第22話.攻城
底の見えぬ断崖絶壁から、びょうびょうと風が吹き上げている。谷底に落とされた者たちの怨嗟の声の様なその風に各々の長髪を乱されながら、シヴァとドローリアは皇宮ナースゴルドの正門前に立っていた。
石橋を渡る者を監視するために配置された二体の大きなガーゴイルが、霊具を持つ明らかな敵対者に反応して石柱から重たい音を立てて下りてくる。
ごりごり、と石の身体が擦れる音。蝙蝠のものに似た翼と先の尖った尾、そして醜い顔立ちに二本の角を持つガーゴイル。
鈍重であるが、魔法攻撃に対する耐性が非常に高く、物理攻撃でも柔なものではびくともしない。加えて、恐ろしく重たい一撃を放ってくる優秀な門番だ。
しかし、シヴァは至極冷静に霊弓テンペスタを引き、同時に放った二本の矢でガーゴイルの胸部に埋め込まれた核を一瞬で破壊した。
こんなものには構っていられない、と言いたげに崩れていくガーゴイルを一瞥し、ドローリアと頷き合って、断崖絶壁にかけられた頼りない石橋を駆け足で渡る。
見えてくるのは堅く閉ざされた大門の鉄扉。門番の魔力の根源と繋がった堅牢なそれは、二人を通すまいと強い魔力を巡らされていた。
それを鬱々とした暗紅色の目で見て、ドローリアは右手をバッと鉄扉に向けた。直後、宙を駆ける夜の香気に似た黒薔薇の魔力。鉄扉に触れて、その魔力を獣の様に喰らう。
途端に堅牢さを失った鉄扉を、暴嵐の魔法で押し退ける様に開いて二人は更に進んだ。
鉄扉の向こう側に広がる、血の様な紅色の芝と生を嘆いている様な黒い木が印象的な前庭。異常に気付いた衛兵たちが現れ始めている。
「リリー=ローズ」
ドローリアが魔力を込めて喚ぶ。直後、灰色の石畳に描かれる黒々とした魔法陣。そこから姿を現す屍乙女は風にふわりとスカートを揺らす。カツン、と軽やかに硬い靴音が響き、リリー=ローズは衛兵の群に突撃していった。
突風に巻かれる枯葉の如く、黒鎧の衛兵たちはリリー=ローズによって蹴散らされている。
「行きましょう」
屍乙女が開いた道を、更に進んで現れた木の門扉を蹴り開く。皇宮を囲む塀の向こう、燻銀色の柱が並ぶ階段。その先に鎮座する華美な装飾が施された鈍い鋼色の鉄扉が皇宮の入口である。
扉の両側で二体の槍を構えた鋼鉄の魔導式自動人形が二人を待ち構えていた。勢いよく接近したシヴァが反撃の間も与えず斬り捨てる。鋼鉄を紙の様に抵抗なく斬る黒い剣の一閃には、シヴァの努力の成果が窺えた。
魔力によって堅く閉ざされようとした鉄扉を、ドローリアの魔力でこじ開けて、二人は皇宮の中に飛び込んだ。
―――――………
ちりちりと脳裏で瞬く青雷――テンペスタの気配に、ウルは時折集中力を奪われながらも、牢の前に座ったハルザリィーンと言葉を交わしていた。
「ウルーシュラは、兄弟が多いのよね」
「うん。七人いるよ」
「……羨ましいわ。私は、一人だから」
溜め息を吐いたハルザリィーンは、さらりと肩を越えて滑り落ちてきた金の髪を鬱陶しそうに払う。まさに絢爛、という形容がぴったりな鮮やかで濃い金色は精霊にはないものだ。
さやりと揺れる毛先を思わず目で追ったウルは、彼女の華奢な肩の辺りに紅色の薔薇の紋様を見て「……そう言えば」と話を変えた。
「君のその、肩の紋様は何?」
長いまつ毛を伏せていたハルザリィーンはその問いに真紅の目をウルの方へ向け、そして手で肩に触れて「ああ」と呟く。
「人間や、エルフに似た姿の魔物には必ずある紋様なの。魔紋と言うのだけれど、その人が持つ魔力を象徴しているのよ」
「へえ……」
「精霊にはないの? 貴方も、鎖骨のところにあるから私てっきり……」
そう言われてウルは自分の胸元を見下ろした。左の鎖骨の下に咲く空色の四片の花紋。春の枝の花だ。
「これは僕が生まれた、ユグドラシルの春の枝の花なんだ。僕らの場合は生まれの枝が分かるくらいで、象徴ではないかな」
「生まれの枝……?」
ウルの答えにハルザリィーンは首を傾げた。そして彼女が不思議そうに首を傾げたことにウルもまた不思議そうにする。
「そう言えば……」
魔物はエルフや人間と同じく、子供は母親から生まれる。そして一般の羽を持つ精霊も、そうして生まれてくる。
しかし、アルタラの一族の精霊だけは違った。彼等は霊王の涙と世界樹の花から生まれるのである。
エルフ――魔導士のジジはアルタラの一族の精霊の生まれ方を知っていたが、世界の始まりからユグラカノーネと対立しているという冥界の魔物たちは、もしや知らないのではないだろうか。
「アルタラの一族って、不思議だわ……」
「確かに、言われてみると不思議だ……」
(そもそも魔物と精霊は何故、天敵同士なんだろうか?)
ウルは首を傾げた。きっと古の神代のことだろう。父である霊王に訊けば何か分かるだろうか?
「あのさ、ハルザリィーン――――」
はたと思い出した魔物の中の細かな分類について訊こうと彼女の名を呼ぼうとした時、遠くからゴォォンと轟く地鳴りにも似た爆発音が聞こえてきた。バッと顔を上げた二人は直後に顔を見合わせる。
「……」
「何かしら……この気配、まるで……」
言おうにも言えないで口ごもるウルの前で、遠くにある慣れない気配に不安そうな顔をするハルザリィーン。シヴァとは半分とは言え血縁の彼女であるから、何か感じ取れるものがあるのかもしれない。
「……聞いて、ハルザリィーン」
覚悟を決め、ウルは銀星の目でハルザリィーンの真紅の目を見て口を開いた。
―――――………
シヴァは視界を多い尽くす舞い上がった塵に目を細め、息を吐いて冷静にテンペスタを構えた。
「どうしてくれるの?! 姉さんを起こしてよっ!!」
塵を打ち払う様にして、赤い爆炎が城の廊下のあちこちで弾ける。激しい爆音と共に灰塵を乗せて吹き寄せる烈風。
その高熱に揺らぐ空気。不意に晴れた煙の向こうからゆらゆらと姿を現す黒衣の乙女。虚ろな真白の目に、熱風にはためく白い髪。黒死の姉妹の妹、ディエルオーナであった。
「駄目よ。大事にしない人には、あげられないわ」
シヴァの後ろでドローリアが呟くような声で答えた。床にしゃがんだ彼女の横には黒死の姉妹の姉、ジエルメーラが倒れている。ピクリとも動かない彼女に呼吸の気配もなく、不死者が持つ独特の生きた死の気配もしない。
「あなたが、大切にすると言ったから、私は、その子に帰ってきてもらったの……大事にしないなら、駄目よ」
シヴァはその声を聞きながら、密かにこの偶然に舌を巻いていた。
以前、ディエルオーナは言っていた。姉は一度死んでおり、当時皇宮にいた優秀な屍術士に呼び戻してもらったのだと。
その屍術士とは、ドローリアのことだったのである。
皇宮に入ってすぐ、正面の広間で二人を待ち構えていた黒死の姉妹に遭遇した時、ドローリアが「……ひどい」と呟いた。直後ジエルメーラの身体がカクンと傾いで倒れた。
彼女はジエルメーラを動かしていた自律式の魔法を即座に解いたのである。
そのことに気づいたディエルオーナは錯乱し、滅茶苦茶に爆炎の魔法を放った。
広間は壊滅。あちこちに焦げたにおいの煙を上げる穴が開いて、天井にあった華麗な照明は落下して粉々になった。
「何よ何よ何よ、あたしは姉さんを大切にしていたわっ!! 姉さんを返しなさい、ドローリアッ!!」
「いや」
「っ、殺してやる!!」
ディエルオーナの身体からぶわりと黒い魔力粒子が溢れ出した。羽衣の如くその身に纏いつき、凝縮され、次第に黒い鎧の様に姿を変えていく。
彼女はぶつぶつと何やら呟きながらゆっくり身を屈め、爪先の尖った手甲に覆われた腕を床に付けた。
魔力の激しい流れを感じてシヴァは床を蹴った。直後、床が爆ぜる。下を地龍が通ったのかと思えるほどに激しく捲れ上がった床材が宙を舞うシヴァのところまで飛んできた。
それをひらりと避けながら、下に向けて弓を構える。不死者は霊具でなければ倒せない。
「姉さんを取り返さなきゃ……じゃなきゃあたしは……あたしはっ……」
床材を踏み砕きながら跳躍するディエルオーナ。彼女が飛び掛かる先にはジエルメーラの頭を労る様に撫でているドローリアがいる。
「返してっ!!」
「……彼女がいなくても、あなたはあなたなのに」
厭世的な気配を滲ませた暗紅色の目がそんな言葉と共にディエルオーナを貫いた。
「あなたがいなくても、彼女は彼女だったわ」
テンペスタの弦から、澄んだ弦音と共に青雷の矢が放たれる。
「彼女をあなたの存在理由にしてはいけない。分かっているでしょう」
空中で、ドローリアの頭目掛けて黒甲に覆われた手を伸ばしていたディエルオーナが目を見開いた。
そして真っ直ぐ降った矢が彼女の胸を貫く。
「あ……」
「おやすみなさい、ディエルオーナ」
霊具が持つ力によって、不死者の乙女の身体から力が奪われていく。ふわりと空気に解ける黒の鎧。どさりと床に落ちた彼女は、少し先に横たわるとっくの昔に死んでいる姉に手を伸ばした。
「ねえ、さん……」
震える手が力を失ってぱたりと冷たい床に落ちる。ついに姉には届かなかったその手。もう二度と、動くことはない。
ドローリアはスッと立ち上がってそんな彼女の頭を撫でた。その目は穏やかで、凪いだ海の如く静かであった。
「……行きましょう」
「ああ」
二人は、決して振り向かなかった。




