第6話.襲撃
必要になりそうなものは粗方入手したと頷いたシヴァは「こんなところ、とっとと出ていこう」とウルに告げた。
それを聞いたウルは目を丸くして「分かった」と答える。そんな彼の様子にシヴァは「何だよ」と訊いた。
「いや、君のことだから魔王城を引っ掻き回すくらいはしそうだと思っていたんだ」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「冷静に考えた上で魔王不在の魔王城を引っ掻き回しそうな人だと思ってる」
「あのなぁ……」
「ユグラカノーネでも、都間の門をわざと派手に抜けたりして騒ぎを起こしていたじゃないか」
「俺なりの考えがあってそうするんだよ、まったく……」
とにかく今回はやらない、とシヴァは腕を組んで首を横に振った。
ウルも勿論やりたかったわけではないので「うん」と素直に頷く。こんな魔物の多いところは早々に離れたい。
「さあ行くか……皇宮は西だ。また歩き通しになるぜ。へばるなよ」
「頑張るよ」
ウルはこっくりと頷いた。ゴドラの地を散々歩いたのだから少しくらい慣れたに違いないから、治癒魔法の使用回数が減ればいいなぁと思いながら。
「ねえ、そこの精霊さん?」
雑踏の向こうから、眩しい純白がウルに微笑みかけた。
次の瞬間にはシヴァがウルを乱暴に掴まえて地を蹴り、宙へ飛び上がっていた。
ウルはそこでようやくハッとして、遠ざかる純白の乙女を振り返った。
「何でバレたんだろう?!」
「さあな!」
道に沿って整然と立ち並ぶ建物より高く舞い上がり、シヴァは黒翼を力強く動かして純白の乙女がいる道から距離をとる。
少し行ったところで細い路地に降り、二人は大きく溜め息を吐いた。
「少しばかり騒ぎになったな……」
「びっくりした……」
「早いとこここを出ないと門が封鎖されちまう。急ぐぞ」
「その前に、そこの精霊を置いていってもらいます」
そんな言葉と共に、二人の間に先程の乙女とよく似た、これまた白髪の乙女が降ってきて音も無く着地した。
肩口で切り揃えた真っ直ぐな白髪に着けられた黒いシンプルなカチューシャが、白磁の様な色の無い美貌から更に色味を奪っていた。
首まで覆う濃紫のブラウスの胸元には小さな紅玉のブローチで留められた黒いリボンがこじんまりとした装飾として着けられている。
黒のタイトスカートからすらりと伸びる足には踵のある艶々した黒い靴。黒いレースの手袋に被われた手には金色の大鎌を握っている。
細腕には似合わない重厚感のあるその大鎌は、大きな刃全体に繊細なダリアの紋様が彫り込まれていた。
「なっ……?!」
驚き、絶句しながらも、シヴァは黒剣を澄んだ音と共に抜き払い、乙女に斬りかかる。
乙女は大鎌の柄でそれを受け流した。そしてそのままウルに刃を向ける。シヴァは動きを止めた。
ウルは咄嗟に霊杖ウラヌリアスを喚び出し、その先を乙女に向けた。
真っ白な瞳がまじまじとウラヌリアスの艶めく紅玉を眺める。
怯みもせず、反撃の意志も見受けられない彼女の反応にウルは少し鼻白んだ。
「素晴らしい魔力量ですね。やはり陛下の予想通りアルタラの一族の末子であるようです」
「えっ……」
「私は黒死の姉妹の姉、名をジエルメーラと申します。霊王の息子、ウルーシュラ。一緒に来てもらいます」
“陛下の予想通り”という言葉にたじろいだウルに、ジエルメーラがいきなり襲いかかってきた。
「っ、させるか!!」
振り下ろされた金色の大鎌を受け止めたのはシヴァであった。
シヴァは狂暴な刃の一撃を受け止めた黒剣を、大鎌を上方へ弾きながら引き、黒いマントに包まれていた霊弓テンペスタを握る。
よろけたウルはシヴァの後ろで転びそうになりつつ、ウラヌリアスの石突を裏路地の石畳に叩きつけた。
魔力を展開し、ここら一帯を隔絶された空間にするのである。
テンペスタとウルの魔法を見たジエルメーラが少しばかり眉をひそめ、長いまつ毛に縁取られた目を細める。
それは、陶器の人形の様な彼女が初めて見せた微かな感情の動きであった。
「…………」
そして一瞬の間沈黙した彼女は、不意にその色の無い唇を開いた。
「ディエルオーナ」
それが、彼女が名乗った『黒死の姉妹』の妹の名であると想像するのは難しいことではなかった。
ウルがハッとした時には、隔絶した空間に外から乱暴な干渉が為されていた。
バキッと空間の遮断面となっていたウルの魔力壁が破壊され、黒と白のものがひらりと降ってきた。
それは顔を上げ、耳の前の髪の細い房を揺らして立ち上がって微笑む。
「はぁい、姉さん」
「この半霊半魔の相手は私がします。貴方はその精霊をなるべく傷つけず捕獲してください」
「分かった」
黒死の姉妹の妹であろう、ディエルオーナは姉にそっくりな真白の目を細めて頷いた。
先程雑踏の中でウルに声をかけた団子髪に黒の膝丈のドレスの乙女である。
これから始まることが楽しみで仕方が無いといった様子の表情でウルを見つめるディエルオーナ。
ウルはじり、とウラヌリアスを構えたまま左足を少し引いた。
直後、ディエルオーナが動く。ひらりと舞うように動いた右手。きらりと煌めいたのは彼女の小指に嵌まった金の指輪だろうか。
展開した魔力がウルの足元に凝縮。回避する間も無く、そこで魔力は魔法に変換される。
「っ?!」
「少し離れたところで遊びましょ?」
足元の石畳を巻き込んで、激しい爆発が起こった。やけに上方への衝撃が強いのは術者であるディエルオーナが操作しているからだろう。
ウルの身体は少しばかりふわりと浮き上がった。
抵抗しようと放った鮮烈な白炎。しかしそれをねじ伏せる勢いで次の爆風がウルを更に吹き飛ばした。
これによって完全に周囲の建物より高く飛ばされたウルは、くるりと宙返りして静謐な水の翼竜を放つ。
しかし、すでに下に乙女の姿はなく、ハッとしたウルを横合いから、いつの間にか飛び上がって来ていたディエルオーナが蹴り飛ばした。
「うぐっ!!」
「ウルッ!!」
「貴方の相手は私です」
助けに向かおうとしたシヴァの行く手をジエルメーラが阻む。
「くそっ、邪魔だっ!!」
シヴァはそう言い、ジエルメーラに飛び掛かった。
一方、吹き飛ばされたウルは中空から表の通りに勢いよく落下、ごろごろと土埃を巻き上げながらしばらく転がった。
「う、けほっ……ごほっ、痛い……」
周囲の魔物たちは状況が飲み込めずに目を見開いたまま固まっている。
霊杖は握ったまま、そして魔力は隠していない。つまりは精霊だとバレているわけだが、どうやらまだ魔物たちの中では驚きが勝っているらしく、騒ぎ出すものはいなかった。
(今のうちに、ここから距離を……)
そう考え、痛む身体を叱咤して立ち上がったウルの背後で、トンッと軽やかな着地の音がする。
恐る恐る振り返ると、そこには淑女の優雅さで微笑むディエルオーナの姿があった。
(早いっ……)
「追い掛けっこをするの? ふふ、それも面白そうね」
「僕は、君たちとは行かないぞ」
「いいえ。貴方は来るのよ」
そう言ってディエルオーナは踏み込んでくる。肝が冷える程、一瞬で距離を詰める速度を持った踏み込み。ウルは即座に身を翻して駆け出した。
背後から様々な魔法が降ってくる。必死にあてずっぽうで防御魔法陣を張り、ウルは走り続けた。
飛来した石片が頬を掠める。足は次第に縺れそうになり、ウルは自分の頭から段々と血の気が引いていくのを感じていた。
(まずい、まずいっ!! 早くシヴァのところへ戻らないと!!)
振り返ればいつの間にか宙に浮かび上がって飛んでくるディエルオーナの姿が見える。
華奢で美しい白い手がひらりと動く度に攻撃的な魔法が襲いかかってきた。
(どうしよう、どうしよう……っ!!)
ウルは打開策を必死に考えながら走り続けた。




