第8話.反撃
青雷に舐められたディエルオーナの身体から、もうもうと白煙が上がっている。
黒いドレスから覗く白い肌に、赤々とした爛れの様な熱傷が痛々しい。
艶やかな白い髪は所々が黒く焼け焦げていた。
白目をむいて細かく痙攣しているディエルオーナの姿に、ウルは罪悪感を覚えつつも大きく息を吐いた。
(まだ、油断はできない……)
ウラヌリアスを握り締める。辺りを燃やしていた赤い炎が次第に弱くなって、代わりに黒煙の焦げ臭いにおいが強くなってきた。
ウルは魔物との戦闘経験に乏しい。それに加えて、魔物の中でも上位の存在とされる人型に近いものとの戦いは未経験だ。
ディエルオーナは、彼女の姉ジエルメーラの口ぶりからして皇帝との繋がりがあるらしい。
つまりはそれだけ皇宮での地位が高い、力の強い魔物と言うことだ。
先程までの攻撃がディエルオーナの全力だとは到底考えられない。
恐らく猫が獲物を嬲る行為に等しいのだろう。彼女は狩りを楽しんでいるのだ。
だから、ウルは警戒していた。
鼠に鼻面を噛まれた猫が、次の瞬間鋭利な牙をむくことを想定して。
(このまま、目をそらさず離れよう)
そう考え、ウルはじりじりと後退を始めた。十分な距離がとれたら走ってシヴァを探そうと決め、後ずさり続ける。
ディエルオーナは意識を失っているのか動かなかった。
ウルはそれでもかなりの距離が開いてから、バッと真横にあった細い路地に飛び込んだ。
(僕が飛ばされた向きから、こっちが元いた方向のはずだ……)
慣れない道である上に時折建物の裏口から魔物が顔を出す。
今のウルには精霊であることを隠す余裕もなく、ただひたすら必死に走った。
(本当はウラヌリアスを還してしまった方がいいんだろうけど、怖くて手放せない)
自分の足音と短い呼気の音、湿ったような空気のにおい。耳元を通り抜けるひんやりとした風の感覚。
ウルはそれらを感じながらウラヌリアスを握りしめて走った。
――――……
ガツンッと黒い剣が金の大鎌の刃を力任せに弾く。
ジエルメーラが少し目を見開いた。大鎌の柄を握っていた右手が外側へ弾かれ、身体の前ががら空きになる。
シヴァは大鎌を弾くため振り抜いた黒剣を瞬時に引き、攻撃を防ぐ術の無い彼女の胸元目掛け、真っ直ぐに突き出した。
「……まあ、これで仕留められたら苦労しないよな」
黒剣の鋭利な切っ先は、咄嗟に身体を捻ったジエルメーラのブラウスの胸元を裂いただけだった。
身体を捻った勢いをそのまま、タンッと軽く後退したジエルメーラは、破けた服を気にすることなく大鎌を握り直す。
「考えていた以上に貴方は強いです」
「それで?」
シヴァは力を抜いたように見えるゆらりとした立ち姿でそう言った。藍色の目は剣呑な色を込めて細められたことにより、深い群青を帯びる。
そんなシヴァの目を色の無い瞳で見つめ返し、ジエルメーラは答えた。
「本気で叩き潰させていただきます」
直後、彼女の身体からぶわりと強大な魔力が噴き上がった。
それは衝撃波となり烈風を生む。シヴァは結った長髪を乱されながら、ジエルメーラを睨んでいた。
「思うに、貴方は魔力を扱うことが苦手のようです。皇弟譲りの魔力を有しながら、それを使う様子が見受けられない」
「…………」
「技量が拮抗している以上、こちらが魔力を用いて戦えば……」
黒い魔力粒子がジエルメーラを取り巻いて、紗布の帯の様に両腕にふわりと巻き付いた。
ざわりと背を撫でる悪寒。黒の上に更に深い黒を纏った乙女が、そこで初めてうっそりと笑んだ。
「私の勝ちです」
魔力による身体強化が恐ろしい速度を生み出した。
一歩の踏み込みは、十歩分の距離を瞬きより短い刹那で詰め、残像が尾を引く黄金色の大鎌がシヴァに叩き付けられる。
「っ!!」
咄嗟に身体の左側に縦に構えた黒剣がそれを受け止めた。
ガギィッと恐ろしい音が響く。腕の骨が軋む。受け止めきれない、と感じた直後には、彼の身体はすぐ横の建物の壁に突っ込んでいた。
先程までの攻撃が優しく思えるほどの力がこもった攻撃。ぎらつく刃は確実にシヴァの喉を狙っていた。
ガラガラと崩れる瓦礫の山から抜け出して、翼を動かしてパラパラと土を払う。
(これは、正直まずいな……)
視認してから反応していては間に合わない。そう考え、シヴァは目を閉じた。
(ついてこられない視覚は邪魔だ。空気の流れを、風を切る音を感じろ)
フッ、とジエルメーラの気配が動く。揺らぐ空気を肌に感じる。同時に振られる大鎌の迫る音。
ガツンッと黒剣がその刃に当たる。受け止められない攻撃は受け流すだけ。
するりと剣の側面を滑らせれば、大鎌の刃の先は地面に突き刺さった。
攻撃に転じる好機、かと思いきや鋭く風を切る音が聞こえる。蹴りか、と判断して三歩分後退。
ブンッと重たい音が通り過ぎた。そこでシヴァは踏み込む。カッと目を開けると、目の前には片足が浮いたままのジエルメーラの姿。
「もらった!!」
細い首を狙って一閃。
黒い刃はその白い喉を捉えた。




