第8話.石牢
箱詰めになってからどれくらい経っただろうか。あちこちが痛くなってきたウルとシヴァは何度目か分からない溜め息を吐き出した。
その時だった、一人分の足音が近づいてきた。ドキッとしたウルはそっと息を潜める。
何やらその足音の主が離れたところにいるらしい誰かと一言二言交わした。すると足音が増え、箱が囲まれる。バレたのか、とウルはちらりと横目でシヴァを見た。
シヴァは厳しい表情で首を微かに横に振った。動くな、ということか。
そして外の兵士たちは蓋を開けた。空っぽに見えるはず。だから、大丈夫。ウルは目を閉じ、息を止めて蓋が閉じられるのを待った。
『諦めなさい。貴方の負けです』
「っ……?!」
「引きずり出せ!!」
突然に響いた声は冷たくなかった。ただ少し寂しげで悲しそうだった。
それが衝撃的で、兵士たちに箱から引きずり出される間、何とか逃れようと抵抗するシヴァの横でウルは呆然としていた。
――――……
兵士たちは魔力を封じる鉄の枷をウルの足首に嵌め、シヴァの手足には重たい聖水晶の枷を嵌めて土枝宮に運んだ。
土枝の上の赤煉瓦の宮城は、大きな色硝子の窓が並び屋内には土の精霊一の織り手の作品が飾られ、こういった状況でなければまじまじと感動して眺めただろう。
二人は隣り合う別の牢に入れられた。ウルはじゃらりと重い音を立てる鎖を引きずってシヴァがいる側の牢の壁に背を預けて座り込む。約一日ぶりの、魔力を無理矢理抑えつけられる感覚は酷く不快だった。
「シヴァ……」
「何だ」
「っ! き、聞こえてるのか……」
びっくりして振り返ると、長らく使われていなかったであろう牢の壁に少し崩れている場所があった。覗き込むと穴から少し離れた場所にシヴァが片膝を立てて座っている。
聖水晶の枷を嵌められた彼の姿に申し訳無さが込み上げてきた。
「……ごめん。僕のせいで、君まで捕まった」
「謝るな。これは俺の判断ミスだ」
「……これから、どうする」
そう言うとシヴァはウルの方を見た。穴はウルの手がやっと通るくらいだが、彼は確かにウルを見た。
「……お前、諦めていないのか」
「うん、当たり前さ。“諦めろ”と言われただけで諦めるわけ無いだろ」
「ふん。さっきはあんなに呆然としていたくせにさ」
「あれは……」
義姉の声に、寂しさと悲しさ、そして憐れみが滲んでいたから。あの時一番泰然としていたあの人が、そんな声を出すことが信じがたかったのだ。
言葉にはならなかった。黙したウルに暗闇で群青に光る目を向けていたシヴァは溜め息を吐く。
「ま、俺も同じさ。簡単に諦めてやるもんか」
「うん!」
にっ、と笑んだシヴァにウルは頷いた。
「そうと決まれば、早速行動だ」
ゴトッと重い音を立てて聖水晶の手枷足枷が固い床に落ちた。それを穴越しに見たウルは目を丸くする。
「え?! 外れ……外したのか?!」
「ん? ああ、このくらい何でもないぜ」
シヴァは右手に持った針金を振って見せた。群青の瞳がきらりと悪戯っぽく光る。ウルは「ふわぁ~……」と気の抜けた――本人は真剣な――声を漏らしながら針金を見つめた。
「そっちに行けたらお前のも外せるんだけどな……」
「うーん……あ、えいっ」
がつん、といきなり鳴った大きく鈍い音にシヴァは目を見開いた。
「な、何してるんだお前」
「え? 穴を広げようと思って……」
がつんがつん、穴が少し崩れる。一旦体勢を戻して穴に顔を近づけると、先程より明らかに穴は広い。
「よし!」
そしてウルは穴から少し離れる。それから足枷の嵌まった足を思いきり穴にぶつけた。壁を蹴る感じである。爪先が当たっては痛いから、横向きに。
「ふんっ、えいっ、うりゃっ!」
「む、無理はするなよ……?」
「うん! 任せてくれ!」
「俺もやるよ……」
何だか居たたまれない心持ちになったシヴァは、外れた聖水晶の枷を手に取り穴にぶつけた。流石、拘束具にされているだけあって頑丈だ。いくらぶつけてもヒビすら入らない。
そうして兵士が来ないのをいいことに、二人はがつんがつんとやり続けた。
「おおー、シヴァがしっかり見える」
「だいぶ広がったな」
それから数分後、大きくなった穴を覗いて二人は頷き合った。ここにウルの足を突っ込んでシヴァに枷を外してもらえば逃げられる。
その時、シヴァが「しっ」と短く警告した。足音だ。ウルは慌てて穴に背を向けて隠すように座り込む。
「……あれから随分と経ちますが、大きくなりましたね」
そう言いながら、ウルの牢の鉄格子の向こう側に現れたのは褐色の肌に黒い衣装を纏った艶っぽい美女であった。
そのなよやかな柳腰や細い首、手足を飾る金と緑玉の装飾品が月光に妖しく煌めく。頭の上で一つに纏められた髪は夜の砂丘の様な白、同色の長いまつ毛に縁取られた目は万年氷の水色だ。
手に握るのは真っ直ぐな黒樹の一枝の先の枝分かれに、荒く削り出して磨いた様にゴツゴツした大きな緑玉が捕らえられた霊杖ドラテア。
首の右側に秋の白い花紋を持つ彼女が土の枝守、アルタラの一族の長女ジュラリアである。
「……また、死んでしまいましたか」
桃色から薄紅に変わった目のことに気づいたのだ。ウルは枝違いの姉からそっと目をそらす。
「ミルテルですね……話は聞いています」
「僕たちを、どうするつもりですか」
微かな溜め息。ウルは逃げ出したくなるのを必死に堪える。
逃げ場など無い。ここは彼女の手の中だ。
「イルジラータの元に戻すか、又は別の枝宮に移すか、それは未だ決まっていません。暫くはここにいてもらいます」
「……どうして、僕を自由にしてくれないんですか。ユグラカノーネに迷惑はかけません。だからっ」
「それ以上に複雑な事情があるのです。貴方は、自由にはなれない」
「何故っ! 僕が呪われた忌むべき者だと言うのなら、この国から追放すればいいじゃないかっ!」
「いいえ、できません」
「義姉上っ!!」
叫んでから、シヴァが聞いているのになとどこか離れたところから思った。彼はとっくに気づいているだろうから、気にする必要もないだろうに何故か隠したかった。
ジュラリアはウルから目をそらした。
「……私を姉と呼ばないでください。貴方はそれを許されていないし、私にも……そう呼ばれる権利は無い」
ハッとして彼女を見ると、その水色の瞳は悲しげに揺れていた。ああ、この人はきっと……とウルは泣きそうになる。彼の目を見たジュラリアも、気づかれたことに気づいたらしくウルに背を向けた。
「……分かりましたね。大人しくしていてください」
そして来たときと同じ様に黒の衣装を揺らしてジュラリアは去っていった。
しばらく沈黙が降りる。ウルは苦笑いしながら石壁の向こうにいるシヴァに向けて呟いた。
「……君の考えている通り、僕はアルタラの一族の末子。火の枝守イルジラータの弟だ」
背後から返事はない。凪いだ海の様に静かな気配がウルの詰まりそうになる声を助ける。
「僕は、呪われているんだ。君も見ただろう。僕は死ねない。身の内に魔の者が巣食っているんだ」
ウルは言いながら自身を抱くように肩に手を回して膝に顔を埋めた。言葉にするのはそれを認めるようで酷く辛い。ひりひりと痛む胸を無視して、何度か深呼吸を繰り返してから続ける。
「僕の目は、死んで、生き返るごとに薄く赤みを帯びていく。真っ赤になった時、何が起こるかは誰にも分からない」
きっと、と吐息のように彼は言葉を接いでいく。
「残りは少ない……その時が来て、僕一人が死ぬのなら……でも、この国に災厄を撒き散らしてしまうのは嫌だ。だからこれ以上、死ねない」
誰かに話すことができたのは初めてだった。思ったより残った胸の痛みは少ない。むしろ話してしまったという晴れやかさすらあった。
背を預けた石壁の向こうでシヴァは何も言わなかった。ウルは微笑みをこぼしながら足枷に触れて眉根を寄せる。
「本当は、大人しく捕まっていた方が良かったんだ。でも……でも、君を見て自由になりたいと思ってしまった」
(君を利用してでも)
「……それは、間違ったことじゃないと思うぞ」
「そう、かな?」
「ああ。複雑な事情なんて、他人の勝手な言い分さ。家族だからってお前の人生を左右する権利はない」
ウルは振り返った。その衣擦れの音に気づいたシヴァも同じ様に振り返る気配がした。
「ここを出よう、ウル。あと六日だ、何とかなる」
「シヴァ……」
何故そこまでしてくれるんだ、とは言えなかった。二人の関係は、ウルがそう聞けるほどには遠く、また沈黙に互いの真意を微かに窺い知ることができるほどには近しくなってた。
だからウルはそれとなく感じた彼の心を信じ、シヴァはウルが感じ取ったことを確信して……ただ二人は黙っている。
己に確認するように何度か頷いたウルは穴に足を入れて、シヴァはそれを外しにかかった。
魔力を抑えつける鉄枷がウルの足を離れ彼の身体に再び魔力が巡るのにそう時間はかからなかった。