第19話.扉の先へ
すらりと常の二倍程に伸びた背丈に、先程までずるずるだった白の長衣は程よく踝辺りの丈となり、その代わりきつくなったらしい銀の細帯を彼女は適当に緩めた。
腰まで届く長さの紫の髪は、相変わらずあちこちへ強情に跳ねている。両耳の前の白い一筋も変わらずそこにあった。
濁った橄欖石の瞳は相変わらずぐるぐると深淵の様な混沌を宿している。
「あ、ある、あるじ……?」
「ん。マオ、どうした」
「え、え、あ、別に……」
マオはジジのこの姿を見たことがなかったのか、黄金色の目を何度も瞬いて、首を傾げて戸惑っている様子だ。
「結界、破れた。急ぐ。そこで、二人、待ってる」
「え?!」
ウルは天を仰いだ。両の瞳に魔力を込めて女王の結界を凝視する。
攻撃されていた時とは比べ物にならないほどの揺らぎ。確かに、結界は破られたようだ。
「急ごう。よろしくね、ジジ」
そう答えたウルは隣のシヴァと目を見合わせた。少し首を傾げ、目だけで「知っていた?」と問う。勿論ジジの姿について。
するとシヴァは肩をすくめて首を横に振った。「まさか」と言いたげである。
(確かに、知っていたらそこまで驚かないよね)
うむ、とウルは誰にともなく頷いた。
ジジはピシッと金の短杖を構えて、くるりとマオを振り返る。彼はまだ戸惑いから抜け出せずにビクッと肩を揺らした。
「マオ、力、貸す。ゴドラとの、繋がり」
「あ、あぁ、分かった。ええと、俺はどうすればいい?」
「立ってて」
ばっさり言い放たれたマオは何とも言えない表情でコクッと頷いた。ジジは金の短杖を正面へ向ける。
破られた結界が断末魔の如く散らす白光が短杖の先の菱形の紅玉に反射して、きらきらと輝いていた。
薄ぼんやりとした緑色の光が短杖の先に宿り、ジジはおもむろに手を動かす。
すぅっと動いた杖先が、魔力光の緒を残して、彼女の身の丈程もある円を描いた。
その円周に沿う様にして、杖先が流麗な文字を書き込んでいく。エルフの言葉、ウルはその中に様々な単語を見たが『扉』という一語にぎゅっと手を握り締めた。
円周の内側に言葉を一周分書き終えたジジは、マオの前まですたすた歩いていく。
「あ、主……」
「黙って」
左手の指先でマオの口をそっと押さえた彼女は、右手に握った短杖の先をマオの額に当てた。
それから何やらぶつぶつ呪文を呟く。
ウルがしばらくジジと過ごして分かったことであるが、彼女の呪文は恐ろしく聞き取りにくい上に早口だ。
それから、口を閉じてスッと杖先をマオの額から離す。そこに蜘蛛の糸の様なきらきらした銀糸が繋がっていた。
(繋がり……冥界への、鍵だ)
マオの額から伸びる銀糸をじっと見たジジは、まるでそれを投げるかの様な動作で短杖を先程描いた大きな円へ向けた。
杖先の紅玉から銀糸が離れ、ふうわりと、しかし真っ直ぐに円へと向かう。同時にマオの額からも離れた。
「繋いで」
そこでジジが珍しくはっきりと言葉を放った。ウルはそこに魔力を感じ、それが力ある言葉であることに気づく。
ジジの言葉に乗った魔力に導かれ、銀糸の先が円の真ん中にスッと刺さり、静かにその全てを円の中の虚空に沈めて消えた。
ざわざわざわ……
まるで幽鬼の囁きの様な不気味なざわめきが円の表面を、水滴を落とした湖面の様に揺らめかせた。
様々な景色がその中で映っては消え、重なり、薄れて……望みを映し出す魔法の円形鏡の様だとウルは思う。
その揺らめきが収まると、向こう側の景色が見えるはずのそこに、見慣れないものが映っていた。
赤黒い暗雲垂れ込める空。バシッとその間を駆けるのは不気味な紅雷だ。
黒々とした悪魔の手の様な木が点在する紅砂の丘。さらさらとその表面の砂を風が拐い、まるで姿の見えない何かが砂丘の上を移動している様だ。
心臓に直接触れる様な戦慄。その景色を眺めていたウルは理解した。
(これが、冥界)
ゆっくりと唾を嚥下する。精霊に死をもたらす空気を満たし、憎悪と暴力に溢れた暗黒の帝国。
(そして、シヴァの親を、殺した国)
微かな震えが収まる。その代わりに訪れる、背筋を凛と正させる覚悟。
(世界に与えられた予言を果たしに)
隣のシヴァに目を向ける。同時にウルを見た青藍の瞳。そこに宿る自身のものと同じ覚悟の色に、ウルは挑戦的に微笑みかけた。
「行こう、シヴァ」
「ああ。行こう、ウル」
二人はジジとマオを振り返る。
ジジは相変わらず感情の読み取れない表情で、しかしうっそりと微笑んでいた。
「二人、勝つ。ジジ、待ってる」
マオは故郷の景色を見て、その黄金色の双眸に煢然とした色を浮かべていたが、二人の視線に気づくと視線を寄越してこっくりと頷く。
「あんたらなら変えられる。お互いの手を離すなよ」
ゴォォンッと南方から轟音が響く。獅子弓軍は何とか冥界軍を抑えているようだ。
「「行ってくる!!」」
二人は声を揃え、念のため手を繋ぐと円形の扉に、勢いよく飛び込んだ。




