第17話.開戦
轟音の後、ぐらっと学園が揺れた。そこまで大きな揺れではなかったが、元々乱雑に積まれた資料類の多いジジの部屋の被害は深刻だった。
「うわぁぁっ、俺が三日かけて整理した棚がっ!!」
ジジが乱雑に積み上げたであろう書籍の山が崩れたことによって、三日かけて整理したらしい棚が倒されたマオが悲痛な声を上げる。
しかしジジは使い魔の悲鳴を気にせず、ウルに鋭い視線を投げた。
「ウルーシュラ、行く、シヴァ、探す。ジジ、門、開く。陛下の、館、庭で」
「分かった! 二人とも、気をつけて!」
ウルは先程還したばかりのウラヌリアスを喚び直し、走り出した。
廊下ではざわめく生徒たちを教師が引率している。流石の彼等も、この状況でウルを追いかけ回すようなことはしなかった。
開いていた窓から外へ飛び出す。ふわりと浮遊感、風の魔法で落下を止めた。
(朝、シヴァは女王陛下と話してくるって言ってた。きっとまだ館にいるはず)
女王の館を目指して飛びながら少し高度を上げてシリエールの森を俯瞰する。普段はほぼ見えない森を包む女王の結界が、ほんのりと白く発光し、その表面に白い魔法陣を幾重にも浮かべていた。
南方へ目を向ける。そこに蠢く黒の群を見てウルは吐き気を催した。
(すごい量だ……これだけの軍が、一晩でここまで? なんて、無茶苦茶な……)
冥界の軍はとにかく女王の結界を破ろうというのだろう。攻城戦に使うような投石器や破城槌を揃えて、そこに魔法を組み合わせた物理的にかなり質量のある攻撃を結界に加えていた。
結界の内側では『獅子弓軍練兵場』より前に整列した獅子弓軍のエルフたちが、日の光に白銀の鎧を煌めかせて、弓を引いている。
降り注ぐ矢の雨。魔物たちは倒れていくが、倒れた仲間の死骸を踏みつけて、盾を装備した魔物たちが進み出てくる。
明らかに、シリエール側は数で負けていた。腕は優れていても、結界が破られたら押されることは間違いない。
(急がなきゃ!!)
ウルは高度を下げると真っ直ぐ女王の館に向かった。
――――………
獅子の咆哮の様な弦音の後、紅蓮の炎が獅子の姿をとって空へ駆け上がり、結界を越えるとその向こうに犇めく魔物たちを蹂躙する様に焼き払った。
「陛下の結界が保っている内に可能な限り敵を減らすよ!!」
「「「おぉっ!!」」」
先頭にて、紅蓮の弓を片手に、部下たちへ華奢な身体から精一杯声を張り上げるのは咆哮将軍ミレイシアだ。
彼女が率いているのは咆哮軍である。鮮やかな赤色のマントが翻る、常日頃から魁となる軍だ。
「咆哮軍に負けてられないよ! 今は総力で相手を潰す。構え!!」
その隣に並び、深みのある青のマントを翻す穿爪軍を率いるリン。天駆ける五爪はまさに獅子の爪擊である。
「うんうん、二人ともすごいねぇ。私たちも頑張るよ」
咆哮軍を挟んで穿爪軍の反対側に並ぶ、森の緑のマントを翻す裂牙軍。何となく締まらないぽんやりした声をかけるレイ。
その手が引き絞る深緑の緑竜弓は、三弓一の強弓である。
その弓から放たれる矢は五体の魔物を貫く勢いを持っている。
三軍並び立って勢揃いの獅子弓軍の上空には、生徒たちを引率し終えた魔法学園の教師たちが各々の杖を構えて魔法を放っていた。
砲門の様に斜めに構えられた巨大な魔法陣。煌々と放たれる光は聖なる金。それを発動した白髭の老爺は、黒いローブを風に揺らして木の長杖を冥界の軍へ向けた。
「殲滅せよ! 我らの仕事は矢の届かぬ敵の最後尾を叩くこと! 行けっ!!」
彼は王下双翼の片翼、ジジが「おじい」と呼ぶ魔導長である。ローブの胸元には金の双竜が紅玉を抱く双竜玉章が煌めいていた。
魔導士たちの鬨の声と共に放たれた魔導長の広域殲滅魔法。砲門から放たれ、敵軍に降り注ぐのは聖なる金光の矢の雨だ。
冥界軍の後方、広域殲滅魔法を赤黒い結界が防ぐ。すべてを防ぐことはできず、雑兵が倒れていくがそれは気にしないのが冥界軍のやり方だ。
「雑兵が何人死のうと構わん! 結界を破れ!!」
ギラギラと理性の見えぬ赤い目をして、黄ばんだ鋭い牙を持つ大きな黒馬に乗った壮年の魔物がそう言う。
風が魔物の短髪を揺らす。今にも枯れ落ちそうな紅薔薇の色。冥界軍の将、ゴドラの魔王バルディアノスだ。
バルディアノスが鎧の様な黒い鱗に覆われた右腕をサッと上げる。宙へ向けて迸る禍々しい魔力。宙に描かれる巨大な砲門の如し赤黒い魔法陣。
こちらも広域殲滅魔法である。本来なら敵を大量に殲滅する魔法だが、今回は結界の破壊に集中させた。
広域にばらまかれるべき赤黒い剣の群が一つに集まり、巨大な赤闇の剣となる。それはそのまま結界へ向けて放たれた。
白光の結界に赤闇の大剣が突き刺さる。バチバチと散る白と赤の魔力光。結界の抵抗をバルディアノスは黄金色の目を細めて睨んでいる。
パシッ、と跳ねた白い稲妻が赤闇の大剣に纏わりつき駆け上がった。女王の魔力が魔王の魔法を破壊する。
砕け散った赤闇の大剣に、バルディアノスは口の端をつぃと上げた。
「ふん、面白い」
バルディアノスは両腕を上げる。
描かれた魔法陣は二つ。その赤黒い光に照らされて、凄絶な笑みを浮かべた魔王は言った。
「その余裕がどこまで保つか、見せてもらおうスノアリィル!!」
――――………
「シヴァ、ウルーシュラが来ます。用意はできていますね」
外で響き続ける轟音と、絶え間ない地の揺れ。シヴァは静かに頷いた。その腰には黒剣と霊弓テンペスタがある。
「すぐにジジが門を開くでしょう。それまでは確実に結界を保たせます」
「……感謝する」
「いいえ、構いません。貴方たちが負った予言はこの世界を変える。それは、永らく変わらなかった光と闇の均衡が崩れると言うこと……私は、それを待っていた」
女王スノアリィルは長いまつ毛を伏せると続けた。
「エルフと魔物の確執も、精霊と魔物の確執と同じく深い。それを、変える時なのです」
月光を紡いだ様な白金の髪をした彼女はそう言ってシヴァに背を向ける。この王国が建った時からずっと、変革を、予言を、待ち続けた女王。
森を守り、民を守って、この時を待ち望んでいた彼女は常に民に愛されながら、未来を見つめ続け独り戦っていた。
「漸くここまで来ました……かつて見た新風が訪れる」
そう言って微笑んだ彼女は振り返った。艶やかな青灰色の目に涙を浮かべて。
「シヴァ、どうか、やり遂げて」
「ああ」
祈りの色を宿した女王の目を、シヴァは藍色の目で真っ直ぐ見つめ返した。




