37 真夜中の出来事です
アルヴィドを追って宿を出たハリー達の背中を見送り、気を取り直してリオ達は宿の部屋を取りました。宿の主人と掛け合った結果、ティエラ、マール、シエロの三人で一部屋、リオは狭い個室……と言う割り振りになりました。
ちなみに、知り合い同士が同じ宿を利用する場合、料金を折半した上で泊まる部屋をシェアする事もあり得ます。客側は節約に繋がり、宿側は部屋に無駄が出ない……と、双方にメリットがあるためです。この場合、リオが部屋代の三分の一を負担した上でハリーとアルヴィドの泊まる部屋へ厄介になるところでしょう。が、現状のあらゆる意味でこじれた関係の中、双方その発想に至る事はついぞありませんでした。
宿の帳面にサインをしてそれぞれ部屋に入り、休憩、荷物の再チェック、夕食、入浴……と済ませ、夜も更け――
真夜中、部屋のベッドを抜け出したティエラは一人宿の外でぼんやり月を眺めていました。
(……お父さん……)
夜天を見上げるその目には、涙が浮かんでおりました。この村の落ち着いた雰囲気が何となく故郷の村に似ているせいか、ベッドで静かに横たわっていると、じわじわと郷愁の念が湧き出るのです。ティエラは心を落ち着けようと外の空気を吸いに出ましたが、月明かりの下一人静かに佇んでいても、亡き父親の事が思い起こされるばかりです。森の微かにそよぐ音が閑寂とした空気を一層引き立て、心の隙間へと染み込んで来るような心地でありました。
「……ティエラさん?」
不意に木の葉が擦れる音に混じって、良く知った少女の声がティエラの耳に届きました。
「……え? あ、あれ、マールどうしたの?」
「こちらのセリフですよ。目が覚めたらティエラさんがベッドにいないので、探しに来たんですよ。ひょっとしたらお手洗いに出て、元の部屋へ戻れなくなってしまったのかと」
「や、やだなあ。いくらボクでも、そこまで方向音痴じゃないって。宿の部屋に戻るくらい、時間を掛けさえすれば何とか」
「はい、分かりました。次からは大人しく私に声を掛けて下さい。遠慮なく起こして構いませんので」
マールは言いながら服のポケットへと手を入れ、中から一枚の手巾を取り出しました。
「ほらティエラさん、これを」
「?」
「涙出てるじゃないですか。これで拭いて下さい」
「あ……ありがとう」
指摘されてティエラは慌ててハンカチを受け取り、ささっと目元を拭いました。
「はは……何かごめんね、変なところ見せちゃった」
「いえ。少し前にお父様を亡くされたのですよね。無理もない事です」
マールはティエラがティルノア島へとやって来た経緯を聞いております。
「うん……。こんな調子じゃお父さんに心配掛けちゃう。しっかりしないといけないのに……自分が情けないよ」
「そうやって、無闇に自分を責めるのはあまり良い事ではありません。心が潰れてしまいます。……大切なご家族だったのでしょう? さぞお辛い事でしょう」
「……うん」
「お父様の事をお尋ねしても大丈夫でしょうか?」
「うん。……そうだね……お父さんは元々"アヅマ"の生まれでさ。若い頃はそっちで暮らしてたって言ってたっけ」
記憶を手繰るように軽く顎へと手を遣り、ティエラは語り始めました。
「だけどある日、父親……ボクから見ればおじいちゃんが病気で亡くなったって。母親……おばあちゃんももういなかったから、家族が一人もいなくなっちゃったんだって。それを切っ掛けに『広い世界を見たい』って言って、一族に代々伝わる
"影分"を手に故郷を飛び出して。アヅマのあちこちを見て回った後、飛空船に乗ってアラケルへと渡って"王都サントル"へとたどり着いて……そこで冒険者ギルドに所属したんだって」
「何だか、ティエラさんと似てますね」
「だね。流石親子って感じ。……王都で冒険者として活躍していた時、雑貨屋で働いていたお母さんと出会って。段々と仲良くなって行って、そのまま結婚して冒険者を引退して、ボクの生まれた村へ引っ越したっんだって」
故郷を懐かしむようなティエラの口調に、影が差します。
「だけどお母さんは、元々身体が強い方じゃなかったそうだから……。ボクが物心付いた頃に体調を崩して、そのまま死んじゃって。……それからお父さんは、ボクを一人で育ててくれたんだ。お父さんは凄く優しかった。そして、凄く強かった。ボクの剣術はお父さんから教わったんだけど……立ち会いで結局、一度も勝てなかったよ」
「凄いですね」
「うん。お父さんは魔術はほとんど使えなくってさ。ボクの障壁系魔術は、村で暮らしてた魔術師の人から教わったんだ。元・冒険者の人で、お父さんとも知り合いだったんだってさ。だから、剣術と障壁系魔術を組み合わせた戦い方はボク独自の戦法な訳なんだけど……それでもお父さんには完璧に対応されていたよ。初めて見せた時は『流石に驚いたぞ』とは言ってたんだけど、ボクから見れば簡単に捌かれて全然手応えなんて感じなかったくらいだった」
一旦、間を置き、
「ボクの目標だったんだ」
静かに、しかし明瞭に耳へ届く口調で、ティエラは言いました。
「だけど病気に掛かってちゃって……あんなに元気だったのに、そのまま……」
「そうでしたか……」
ティエラを労るように、マールが目を伏せました。
「……ごめん。最後湿っぽくなっちゃった」
「いえ……家族がいなくなる辛さは私にも分かりますから。私の親も、もう死んじゃってます」
「そうだったんだ……」
少し驚いたように、ティエラは軽く目を見開きます。
ここでティエラは、自分がマールから借りたハンカチを握ったままな事に気が付きました。
「あ……これありがとね。……そう言えば、良く持ってたね? ボクを探しに出ただけなのに。寝る時って普通、ポケットにハンカチなんて入れておくものなの?」
「あ〜、えっと……」
ティエラは特に深い意図も込めず、ただ思ったままを口にしただけでしたが、何故かそれを聞いた途端マールは不自然に目を泳がせ始めました。かと言って深刻、と言う様子でもありません。ちょっとした出来心で作った軽い隠し事が、不意の出来事で暴かれそうになる――そのような、当人も本気で隠し立てする気のない他愛のない動揺でした。
「……何と言いますか……わざわざ言うのも……まあ、本人から口止めはされてませんし……」
「?」
「実は私達三人が宿泊部屋に入る時、リオさんからこっそり頼まれていたんです
よ。『ティエラの奴、まだ父親の事気にしてるみたいだから、すまんが様子見といてやってくれ』って」
「リオが? そんな事を?」
「ええ。何でも宿舎で一緒の部屋に泊まってた時にも、ティエラさんが夜中寝ながら泣いているのを見た事がある、と」
「そうだったんだ……。う〜、何か恥ずかしい……」
「……あの人、何だかんだ言って面倒見良いですね。私の事もあんな失態演じてしまったにも関わらず、見捨てないでくれましたし」
「そうだね。ボクが始めてこの島へ渡って来た時も、色々と親切にしてくれたし。リオは優しいよ」
「ですね」
そう言って、二人は顔を見合わせ笑顔を浮かべました。
「ありがとうマール。何かスッキリしたよ」
「お役に立てたなら幸いです。……明日は早く出ますから、あまり遅くならない内に戻りましょう」
「だね」
頷いて、ティエラは宿の入口へと足を向けました。
「……あ、ところでさ」
「はい?」
「"ボクの様子見といてくれ"って、やっぱりシエロにも頼んでたり……」
「してないそうです。『奴は悩み相談の方面で全く信用ならん』との事で」
「……リオは割と身も蓋もないね……」
「ですね……」
しみじみと噛み締めるように、二人は言いました。




