11 街道を進みました
街の外壁に設けられた門をくぐると、辺り一面に胸の空くような緑が広がっておりました。
波のように穏やかな凹凸を描く草原の遙か向こうに、薄っすらと青空に溶け込む山の稜線が見えます。幾本と伸びる突端の示す先には、白雲がそよ風の中でたゆたいながらゆっくりと形を変えております。合間から顔を覗かせた太陽が、優しくも力強い光を投げ掛け、リオとティエラの目を眩ませました。
開拓者達を迎え入れるような冴え冴えとした大地と空の色彩ではありましたが、風光明媚の影には文明から離れた人間を手ぐすね引いて待ち受ける、剥き出しの野生が潜んでおります。開拓者として相応の経験を持つリオにとって、自然と気の引き締まる光景でありました。
「凄いよね、この島。昨日も思ったけど……改めてじっくりと眺めると、本当に広いや」
一方のティエラは、雄大と佇む風景を前に緊張よりも穏やかな感動が先んじました。
「流石にアラケル王国の本土程じゃないけどな。それでも、文献によっては"ティルノア大陸"って書かれているもんもある。正直かなり盛ってる表現だけど……著者はそれだけ大きな島と言う印象を持ったって事なんだろう」
「へえ、詳しいんだねリオ」
「まあな。……それより、まずは街道沿いに進むぞ。途中で道が分かれているか
ら、そこから北へと向かう」
「うん」
「隊列は……最初だし、俺が先頭を行こう。この辺には強い魔物が出て来ないから大丈夫だとは思うが、念のため周辺には注意を払っといてくれ」
「分かった、任せといて」
「良し、んじゃ行くか」
そう言って二人は、石畳の街道を歩き始めました。ファインダから伸びる街道
は、開拓の前線基地として作られた他の村々へと繋がっております。魔物による危険が比較的少ないため、相応に整備が行われているのです。
草薫る平原の中を、緩やかな時と共に進んで行きます。
時折、リオは一応の警戒のために周囲へ首を巡らせます。しかし、彼の目に映るのは風に揺れる低い木の梢や色取り取りの花と戯れる蝶々、青空に鮮やかな橙色の翼を羽ばたかせる鳥や柔らかな大地の上を進む赤髪の少女ばかり。着目すべきものは一切見当たりません。耳を澄ませても、石畳を叩く一人分の順調な足音と、穏やかな風に乗る草々のささやき以外、聞こえては来ませんでした。
「……いや、ちょっと待てっ!?」
いきなり強烈な違和感に襲われたリオは、慌てて背後を振り返りました。後を付いて来ているはずのティエラの姿がありませんでした。急いで周囲を探すと、リオの背後ではなく、草原の中を暢気な足取りでふらふらする彼女の姿がありました。
「おいこら、ティエラっ!? どこ行ってんだよっ!?」
街道から順調に外れつつあるティエラを、リオは大声で引き止めます。
「……あれ、リオー? どしたのー、そんなところでー?」
「さも当然のように疑問形で返すなっ!! お前は一体、どこ行くつもりだ
よっ!?」
「どこ……って、北でしょー?」
「今まさに南西方面へ向かおうとしてる奴の言葉じゃねえんだよっ!! 何でお
前、街道から外れてんだっ!?」
「……あ、ホントだ」
「まず草踏んだ感触で気付けっ!! 良いから戻って来いっ!!」
リオに言われて、ティエラが街道へと戻って来ました。
「……ったく、何やってんだ……」
「いやだって、リオ言ってたでしょ。周辺に注意してろって」
「ああ」
「言われた通り、ちゃんと辺りを見渡してたんだよ。そしたら、空に何か珍しい色の鳥が飛んでるの見付けてさ」
「ああ分かった、皆まで言うな」
「魔物の気配とかも全然ないし、ついついそっちに気を取られちゃってて。飛んでく鳥を追い掛けて、いつの間にか道を外れたんじゃないかなー、って」
「皆まで言っちゃったか……。お前の注意力は、興味のある部分にしか発揮されない好奇心旺盛なチビッ子並みなのか……」
頭を抱えつつ、リオは言いました。何となく、彼女が方向オンチである理由の一つが垣間見えた気がしました。
「……ファインダでは普通に付いて来れていたから、油断してたぞ……。取り敢えず、隊列変更だ。お前が前で、俺が後ろな」
「うん」
「辺りの様子は俺が見るから、お前は街道を真っ直ぐ歩く事にだけ集中しろ。出来るな?」
「心配性だなぁ、リオは。大丈夫だって」
「……本当かよ……。まあ良い、行こうか」
そうして再び、二人は歩き始めました。
「街道を真っ直ぐ……街道を真っ直ぐ……」
先頭を行くティエラは、リオに言われた事を噛み締めるように呟きながら真っ直ぐに進んで行きます。
「街道を真っ直ぐ……街道を真っ直ぐ……」
「そうだ、真っ直ぐに進むんだ」
「真っ直ぐ……真っ直ぐ……」
「うん、良い感じだ。その調子で進んでくれよ」
「真っ直ぐ……真っ直ぐ……」
「だからと言って、曲がってるところまでガン無視しろって意味じゃないんだぞ。ほら良く見ろ、道がちょっと右側に曲がってるだろ? ちゃんと修正するんだぞ」
「修正……修正……」
「"真っ直ぐ"って部分がどっか行った途端に街道から外れ始めたな。ティエラ、俺達の目標はグリーンスライムなんだぞ。お花さん達と楽しそうに戯れる蝶々さんじゃないんだぞ」
「蝶々……蝶々……」
「よりにもよってそこに反応しやがったか。……真っ直ぐ、ほら、真っ直ぐだ。言ってみろ」
「真っ直ぐ……真っ直ぐ……」
「良し良し、何とか修正出来たな……」
「真っ直ぐ……真っ直ぐ……」
「俺が迂闊だったな。そうだよな、"街道を"って言い忘れちゃってたもんな。そっちは何もない草原だぞ、はいちょっと左に寄って」
「左……左……」
「"街道に沿って真っ直ぐ"ね。街道に沿って真っ直ぐ、はいリピート」
「街道に沿って真っ直ぐ……街道に沿って真っ直ぐ……」
「ふう……これで一安心だ……」
「蝶々……蝶々……」
「俺が馬鹿でした。お前に先導させるって発想がまずもって根本的な間違いでし
た。これはもう完全に俺の失敗でした。……良いから目を覚ませっ!!」
「……はっ!?」
一心不乱に蝶々を追い掛けていたティエラの動きが、リオの大声でびくん、と止まりました。
「おいティエラ、大丈夫か? 正気に戻ったか?」
「……何か、変な夢を見ていた気分だよ……。草原の中でボクと蝶々が戯れる、そんな夢を……」
「さっきまで俺の目の前で繰り広げられていた現実そのまんまだよ。……どうしたもんかな、これ……」
先程以上に深く頭を抱えつつ、リオは呟きました。
「……ええっと、リオ、大丈夫? ちょっと休む?」
「……大丈夫、大丈夫だから。……隊列とかもう気にするの止めよう。もうお前
は、ずっと俺の事だけを見ていろ……」
「……何かリオが、すっごい歯の浮くようなセリフを、心底疲れ切った顔で言ってる……」
「うるせぇよっ!! 深い意味とか、こっちは考える余裕すらねぇんだよっ!! 何でそう細かい部分にだけ真っ当な反応寄越すんだっ!! ……ええい、もう良いからっ!! とっとと行くぞっ!!」
「あ、待ってよリオー!」
ずんずん進み始めたリオの後を追って、ティエラは駆け出しました。