第25話.黒蛇のサガノス
サガノスの巨体が瓦礫を跳ね散らかしながら大広間の中で暴れる。
鎧の様な頑丈さと風の様な俊敏さを兼ね備えた厄介な大蛇は、毒の魔法や死の魔法ばかりを放ってシヴァを近づけようとしなかった。
「やけに俺を避けてるな!」
そう言いながら、シヴァは飛んできた毒の弾をひらりと避ける。その隣でウルが生成した鉄槍の群を発射してこっくりと頷いた。
「テンペスタを警戒しているんだと思う。霊具の力は魔物にとって死に直結するものだから」
「そうかい。なら、やるしかないな!」
シヴァは霊弓テンペスタを構える。ウルの魔力で補佐しつつ、あまり協力的でない冥界の大気からも魔力を集めて矢を作り出した。
バチリと爆ぜながら現れた青雷の矢が、シヴァの青白い肌をますます青褪めた様に見せている。
「道は、わたしが作るわ」
「それなら、ドローリアは私が守る」
赤髪を翻すローズ=リリーがドローリアの横で魔導書を構えた。紅色の魔力粒子と微かな薔薇の香を纏って、微笑むハルザリィーンが続く。
四人は頷き合い、大広間の奥で動きを止めてクツクツと嗤っているサガノスに目を向けた。
『皇女殿下、仲良しの相談は終わりましたか?』
「ええ」
ハルザリィーンは真紅の瞳をサガノスに据えて頷いた。その双眸が鮮やかに煌めいているのは、潤沢な魔力を存分に振るっているから、という理由だけではない。
ウルと共に戦い、そこにシヴァとドローリアを加え、彼女は戦いの中で彼らを守るという役目を得た。
それによって彼女は、父には嫌われた守護の魔力を自分が正しく操作し、誰かのために使うことができるのだと知ったのである。
ハルザリィーンの中にはすでに揺るぎない自信と覚悟が生まれていた。
「貴方を倒すわ。それから、お父様も」
『ククッ、それはそれは。大それたことを仰る。考え直された方がよろしいかと』
「それはどうかしら?」
その言葉の後、予備動作をほとんど見せることなく弓を引いたシヴァが青雷の矢をサガノスに向けて放った。
思わず目を見開いて、よろめく様に避けた大蛇の頭を掠めて、矢は後方の壁に突き刺さって消える。
それを見たシヴァが唇の片端を上げて挑発的に笑んだ。
「おいおい、お喋りに夢中になるのも大概にしろよ。第一の側近がそれじゃあ、皇帝の野郎も格好がつかないぜ?」
すでに二本目の矢が構えられている。その様子すら捉えられなかったのだろうサガノスが黄金色の目を見開いたまま、ぶるぶると震えだした。
『き、貴様っ!!』
「侮辱するなって? ははっ、それは無理な注文だぜ」
『殺すっ!!』
叫んだサガノスが大きな顎をガパリと開く。赤黒い口腔、白い牙が残忍に煌めいた。その前に展開する黒々とした魔法陣に滲む憎悪の色。
濃密な死の気配にウルが顔を顰める。シヴァは藍色の目を細めた。
『喰らえ!!』
サガノスの言葉と共に魔法陣から魔力の塊が放たれた。それは黒い靄の様なものでできた闇色の蛇の群となり、嫌な気配を撒き散らしながら四人に向かってくる。
「私が防ぐ」
冷静にそう言ったハルザリィーンが右手をサッと振った。鮮やかな紅色の魔力粒子が舞い踊り、端から紅薔薇の蔓に変じていく。
咲き狂う紅薔薇の盾。不可視の結界の様なものも共に展開しているらしく、広範囲の堅い防御となっていた。
黒蛇たちは薔薇を食い荒らしているが、同時に棘のある蔓に捕らわれてその数を減らしている。
黒蛇は、どうやら死属性を纏っているらしく、触れられた薔薇や蔓は黒ずんでボロボロと崩れていた。しかし崩壊の速度を上回る魔力供給で盾は壊れない。
燦然と咲き誇る薔薇の後ろでシヴァが弓を構える。ハルザリィーンと目だけで頷き合い、キリキリと弦を引き絞っていく。
前方では痺れを切らしたサガノスが黒蛇の群と共に突っ込んできた。紅薔薇の盾に巨体で突進する。その衝撃にハルザリィーンが顔を顰めた。
「ローズ=リリー」
そう短く喚んで、ドローリアが屍乙女を操る。塵を乗せた風の中で繰られる魔導書のページ。サガノスに向けて鉄剣の雨を降らした。
ウルもテンペスタの矢への魔力の補佐を続けつつ、ローズ=リリーの鉄剣たちに強化魔法をかける。サガノスの巨体を包む鱗は強靭で堅牢だ。武器には触れただけで斬れる様な鋭利さが求められる。
ローズ=リリーの放つ魔力に精密に操られて、予測の難しい複雑な軌道を描いて飛び交う鉄剣の雨。
数本の剣がサガノスを掠めるように飛んで、彼の動く範囲を狭めて頭を狙う鋭い一撃が襲い掛かる。
サガノスはそれらを防御魔法陣で防いでいくが、頭に血が上っており冷静さに欠けるため、時折失敗して身を抉られていた。パッと散る赤、そして黒緑の鱗が飛んでいる。
『グァァッ! 貴様らっ、調子に乗るなよっ!!』
激昂したサガノスが吼えて太い槍の穂先の様な尾を床に思い切り突き刺した。床下を一瞬で巡る魔力の気配にウルとドローリアが「避けて!!」と叫ぶ。
直後、何本もの尾が床を突き破って飛び出してきた。ひびを広げながら割れて飛び散る床材と粉塵。大広間の見事な石製の床は瞬く間に穴とひび割れ、瓦礫まみれとなった。一ヶ所に固まっていた四人は別々の方向へ飛び退る。
「おっと……」
霊杖片手のウルは、元々戦闘中の機敏な動作に不慣れなのでよろけていた。それを見たシヴァが隣まで飛んでいって、彼を小脇に抱える。
拾われた猫のような体勢になりつつ、眉を八の字にしたウルが申し訳なさそうに謝った。
「気にするな」
「うん……」
黒翼を力強く動かして、シヴァは床より天井に近い高さを飛んでいる。サガノスは怒りの言葉を叫び、特にハルザリィーンを狙って床下から貫く様な尾の攻撃を続けていた。
紅薔薇の盾を展開してその攻撃を防いでいるハルザリィーンだが、裾を引くドレスに踵の高い靴と、戦闘には不向きな服装なので、次第に追い込まれていく。
ドローリアが、外から喚び戻したリリー=ローズを向かわせ、シヴァに抱えられたウルと同じようにハルザリィーンを床から掬い上げた。
しかし、その様子にサガノスが更に苛立ち、床下でバラバラに分けていた尾をまた一本に戻して床から引き抜き、ハルザリィーンとリリー=ローズを狙って突き出す。
頭上から弓矢で射ようにも、冷静でないなりに霊具への警戒心を失わないサガノスは頭の周辺に防御魔法陣を張っていた。もうもうと立つ塵や埃の合間で、その防御魔法陣がぼんやりとした光を放っている。
それを厳しい顔で見下ろし何やら考えていたウルが、ふとサガノスの頭と自分達の近くにぶら下がる大きくて壮麗な照明を交互に見た。
その動作に気づいたシヴァが首を傾げてウルを見る。
「どうした?」
「ええと……」
訊かれて、ウルは戸惑いがちにシヴァを見上げ、それから霊杖ウラヌリアスを握った右手をちょっと持ち上げてその先を照明に向けた。
放たれた魔力の弾丸はとても小さい。何の属性も付与されておらず、シヴァは怪訝な顔でウルを見て、照明に目を向ける。
「あ、なるほどな」
魔力の弾丸は照明を天井に固定している金具に突き刺さっていた。大量の水晶や蝋燭を載せた照明はとても重い。どんな固定方法だったかは不明だが、小さな一撃で金具は簡単に悲鳴を上げて軋んだ。
そして、見守る二人の前で照明の金具は天井を離れる。水晶の粒たちを煌めかせながら落下していく先にはサガノスの頭が。
シヴァは納得の声と共にテンペスタを引いた。両手を使うので当然ウルは落ちていく。
「ちょっ……」
抗議したいがそうできる身ではなく、また大きな声を出してサガノスに知られるのも嫌だったので浮遊魔法を使ったウルの眼前で、落下した照明が水晶の欠片を目映く散らしながらサガノスの頭に激突した。
『ぐあっ?!』
頭への衝撃で薄くなる防御魔法陣。ついでに視界を悪くする埃の煙も晴れた。にやりと笑ってシヴァが狙いを固める。
「じゃあな」
澄んだ弦音。鮮烈な青の一閃が宙を駆ける。吸い込まれるようにサガノスの大きな頭を射抜いて、それでも止まらずに矢は床に突き刺さった。
『ぁ、が……まさ、か……』
しばらく呻き、震える尾の先をハルザリィーンに向け続けたサガノスだったが、やがてぐるりと白目をむいてその巨体がぐらりと揺れる。
シヴァとウルが床に降り立ち、ドローリアとハルザリィーンも警戒しつつ床に降りた。
『陛、下……』
最期にそう言ってサガノスは倒れた。巨体に似つかわしく、まるで城壁が崩れる様な大きな音と共に。
「っ、勝った」
「勝ったの……?」
ウルがつい漏らした言葉に、ハルザリィーンが確認するようにドローリアを見る。
「ええ」
「ああ、そうだな」
ドローリアは頷き、シヴァはそう言って大広間の奥の扉に目を向けた。その扉の向こうには冷酷なる冥界の皇帝イスグルアスがいるはずだ。
戦いの本番はこれから。ウルは束の間の安堵に少し息を吐く。
「少し休むか?」
「……ううん、僕は大丈夫」
そしてハルザリィーンも頷いて「行きましょう」と言った。握り締められた両手は少し震えていたが、それは皆同じ。
全ての始まりの魔物と呼ばれる存在。霊王ティリスチリスと戦いを続けてきた強大な敵。そして大切な存在の仇。ハルザリィーンにとっては実の父である。
四人は並んで扉の前に立った。震えようとも進むしかない。共に手を取り合えば、震えは押さえられるはずだ。
「開けるぞ」
そして、シヴァが重い扉を押し開いた。
※2020.2.16 アドバイスをいただき、広間の破壊具合を細かく描写する文章を少し追加いたしました。




