃に亡くなったから、天涯孤独の身って事になるかな」
「……すまん、余計な事聞いた」
「良いよ、気にしないで。……それを切っ掛けに首都に上って、ギルドの冒険者か、お城の兵士のどっちかになろうって決めたんだ。お父さんに鍛えて貰った剣の腕前も活かせるし、ボクにピッタリだって思ったから。身の回りの事が落ち着いた頃になってから、ボクは故郷の村を旅立ったんだ」
ちなみに、"開拓者ギルド"と"冒険者ギルド"はそれぞれ別系統で動いている組織であり、ティルノア島で活動する方を『開拓者』、本土で活動する方を『冒険者』と呼んで区別しています。開拓者ギルドの設立時に、冒険者ギルド側から出資を受ける、人員を派遣される、ノウハウを伝授されるなどの支援を受けているため、互いに全くの無関係と言う訳ではありませんが。
「出立の日に見た朝日が忘れられないよ。お父さんから受け継いだ技と太刀で、ボクは絶対に名を上げてやる。そう誓って、ボクは朝日を目印に歩き出したんだ。村から東にある首都を目指して――」
「そうだったのか。……それが、何だってティルノア島に?」
「……いや太陽って、時間が立てば昇るもんでしょ? それうっかり忘れてひたすら太陽の方角に向かって歩いていたら、段々と方角がズレちゃってたらしくて。お昼頃になると太陽もボクの真上に来ちゃうしさ……」
「……」
「しかも村を出た翌日から、しばらく天気が曇りだったし。太陽が見えないから、どっち行けば良いか分からなくなっちゃって。……だから結局、ボクの勘を信じて進む事にしたんだ! 村を出た時の身体の向きは何となく覚えてる気がしたから、その感覚を頼りに多分東だって思う方向に歩いたんだよ!」
「…………」
「――そしたら何故か、村から西にある港街"コストゥ"に着いてたんだよね……」
「…………何故"街道"とか"方位磁石"とか、もっと頼りになるものを使わないん
だ……」
ちなみにコストゥは、ティルノア島へと渡る定期便が出る港街です。
「……それで? 港街に着いたなら、人に道を尋ねて改めて首都を目指す事だって出来たはずだ。あるいは距離的に少々値が張るだろうが、馬車を利用すれば確実だったんじゃないか?」
「うん、まあね。……でもその、コストゥはコストゥで大きな街だからさ。田舎暮らしの身としては、珍しいものだらけで。観光ついでに見て回るのも良いかなって思って……」
「何か、順調に本懐から遠のいている感が強くなってるな……」
「でもって、あっちこっちを歩き回っている内に、港まで来たんだ。しばらく『大っきいなー』って、停泊してる船眺めてたんだよ。そしたら何かごっつい男の人が近付いて来て、『おう嬢ちゃん、見たところ旅人かい? 船に興味あるんなら、ちょっと乗ってくか?』って。『内部の見学が出来る!』って思ったボクは、お言葉に甘えさせてもらったんだ。乗る時には『保安のために、背中の剣は預からせて貰うぜ』って言われたから、そのまま預けて。
…………そうしてボクが船に乗り込んだら、あっと言う間に舷梯を外されて、そのまま出航してさ……」
「…………」
「逃げ場を失ったボクは、同じように船に乗せられた人達と一緒に、何故か機関室まで連れて行かれて……。それからティルノア島に着くまでの間、ずっとそこで働かされていたよ……」
「………………」
コストゥの港からは、ティルノア島へ人を届ける定期船、各種物資を届ける貨物船などが、官民問わず多数出ております。王国の出す船は当然信頼が置けますし、民間の海運会社も"大抵は"大丈夫なのですが、稀に色々な意味でグレーな会社も混ざっております。そうした会社が、港にいる一般人を騙して船に乗せ、作業員として強制労働……と言う噂に聞く大変にアレな話を、リオは先程出会ったばかりの少女の口から聞かされておりました。
「……で、図らずもティルノア島へと上陸したのが、今朝の出来事。その後も貨物の運搬作業に従事させられそうだったところを、他の人達と協力して影分を取り返してから逃げ出してさ……。急いで馬車を見付けて乗っけてもらって、結果的にこのファインダまでたどり着いた……ってのが、これまでの経緯だよ……」
「………………まあ、その、何だ。……頑張れ」
リオは何の脈絡もなく頑張れ、と言いました。むしろ、それ以外の言葉が出て来ませんでした。
と言うか見知らぬ他人に騙されたばかりの人間が、こうして初対面の男をすんなり当てにすると言うのも、色々と警戒が足りていません。リオは彼女に、どうにも危なっかしいものを感じてしまいます。
「……それで、どうするんだ? やっぱ本土に帰るんだろ?」
「ううん、帰らない。このまま、話に聞く開拓者になるつもりだよ」
「……良いのか?」
「何しろ、大元の動機が剣の腕前を活かす事だからね。こうしてティルノアへとやって来たのも何かの縁と思って、折角だから――って言い方だと叱られそうだけ
ど、とにかく挑戦してみる事にするよ」
「……まあ、お前がそれで良いってんなら、俺からどうこう言う事もないが……。でも大丈夫か? ギルドの場所とか分かるのかよ?」
「大丈夫だよ! ………………きっと」
「良し、信用ならん。明日俺が迎えに来るから、それまでお前は宿から絶対に出るな」
「え……連れてってくれるの!? 良いの!?」
「どうせ明日、俺もギルドに行くつもりだからな。一応は先輩として、それくらいの面倒は見てやるよ」
「やった、ありがとう! 助かるよ!」
リオの言葉に一片の疑いを持つ事なく、ティエラは飛び跳ねて喜びます。そうこうしている内に、二人は宿屋の前へとたどり着きました。
「ほら、着いたぞ。じゃあ、明日の朝に」
「うん、ありがとう。また明日よろしくね、リオ」
深々と頭を下げつつ、ティエラは言いました。