第10話.不死者
ふらふらと覚束ない足取りで、シヴァはジエルメーラの元に歩いていった。確実に倒したと、確認しなければならない。
(……ウルは、無事だろうか)
瓦礫を踏まない様に、土煙のもうもうと上がる場所へ近づく。
円形に砕けた煉瓦の壁、破砕された木箱の残骸。そしてそこに場違いな白と黒があった。
「はっ……はっ……」
「驚いた。まだ、息があるのか……」
胸部に大きな穴を開け、テンペスタの矢が残した青い電流に苛まれながらも、短い呼吸を繰り返して、ジエルメーラは生きていた。
魔力粒子の残滓が辺りにぼんやり漂っているが、もう増強の羽衣の様になったり、攻撃の黒刃になるほどの力はないようだった。
「……ディエ、ル……オーナ」
意識がぼんやりと不明瞭なのか、うわ言の様に妹の名前を繰り返している。
シヴァはテンペスタを握り締め、息を整えた。
このまま彼女を生かしておく理由はない。いつ復活して、道行きに再び立ち塞がられるか分からないからだ。
「……じゃあな」
弦に指をかける。シヴァは大きく息を吐いた。
「あらー? 駄目じゃない、姉さん」
「っ!!」
突如響いた、場違いなのんびりした声にシヴァは弾かれた様に振り返った。
「っ、ウル!!」
そこには、白い服の腹部を真っ赤に濡らしたウルを横抱きにした、黒いドレスの乙女が立っていた。
ウルの傷は、シヴァの位置からはよく見えなかったが、その出血量から、浅い傷ではないと分かる。
その傷には、ジエルメーラのものによく似た漆黒の魔力粒子が絡み付いていた。
(あれは……)
それが良いものか悪いものかは分からない。だが、ウルは確かに息をしている。早く助けなければ。
人形の様な色の無い美貌に、完璧に作られた笑みを浮かべて、ディエルオーナは小首を傾げた。
「立って、姉さん」
「ディ、エル、オーナ……」
「いつまでも寝ていたら駄目でしょ」
何を、とシヴァは混乱した。ウルを助けなければならないが、何か不気味なものを感じるこの状況で、どう動けばいいのだろう。
「立て、ないん……です……霊具の、力の、影響で……」
「それが?」
「魔力を……分けて、ください……」
「そのくらいなら立てるでしょう」
「あ、ぅ……」
ディエルオーナは笑みを崩さずにそう言ってのけた。仰向けに倒れたままのジエルメーラは、曖昧に呻いて立ち上がろうと藻掻く。
「あーあ、まったくもう。役立たずなんだから。あたしがいないと何にもできないのよね」
「ごめん、なさい……」
「いいよぉ。大事な姉さんだもん」
にっこりと笑いながら、ディエルオーナは藻掻く姉の傍らまでやって来た。
「精霊も捕まえたし、そこの半霊半魔を殺して帰ろ? できるよね?」
「でき、ます。すぐに……」
震えながら、瓦礫の中でジエルメーラは立ち上がる。その頭を優しく撫でて、ディエルオーナは頷いた。
「よしよし、じゃあ魔力分けてあげる」
「ぁ……」
どこか肉食獣の気配にも似た笑みを浮かべたディエルオーナは、抱いていたウルを傍らに下ろした。
それから、姉の胸にぽっかりと空いた穴に手を触れ、その身体に背後から両腕を回して抱きしめる。
「これが霊具の攻撃で受ける傷なのね。あたしたちには致命傷だわ」
「うっ……」
細い指先がからかうように傷の縁をつぅっとなぞる。震える姉の肩越しにシヴァを見た彼女は「ねぇ」と嗤った。
「どうやってこの子を助けようか、とか考えてる? それとも、あたしたちの関係が不思議に見える?」
シヴァは止まらない頭部の出血への焦りを押し隠し、口の端に笑みを浮かべて肩をすくめる。
「さぁ、どうだろうな」
「ふふふ、そうね。ここで死ぬんだから、思考は無駄でしかないもの」
心底可笑しい、とでも言いたげなディエルオーナの笑い方に、シヴァはフッと目を細めた。
途端、影を帯びて瞳は濃紫に変わる。そこに剣呑な色を燻らせて、シヴァは皮肉っぽい笑みを、艶然としたものに変えた。
凄絶なまでに暗く美しい笑みに、ディエルオーナは再び「くすっ」と笑い声をこぼす。
そして彼女は細い指に黒い魔力を纏わせながら、ジエルメーラの胸の傷にずぶずぶと爪先を潜り込ませ始めた。
その痛みに短く悲鳴を上げたジエルメーラは、すぐにかくんと頭を下げて目を閉じる。
「姉さんはね、一度壊れたの。かなり前のことよ。ずーっと前」
傷の縁がじわじわと再生を始める。シヴァの眉がピクリと動いた。彼はこの状況に焦り始めている。
「その頃、皇宮にはすごい屍術士がいたの。だからね、直してもらったのよ。しかもちゃんと生きながら死んでいる不死者の特性を失わないままね。だから姉さんは自分の意志で動くし、傷つけられれば流血する。素敵でしょ?」
あ、と彼女は傷を優しく掻き混ぜながら短く声を上げた。
「この話、姉さんには秘密よ。姉さんは知らないの。自分が一度壊れちゃったってこと」
(……なるほど。なら、あれは正確には不死者ではないんだな)
それを知らないから自身を“不死者”と称するわけか。
シヴァはそんなことを考えながら、ちらと地面に横たえられているウルを見た。
流血はしていない。どうやらディエルオーナの魔法で止血されているようだ。
意識はなく、血まみれでぐったりとしている様子は、ユグラカノーネでの出来事を思い出させる。
(ウラヌリアス……)
シヴァにウルを託した彼の半身の名を、悔しさと共に噛み締める。
「さーて、そろそろ直ったかな」
そこへディエルオーナの言葉と、指を引き抜く音が聞こえてきた。
見ればディエルオーナは捕食者の笑みで血濡れの指を舐めており、ジエルメーラの胸に残った小さな傷がすうっと塞がっていくところだった。
パチッとジエルメーラが目を開く。
「姉さん」
「はい」
「あれ、殺して」
ディエルオーナの魔法が、姉の大鎌を手元に引き寄せる。
それを、手に握らせればジエルメーラはこくりと頷いた。
来る、とテンペスタを構えるシヴァ。今度は頭を吹き飛ばす。それも、姉妹二人を同時にだ。
(難しいだろうが……片方がここにいる間は、ウルを連れていかなさそうだ。それは助かる)
ならば、と弦を引き絞る。現れるのは三本の青雷の矢。シヴァが意識して操ることのできる限界数だ。
(囲んで、射つ)
その時だった。
突然、シヴァの足元に薄緑の魔法陣が現れた。その場の誰しもがぎょっとして動きを止める。
「この魔力……っ、まさか!」
ディエルオーナと同時に、シヴァも気づいた。
痛みに耐えながら、苦しげに、しかし笑みを浮かべてウラヌリアスを握り締めるウルの姿に。
「ウルッ!!」
「シヴァ、ごめん。どこに飛ぶか、分かんないや」
「っお前、まさかっ、やめろ!!」
骨が軋む両足に力を込め、シヴァは走ろうとしたが、魔法陣から伸びた魔力の帯がそれを阻む。
それと同時にディエルオーナがウルの頭に手を伸ばした。その顔には余裕がなく、恐ろしい形相であった。
「逃げろ」
そして目映く光る魔法陣。それは転移の魔法だった。
「やめなさいっ!!」
ディエルオーナがウルの頭を押さえつけてウラヌリアスを奪おうとする。
足を縛る魔力の帯に、堪らず膝をついたシヴァは吼えた。
「必ず助けに行くからなっ!!」
死ぬな、とは言えなかった。その瞬間には、シヴァの姿は淡い緑光を残して消えていたからだ。
「このっ!!」
ガツンッと苛立ちのままに蹴られて、ウルは呻いた。
それでも、彼の顔には笑みがあった。
(逃げて、やり遂げるんだ、シヴァ。僕は僕で、頑張るから……)
そしてウルは、ディエルオーナの悔しさから来る咆哮を聞きながら、そのまま意識を失った。




