第20話.成果
牢番の青年ババロから、ハルザリィーンの言葉を受け取ったウルは「ふーん」と頷きながら、内心一歩を進めたことに喜んでいた。
(あとは、彼女と何を話すかだ……)
そう考えて、ウルは腕を組むと静かに思考の海に沈んだ。
次の段階こそ、決して間違ってはいけない。慎重に、与えられた猶予の中で、言葉を選んでおく必要がある。
大人しくなったウルの様子に、牢番のババロはこっそりと安堵の溜め息を吐いたのであった。
―――――………
シヴァは風が巻き上げる砂塵の帯を引いて、低く低く駆けていく。荒れた大地を踏んで、乾いた風を両翼に乗せて、速く速く駆けていく。
藍色の瞳が見つめるのは濃紫の分厚い魔導書だ。白蝋の様な手に載った、黒薔薇の魔力を放つそれは、パラパラと勝手にページを繰られ、次々に魔法を放ってくる。
瞬きの間に、視界を覆い尽くすほどの量で殺到する茨の群。深緑の濁流の様なそれを、軽々と爪先に力を込めた跳躍でひらりとかわして、瞬時に発見した根元に青雷の矢を射込む。
のたうちながら消えていく茨。砂を踏む微かな音と共に着地した先へ、今度は銀の短剣が五本飛んできた。
シヴァはそれを横へ跳ぶことによって軽々と避ける。何の抵抗もなく地面に突き刺さる短剣から少ししか音がしないのは、その刃の鋭さを暗に示していた。
短剣を追うように、鋼鉄の靴を履いた足がその鋭い踵でシヴァの脳天を刺し貫こうと降ってくる。
重たく、金属のぶつかり合う音を立てて黒い剣で受け止め、剣を振り抜く勢いで相手の勢いを右へ流す。
地面に突き刺さる様にしてもうもうと土煙を上げる相手から一旦距離を取り、ゆらりと起き上がった気配を確認してもう一度飛び掛かった。
上段から振り下ろした黒剣を、土煙を払いながら振り上げられた銀色の短剣が受け止める。
重たい金属が弾き合い、その衝撃がすべて腕に伝わるが構わず、中段に下ろした剣を相手の胴を薙ぐ位置へ。それもまた銀色の短剣で防がれた。
しかし彼は両手で握った剣を思いっきり振り抜く。堪えきれず吹き飛ばされるリリー=ローズ。
「っ!」
彼女への追撃に、数歩駆けてから勢いよく宙へと飛び上がったシヴァに鉄剣の群が襲い掛かった。
篠突く雨の様に降る千剣を、踊る様なステップでかわし、時に黒剣で払って、剣の雨の降る範囲から外れる。ひらりと翻る長髪が、数本鋭利な刃に触れて宙に舞った。
しかし、抜け出した先には体勢を立て直したリリー=ローズが短剣を両手に構えて待ち受けている。
(想定内の連携だ)
シヴァは冷静だった。彼が左手に握り締めた霊弓テンペスタには、荒野の大気から集まった魔力で形作られた青雷の矢が二本つがえられている。
一瞬で弦を引き、澄んだ弦音と共に矢を放つ。一本はリリー=ローズの方へ。もう一本は三日月の様な軌道を描いてローズ=リリーの元へ向かった。
パシッと弾ける光の尾を引く矢を追うように、シヴァは短剣を握るリリー=ローズの方へと走る。
彼の意思に従って青雷の矢は低空を疾走し、シヴァに攻撃を仕掛けようとするリリー=ローズを牽制した。霊具から放たれた矢は、死して尚冥界のものである彼女にとって本能的な警告をもたらす。
下手に食らえば屍としてこの先を歩むことは叶わなくなる、そう感じるからリリー=ローズは攻勢に出られない。
「そっちが速く動けば、気をとられるのは仕方がないよなっ!」
矢を警戒していたリリー=ローズはその声にバッと上を向いた。そこには艶めく黒翼を大きく広げたシヴァの姿が。
直後真っ直ぐ振り下ろされた黒の一閃がリリー=ローズの服の胸元を裂いた。それと共に布の下に隠されていた深紅の石が刃の一撃を受けて真っ二つに割れる。
途端固まった様に動きを止めるリリー=ローズ。その隣を周囲を旋回していた青雷の矢が通り過ぎ、後方の荒れた地面に突き刺さった。
「あとはお前だけだ」
そう言って振り返った先には、魔力の障壁でテンペスタの矢を受け止めているローズ=リリーがいる。激しくぶつかり合う魔力が起こす風が、彼女の長い赤髪を揺らしていた。
限界を迎えた障壁と矢が澄んだ音を立てて同時に砕けた。それを合図に、シヴァは地面を蹴り、ローズ=リリーは魔導書を繰る。
地を這う魔力。直後シヴァの着地点でそれが乱暴に膨れ上がった。発動を察してそこからふわりと飛んだ彼の足下で、地面が内側から赤々と燃える炎を弾けさせる。
爆発を起こした魔力は宙にも浸透していた。あちこちで弾ける赤。その熱に空気がゆらゆらと揺らぐ。
膨れる炎をひらりひらりと宙を泳いで見事にかわし、シヴァは弓を構えた。あちらは魔導士、ならばこちらも遠距離攻撃で挑む他あるまい。
現れるのは三本の矢。激しく上下する飛行中に放たれたそれは、恐ろしい精度で三方向からローズ=リリーの頭を狙う。
ふわりと低空を滑って逃げる彼女。ぱらりと繰られた魔導書から溢れた魔力が今度は涼やかな水流に変じる。
目を細めたシヴァは一本の矢をその水流に突き立てた。碧に溶ける青。直後大きなものが手に収まった感覚が伝わってくる。
「行け!」
霊弓の末弭を下方を移動するローズ=リリーに向ける。テンペスタの支配下に置かれた水流が、微かな電光をちらつかせながらローズ=リリーに突進した。
シヴァを叩き落とすつもりで放った水量に、元の術者であったローズ=リリーは堪らず呑み込まれる。
溶け込んだ霊具の矢の力にぐったりと動きを遅くした彼女の左側頭部に付いていた深紅の石を、降りてきたシヴァの剣が破壊した。ローズ=リリーも動かなくなる。
荒野に乾いた風が吹き、戦いの残滓を舞う土煙を合わせて拭い去っていく。動きを止めた二体の屍と共にその場に残ったシヴァは、戦いの中で理性的に整えていた呼吸を「はぁぁ……」と大きく乱した。
「やった……ついに、やったぞ」
「あぁっ、二人とも、怪我は?」
その場に座り込んだシヴァを無視し、よたよたと駆けてきたドローリアはリリー=ローズとローズ=リリーの様子を確認にいく。
ドローリアの「もう動いていいわ……」という言葉に、氷が溶ける様にゆるりと動き出した二体の屍。シヴァはそれを半眼で見ながら溜め息を吐く。
数日間をすべて訓練に使った成果がようやく得られた。恐ろしい力量を持つ二体の屍相手に、無傷で勝つことができるようになったのである。
(待ってろ、ウル。すぐに助けにいくからな)
きり、と握り締めたテンペスタ。作り手であるウルとの繋がりはそこまで強くないはずだが、彼が生きていることは何となく分かる。
一人頷いて、シヴァはドローリアの方を向いた。黒いマントを纏った彼女もまた、じっとシヴァを見ていた。
「……明日、皇宮へ向かう」
「分かったわ」
この荒野から遥か彼方の西方にある皇宮へ。最も遠い場所から、シヴァは再びその地への一歩を踏み出したのであった。
※2019.1.6 少々修正




