第4話.恐狼
鋭い牙の並ぶ顎を大きく開いて飛び掛かってきた恐狼に、ウルは霊杖ウラヌリアスを向けた。
「雷よ!」
鋭い黄金色の煌めきが走り、直後雷神の剣撃の様な鮮烈な一閃となって、雷が恐狼の群の中を駆けた。
先頭でそれを食らった恐狼は『ギャウンッ!!』と空中でもんどりを打ちその場にどうと倒れる。
灰色の剛毛から微かな煙が上がる様をウルは胸を痛めながら一瞥し、油断はできないと次の魔法に取り掛かった。
(今ので全体が怯んでくれれば良かったのにっ……)
『グルゥッ!!』
『ガゥッ!!』
『ゴゥゥッ!!』
恐狼たちは一頭がやられたことで怯むどころか更に興奮した様であった。
十頭を超す数の大狼に囲まれて、ウルはごくりと唾を飲む。一瞬でも気を抜いたら喉笛を咬み切られてしまうだろう。
『ガゥッ!!』
『グルゥッ!!』
吠えた二頭が別々の方向から襲い掛かってきた。ウルは氷結の魔法を発動し、現れた龍の氷像でその二頭を迎え撃つ。
『ガァッ!!』
「っ!」
そこへ更に恐狼たちが飛び掛かってきて、ウルはそのぎらつく黄金色の目に自身の怯えた表情を見た。
「ふっ!」
『キャゥンッ!!』
「っ、ありがとう、おりゃっ!!」
ウルの細腕に咬み付かんとしていた恐狼の腹に、横合いから伸びてきたシヴァの足が蹴りを入れた。
軽々と蹴り飛ばされる大狼の姿に一瞬驚いたものの、ウルは即座に残りの恐狼を紅蓮の炎で打ち払う。
「やっぱり俺は守られているなんて性に合わない」
「そうだね……っ!」
そう言えばシヴァは足癖が悪いな、とウルは思いながら下方から飛び掛かろうとしてきた恐狼の額をウラヌリアスの石突で突いた。
簡単に押し返されそうになったので、やはり自分には直接の戦いは無理だと諦めて大地を隆起させる。
立ち上がった石柱が恐狼たちの自由な動きを制限した。
「どこかに群の長がいるはずだ! そいつを倒せば終わる!」
「分かった!」
ウルは辺りに目を向ける。どこを見ても同じ様な灰色の大狼ばかり。目印の様なものは無いのかと目を凝らす。
その間にシヴァが霊弓テンペスタを引いて遠くの恐狼を射っているので、近くのものはウルが魔法で凪ぎ払った。
霊具であるテンペスタの青雷の矢は、冥界の生き物である恐狼の鎧の如し剛毛をしても防げないらしく、次々に射たれ、狼たちの興奮は増している。
(長、長はどこに……)
焦っていたウルは不意にふ、と視線を感じて顔を上げた。
そのままゆっくりと視線を右へ。彼の身長より少し高い所に、銀色の大狼がいた。
「あ」
『ガルゥッ!!』
飛び掛かってきたその恐狼は他の個体より一回りも二回りも大きく、美しい銀色の体毛をしていた。
銀糸を束ねたかの様な長い尾の先は美しい群青で、瞳は鮮やかな南海の色である。
ウルは迫り来る鋭い牙を咄嗟にウラヌリアスの柄で受けた。
しかし巨狼と言っても差し支えない様な堂々たる体躯の突撃に彼の華奢な身体は耐えられず、そのまま後ろに倒れる。
「うっ!!」
『ガゥゥッ!!』
「ウル!」
「駄目だシヴァ! 手を出さないで!!」
「なっ……?!」
ウルは霊杖の柄を咬み、そのままこちらに迫ってこようとする銀狼を見上げた。
あまりにも重くて息苦しい。しかしそれ以上にウルはこの獣の美しさに見惚れていた。
(多分彼は狼の王だ。瞳に理性の色があるもの。殺したくない)
白銀と群青の狼王。その抜き身の剣にも似た鋭く苛烈な美しさは、どこかシヴァに似ている。
「……僕たちは、ここを、通りたいだけなんだ」
だからウルは、声に魔力を乗せて恐狼の王に語りかけた。
この声が、彼の意志が、届くように。
「こちらに戦う意志は無いよ。だから、群の皆を退かせてくれないかな……?」
南海の色をした目が少し細められる。まるで、何かを思案しているかの様に。
ウラヌリアスの柄を噛み砕かんとしていた顎の力が弱まる。
周りを囲んでいる恐狼たちはいつの間にかじっと長の決定を待っていた。
シヴァは目から警戒の色を消さず、すぐに動けるよう構えを解かない。
「お願いだよ……」
ウルは最後の一押しとばかりに狼王に懇願した。
白銀の巨狼はしばらくじっとその鮮やかな南海の瞳で、地面に押さえつけられているウルを見下ろしていた。
シヴァは緊張したままそれを見つめる。いざとなったら一瞬で矢を射ち込もうとテンペスタをギリッと握り直した。
(まったく、無茶しやがって……)
周囲は恐狼たちの荒いハッハッと言う短い息の音と、肉食獣特有の獣臭さ、そして風が気まぐれに運んでくる砂塵のカラカラしたにおいに満ちている。
灰色の大狼たちは白銀の王の決定を待っていながらも、仲間の血が流れたことに興奮して目をぎらつかせていた。
やがて、ウルを押さえつけていた白銀の巨狼が、その大きな前足をウルの肩から下ろした。
決してウルから目を離さず、ゆっくりと後ずさりした恐狼の王はある程度の距離を取るとパッと身を翻す。
一つ、短く吠えて去っていく白銀の巨狼を、名残惜しげな様子を見せながらも灰色の大狼たちは追いかけていった。
ウルはそろりと身を起こし、しばらく恐狼の群が去っていった方向を見つめていたが、やがてシヴァに向き直る。
「…………」
「……はぁ」
顔を見合わせ、緊張が解けたからか頬を赤く染めて目を丸くしているウルに、シヴァは大きな溜め息を吐いた。
「無茶するなぁ、お前」
「うん……自分でも無謀だったと思うよ」
そして互いに苦笑して、シヴァは座り込んでいるウルに手を差し出す。
ウルはその手を握って立ち上がり、肩をすくめた。
「まあ、何とかなったからいいとしよう」
「そうだな」
「やっと君を差し置いて活躍できると思ったのになぁ」
「つまりお前はまだまだってことさ」
「くっ、反論できない……」
「ははっ、ま、今回はそこそこ助かった。それで良しとしようじゃないか」
「いつかその台詞を言い返してやる」
「いつになるかな」
軽口を交わしながら、二人はすたすたと歩いた。目指すはゴドラの魔王のお膝元、城下町である。




