第9話.黒死の姉妹
黒い一閃が、ジエルメーラの白い喉を裂いた。パッと飛び散った赤は、金の大鎌の刃に彫り込まれたダリアの紋様にかかり、それを生花の如く真紅に染める。
ふらりと傾いだ身体は、しかし倒れることなく踏みとどまった。
白い喉にぱっくりと口を開けた赤黒い傷口から溢れ出る血が、胸元が裂けた濃紫のブラウスを濡らしていく。
喉が裂けたと言うのに、まったく無感情な真白の瞳は、ぼんやりとシヴァを見ていた。
ジエルメーラを取り巻いていた身体強化の黒い魔力粒子たちが散っていく。口の端から白い顎に赤が伝い、ぽたりと地面に落ちた。
(ここで完全に仕留めておくべきだな。こいつは危険だ)
シヴァはそう考え、黒剣を構える。
裂けた喉からヒューヒューと下手な笛を鳴らす様な呼吸音を立てている瀕死の敵を仕留めることは、そう難しくない。
(一撃で、首を刎ねる)
そう決め、シヴァは踏み込んだ。
「何故私たちが“黒死の姉妹”と呼ばれているのかご存知ですか?」
ジエルメーラの喉の傷から漆黒の魔力粒子が噴き出す。
それらの一部は奔流の中で結合し、鋭い刃となってシヴァを襲った。
「っ!!」
全身に裂傷を負い、そのままシヴァは後方に吹き飛ばされた。
「漆黒を纏い、死をもたらす存在だからです」
裂かれた喉を元の位置にぐっと押し付けながら、ジエルメーラは小首を傾げる。
「喉を裂いただけで、不死者が倒れるとお思いでしたか?」
―――――………
濃密な死の香りを漂わせる漆黒の魔力粒子の群に行く手を阻まれて、ウルはじりっと後ずさった。
「あの程度で、あたしに勝った気?」
漆黒の中から、不機嫌そうなディエルオーナの声がする。
その間に、背後にも魔力粒子の群が出現し、ウルは二進も三進もいかなくなった。
「ちょっとムカついた。だから……」
「っ!!」
こほ、と咳き込んだウルの白い顎を細い赤が伝う。
背後の魔力粒子の群から突き出されたディエルオーナの白い腕が、ウルの腹を貫いていた。
激痛に呻いたウルの耳元へ、ディエルオーナの笑い声が囁きかけられる。
「大丈夫、殺さないから。あたしそう言うの上手よ? まあ……死んだ方がマシって思うかもしれないけれど」
ずる、と腕が引き抜かれた。
崩折れたウルの身体を軽々と支え、漆黒の中からまったく無傷の姿を現したディエルオーナは機嫌が良さそうに微笑む。
「やっぱり死にかけているとこが一番可愛い。もっともっと虐めたくなっちゃうな」
まるで姫君の様に横抱きにされ、運ばれる感覚に、激痛の中でウルは焦った。
(駄目だ、ここで、意識を失ったら……)
「眠っててね。精霊さん」
(うっ……)
意識を覆い尽くす漆黒。
シヴァの翼の色に似て、まったく違う。死の気配にも程近い、冥界らしい色だ。
どろりとして逃げ道の無い漆黒に呑み込まれて、ウルは逃れようと藻掻いたが、やがて沼に沈み込む様に意識を失った。
「あたしの勝ち」
ディエルオーナはご機嫌に歩を進めた。あとは姉が半霊半魔を片付けるだけ。簡単な仕事だ。
「陛下に褒めてもらおっと」
自分のものではない血でドレスを、そしてその裾から覗く白い足をなまめかしく濡らしながら、甘美で非生物的な美貌に微笑みを浮かべた不死者は鼻唄を歌った。
―――――………
頭が痛む。視界はぐるぐると不明瞭に回り、頭痛と共に耳鳴りがした。
(まずい、まさか、不死者だとは……)
シヴァは身を起こして、地面に両手をついた。剣を握りしめた右手の甲に、パタリと血の雫が落ちる。
先程の魔力粒子の奔流による攻撃で、あちこちに裂傷を負った。切れたのは額か、生ぬるい血は止まらずに流れている。
髪紐も切られた様で、黒い長髪が肩を滑り落ちて地面すれすれに揺れていた。
吹き飛ばされて、後方にあった石造りの建物に激突したシヴァは、全身の痛み故になかなか立てなかった。
(立て、それでなきゃ死ぬぞ)
「死にそうですね」
喉の傷を完全に塞いだジエルメーラが、痛みに呻くシヴァの前に歩いてくる。
「貴方を殺せる場合は、確実に息の根を止めろと陛下に命じられています。そして首を持ち帰れとも」
スッと黄金色の大鎌の刃で俯くシヴァの顎を掬い上げながら、ジエルメーラはそう言った。
白い双眸は無感情に、ビスクドールの様に生気の無い美貌がシヴァをじっと見下ろしている。
「可哀想に。霊具が剣であったなら、私を倒せたでしょう」
何故弓なのでしょう、とジエルメーラは首を傾げた。
(……そんなこと)
シヴァだって何度も考えた。
青金の霊弓テンペスタ。しなやかな青雷のその霊具は、復讐の道具と言うにはあまりにも美しく、真っ直ぐだった。
(ウルに似たな……)
血塗られた道に相応しくない、決して侵されることのない神聖さ。作り手のウルと同じく、シヴァの隣にあってはならない目映く尊いもの。
それでも、雷の枝の元に生まれた母を持つ彼の元に舞い降りた青い一葉なのだ。
「……弓だって何だって、関係、無いね」
シヴァの傍らに転がっていたテンペスタから、パチッと青い雷が起こる。
それに気づいたジエルメーラが思わずと言った様子で一歩下がった。
「これが、俺の霊具なんだから」
轟音。青白い閃光が辺りを満たす。
落雷だ。冥界の暗い空を貫き、地上を駆け、天の世界樹から降った青の雷だった。
バチバチと激しく小さな雷を撒き散らすテンペスタを、シヴァは握り締めて立ち上がる。
落雷によって巻き起こった風が長髪を揺らしていた。ジエルメーラに向けられた瞳は、雷を映した鮮やかな青色だ。
ピンと張った細い弦に指をかけ、キリキリと弓を引く。
「射たせるとお思いですか」
そう言って、大鎌を構えたジエルメーラが突撃してきた。その表情には、若干の焦りの色が見える。
「射つ」
パァァンッと澄んだ弦音。青い雷の竜が吼える。
「くっ!!」
シヴァの意志に従って動く矢に、避けられないと判断したのか、ジエルメーラは受け止めようと漆黒の魔力粒子を纏って大鎌を構え直した。
バチバチバチッとぶつかり合う、青雷と金刃。鮮やかに、そして激しく、削り合う強大な力。
「行けっ!!」
「うっ、く、まさかっ!!」
金の大鎌が弾かれた。
ジエルメーラの胸部を貫く青雷の矢。
テンペスタの矢は、ジエルメーラを貫いたまま、細い路地を走り、轟音と共に後方の壁に突き刺さった。




