2.シリエールの終戦
ジジに急かされつつも、冷静でいようと努めるマオの攻撃が魔王の白蝋の様な頬を裂いた。
反撃の余地を与えぬために即座に魔法を発動する。大嫌いな父のものによく似た、赤黒い魔力の緒が同色の槍の穂先の形に結ぶ。
魔力で編み上げられた長槍。自身の身の丈程もあるそれを引っ付かんで、マオは魔王の心臓を狙って高速の突きを繰り出した。
地を蹴って後ずさる魔王の胸元の鎧に槍の穂先がかする。その小さな傷に魔法の種を一つ仕込んだ。
マオは一歩二歩と踏み込みながら槍による鋭い攻撃を緩めない。魔王はそれに合わせて後ずさりながら、魔力を展開して赤黒い剣の群を放った。
(ここで、防御に回りたくない)
マオはこのまま押し込んで魔王の首を獲るつもりであった。
襲い来る剣の刃に呪いや毒の類いの気配が無いと分かると、彼は急所や動きに支障の出る部分への攻撃以外は無視して突き進む。
(流石の親父も焦ってるんだな。普段のあんたなら、ここに呪いや毒を仕込むくらい簡単にやったろう)
頬や二の腕をかすって通り過ぎていく赤黒い剣の群の中を、時折槍で急所や足を守りつつ突撃していく。
「ぐ、おのれ……っ!!」
二、三ヶ所と魔王の鎧に傷が増えた。仕込んだ種は五つ。胸と、四肢に一つずつだ。
「もう、終わりにしよう」
「貴様っ!!」
魔王の背後に描かれる赤黒い魔法陣。無粋な肉食獣が踏み込んだ湖面の様にざわめく陣の表面を見て、マオは目を細める。
「貴様に討ち取られるくらいならば、ここで全てを道連れにしてくれるわっ!!」
「……あんたは、そう言う奴だよな」
術者の命をもって、広範囲に死を撒き散らす禁忌の殲滅魔法。自軍の兵の命も省みぬ魔王に、マオはうっすらと微笑んだ。
「やらせないさ……――主っ!!」
「ん」
ふわり、と魔王の顔に影が差した。思わず空を見上げる魔王の上に、短杖を構えたジジの姿がある。
それと同時にマオは仕込んだ種から魔法を発動した。魔王の身体の前に現れる紅く煌々と輝く魔法陣。
ジジの短杖の先が、魔王の殲滅魔法陣に触れる。
「ぴったり。危ない。でも、いい」
「何?! まさか、貴様ぁぁぁっ!!!」
「ん。これ、貰う」
残り少ない魔力をかき集め、ジジはそれを魔王の殲滅魔法陣に注ぎ込んだ。
瞬く間に行われる魔法の書き換え。魔王の魔力を食い荒らし、自分のものに変えながら赤黒い魔法陣を目映い緑白色に染め上げていく。
抵抗せんと動こうとした魔王は身体が動かないことに気づいた。
「縛らせてもらった」
「おのれぇぇっ!!!」
マオの魔法。五つの種を仕込み、そこから対象者の中へ魔力の根を這わせ、動きを封じ込める。
「鎧に傷つけてもいいってんだから、便利だよな」
そう言いながら、マオは手の中の赤黒い槍に魔力を流し込んだ。穂先がぐにゅりと蠢いて変形する。それはやがて、命を刈り取る形――大鎌の刃に姿を変えた。
「あんたが教えてくれたんだよ親父」
背後の殲滅魔法陣は、完全にジジの魔法になり、魔物だけを滅する浄化の魔法に変化して、発動の命令を待っている。
呻く魔王にマオは囁いた。
「……道を阻む者あらば、動きを止め、確実にその首を刈れ、ってな」
踏み込みと共に振りかぶった、禍々しく赤黒い大鎌。マオが初めて他者の命を奪うために振るう刃。
こちらを睨む父の目に、死への恐怖は無かった。
ただ底無しの憎悪に燃えた黄金の眼は、死を眼前にしても魔王の称号に相応しくギラギラと輝いている。
「貴様を呪うぞ、――――」
父の口がマオのかつての名を呼んだ。
それはマオの耳には届くことのない、音の無い呪いであった。
「……じゃあな」
大鎌の一閃。
マオの刃が、魔王の首を斬った。
針を刺し込まれた様な痛みがマオの胸を切なく襲う。しかしそこへジジがポツリと呟いた。戦場の騒音の中でも、その声は確かにマオの元へ届いた。
「ん。よくやった。マオ、偉い」
それと同時に発動する、浄化の魔法。鮮烈な緑光が戦場を満たした。
「シリエールの、勝利」
静謐に、魔物だけを滅する光。
音がどこか遠く聞こえる。
マオは小さな主人に、そっと苦笑して頷いた。
――――………
魔王が討ち取られてすぐ、冥界軍はジジの浄化の魔法で簡単に殲滅された。
その後、魔導士たちは負傷兵の治療に奔走し、魔導長は館でぐったりしていた女王の治療にかかった。
ちなみにジジはマオと微笑み合った後、ついに魔力切れでぶっ倒れた。人生で初めて魔力切れを起こした彼女はしばらくした後目を覚まして「びっくり、した」と感想を呟いたそうな。
女王はしばらく結界を張れないので、三人の将軍が怪我の少ない兵を率いてシリエール周辺を見回ることになった。
裂牙将軍レイの頭は、戦いが終わって安堵したリンが叫んで水をぶっかける程に悲惨な有り様になっていた。
「何をどうしたら頭に魔物の頭が乗っかったままになるのっ?!」という若き穿爪将軍の悲鳴は、咆哮将軍ミレイシアを笑い転げさせた。
緑樹の王国シリエールの戦いは、魔王バルディアノスの死により終結した。
冥界の最奥では、それを悟った皇帝がギリッと奥歯を噛み締めている。
しかし次の瞬間に皇帝は禍々しい笑みを浮かべた。
銀星の少年と黒翼の青年は手を取り合って冥界に踏み込んだ。
死と暴力と、憎悪が満ち溢れた昏き地下の帝国。皇帝の手が届かない場所など無い、暗澹たる闇の満ちるこの場所へ。
これなら、弟の血を引き、この左手の小指を切り落とした、忌々しい混血の青年に手が届く。
そして、天から舞い降りた稀少な精霊、霊王の末子を手中に納め、霊王に目にもの見せてやることができる。
そこで皇帝は考えた。
もっと、良い考えがある。
その甘やかな計画に彼はゾッとする様な笑みを浮かべた。
冥界の皇帝イスグルアスは、冷たく絢爛な玉座で独り哄笑した。
来よ、我が手中へ。
そして、死ぬがよい。
この昏き冥界の底で。
2章完全に完結です。
お時間あれば、感想等いただけると嬉しいです。




