第1話.冥界
紅い景色をひたと見据えて扉をくぐった二人は、すぐに景色が見えなくなるほどの強い光に包まれた。
濃密なジジの魔力を感じながら、ウルは眩しさに目を閉じる。
そして直後、足元どころか身体全体がふっと宙に投げ出された感覚がした。
すぐに襲い掛かる落下の感覚、耳元を風が乱暴に通り過ぎていく音。ウルはパッと目を開けた。
「わっ!!」
「ったく、これくらいで動揺するな」
遥か下方に果てしなく広がる紅砂丘。風に煽られてその表面を不気味に動かす砂丘の姿に、思わず足をじたばたと動かしたウル。
しかし、彼の隣にて落ち着いた態度で落下していたシヴァが冷静にそう言い、ウルの腕を引っ張って引き寄せると、すぐさま艶やかな黒翼をバサッと広げた。
途端落下の感覚が消え、緩やかな浮遊感の様なものが身を包む。ウルはほっと息を吐いた。
「びっくりした……まさか、こんな上空に扉が繋がるなんて……」
「仕方無いだろう。そもそも扉を開くだけでも常人にはできないことなんだ。文句言うなよ」
「文句じゃないよ……」
シヴァはウルの言葉を適当に聞き流しながら、眼下に広がる紅砂丘に視線を巡らせた。
黒々とした悪魔の手の様な木が立ち並ぶだけで、人影は見当たらない。
「すぐに降りるぞ。掴まってろ」
「あっ、うん!」
上空にぽつんと浮かんでいては、いくら背景が重く垂れ込める黒雲だとしても目立つ。
今の内に地上へ降りて、徒歩で移動した方がいい。
急降下するシヴァに腰を引っ掴まれているウルは、握り締めていた霊杖ウラヌリアスに少しの魔力を流し込んだ。
そっと、目隠しの魔法を使ってみる。
「……ああウル」
「っ、何?」
風の中でウルはビクッとして真近にあるシヴァの端麗な顔を見た。驚いてしまい、作りかけの魔法がふわりと解けてしまう。
ぱちくりと瞬くウルの銀星の双眸を、艶めく紫藍の瞳で見返してシヴァは溜め息を吐く。
「魔法使おうとしてるだろ。目隠しか」
「う、うん。え、分かったの?」
「なんとなく。お前が魔法を使うの、少しずつ分かるようになってきた」
「当たり……ええと、それで、何?」
紅砂丘が近づいてくる。視界いっぱいの紅色に、ウルはごくりと唾を飲んだ。
「目隠しの魔法は使うな。と言うか、隠しようのない戦闘になった時以外は使うな」
「え?」
速度が落ちる。視線を前方に戻すと、砂丘は目の前だった。シヴァが下向きだった体勢を元に戻して着陸体勢に入る。
「冥界では、精霊の魔力は異質すぎて物凄く目立つ。下手したら大気に拒絶されて発動も儘ならない可能性もあるけど……まあお前ほどなら何とかするだろう」
「僕、ただのお荷物じゃない?」
「さあな。ま、危機的状況になったら頼むよ、意外と重いお荷物さん」
「なっ!!」
そんな会話をしている内に、シヴァの足が紅砂を踏む。
一瞬遅れて、ウルの足もついに冥界の地を踏んだ。アルタラの一族の精霊としては初のことである。
「……」
「どうだ? 冥界の地を踏んだ感想は」
「……全力で、拒否されてる」
この暗く重々しい、禍々しい感情にも似た魔力の胎動を微かに感じさせる大地は、確かにウルを拒んでいた。
混ざり合うことのできない闇と光。相容れることのない魔物と精霊。
冥界は、その大地の本能から精霊を嫌っている。
ウルの言葉に、シヴァはだろうな、と短く答えた。彼はすでに歩き出している。ウルは慌ててその後を追った。
紅砂に付いた二人の足跡は風が吹き消していく。
「真っ直ぐ、皇帝のいる皇宮へ向かうぞ」
「うん」
「ここからは歩いて五日かかる」
時々飛ぶけど、とシヴァは両翼を動かした。ウルは片時もウラヌリアスを手放さないようにしよう、と決めてぎゅっと手に力を込める。
「多分、侵入は気づかれている。ゴドラにいるってこともな」
「すぐ移動、だね」
「ああ」
ウルはふるり、と少し震えた。大気どころか大地すら彼を拒むこの地で、首と両足首の魔導具を命綱に、止まることなく進まなければならない。
頼ることができるのは、シヴァと、自分の力だけ。
あまりにも孤独な戦いだ。
これ以上の孤独の中、シヴァは復讐を誓う心の炎を燃やすことだけで生き延びてきたのである。
(僕がいる。そして僕にはシヴァがいる)
確かに、皇帝の掌の上とも言える広大な冥界において、彼等は酷くちっぽけな存在だ。
それでも、独りではない。
ウルはこくん、と頷いて足を少し早めた。真っ直ぐ前を向いて、シヴァの隣に並ぶ。
「勝とう、シヴァ」
「端からそのつもりさ」
二人は頷き合って、死と絶望の体現の様な紅色の砂丘を進んだ。




